6わん!
「君は……」
思わず口から漏れた言葉。その真意は、この言葉をこぼした僕自身わからない。
「私? 私は”カワズ”。井の中のカワズ。何でも知っているけど、何にも知らないカワズ」
彼女の口から紡がれる言葉。その真意もまた、僕には全くわからなかった。
「私はいろんなことを知っているわ。無色透明に輝く宝石のこと、10年に一度だけ花を咲かせる植物のこと、深海に住むレインボー色のイカのこと、雲間に見える竜の尻尾のこと、そして、夜中に吠える化け物犬のこと」
彼女の口から放たれる言葉はどれも新鮮で、どれも不思議だった。
「でも、そのどれも、私は見たことがない。それが本当は何なのか、知らないの」
彼女の言葉は本当に、よく届く。雨音が彼女の言葉を意図的に避けている。そう思えるほどに、彼女の声は世界で一番強く、どこまでも遠く、ただ響く。
「”愛”だってそう、”友情”だってそう、”空気”だってそう、”人生”だってそう、”死”だってそう、私はその存在をどれも知っているけれど、そのどれも、実際に見たことがないの。説明してみてといわれても、説明できない」
僕はこのとき、気付いていなかったけれど、さっきまでいっぱいだった心のもやもやは、彼女の声が僕の心に届くたびに薄くなり、消えて行った。
「でも今日、私は初めて本当に”知った”わ。『化け物犬』を、この目でちゃんと見ることができた。知ることができた。井の中のカワズは少しだけ、外の世界を知ることができました」
そう言いながら彼女は笑う。僕は彼女の存在をこの日知ったけれど、彼女がいったい何なのか、まるで知らない、『井の中の蛙』だった。