シュルレアリスム☆空想曼荼羅
「イマジンちゅうのは、関係する事象すべての総称やな。イマジン子、イマジン力、イマジン則……物質であり、エネルギーであり、法則でもある。そしてこれが、メ界をメ界たらしめていると言ってええ」
リアルの記した文献が盗まれたという本棚の前では、紺色のキャップをかぶり、紺色のつなぎを着た鑑識たちが現場検証をおこなっている。チーフ鑑識官エコーの指揮のもと、ブラボー鑑識官が数字の入ったプレートをならべ、チャーリー鑑識官が写真をとり、たんぽぽの白綿ような鑑識道具――タンポンにて、デルタ鑑識官が犯人が触れたと思われる箇所にアルミ粉末の白い粉を付着させ、桃鑑識官があたりをつけた箇所にルミノール検査液をスプレーし、フォックストロット鑑識官がピンセットと小さなビニール袋をもって、微細な証拠品をさがし床をはいずりまわっている。
「ツコム、因果律の原則はわかるな?」
視線をアルファへもどした。
「ああ」
「イマジンはこれにならぶ。つまり、ある事象における起因。これが因果律の法則とイマジン則とが混じりあっている」
いや、ちょっと待って。因果律の原則とか、そんなガチな理論なの? イマジンってもっとフワッとしたもんかと思ってた。
フォックストロットが何か見つけた。ピンセットでつまみ、ポケットから出した液体の入った小ビンに入れてふってる。
「つまり、イマジン子が作用した場合に、因果律の法則の改変が起きると」
「そうや。因果律とイマジン子の作用比は、色々例外はあるものの、原則的には、空想の具体性と意思のつよさの掛けあわせによる。空想が具体的でつよければ、イマジン子が増加するっちゅうことや」
言いながら、アルファがテーブルの上にあった書類から一枚を抜きだして、差しだしてきた。地図だ。大陸が一つ。中規模の、同じような複雑な形をした島が二つ。長い島が一つ。あとは列島が縦につらなっているところが一つ。もうすこしくわしく言うと、漢字の夭に似た形の大陸が地図の中央やや下にあり、その上に、片仮名のケに似た中規模の島が、夭の上に横ならびで二つある。その三つの陸地の右側を、三日月形をした細長い大陸、左を同じように三日月形につらなった列島がおおっている。
なんだこれ。
冗談か。
何かしら突っこもうかと思ったが、突っこんだら負けな気がするのでやめた。やめて、俺は目をつぶり、眉間をつまんだ。すると、世界はどうなるんだ。いや、あれか。ソドミー城の屋上から見た景色。俺は再び地図を見た。国名などが書きこまれている。魔界、おばけの国、裏社会の国、祭りの国、魔法の国、妖精の国、お菓子の国、おもちゃの国、サーカスの国、リビドー王国、恋愛の国、テーマパークの国、男同士の国、女同士の国etc……その結果がこれか。童話・ファンタジー・そして現実の文化をとりこんだ、おもちゃ箱をひっくり返したみたいなあの景色か。でも現実の、地球の文化は……。滞在したリアルから得た文化か?
「証拠をなめないで!」
エコーのヒステリックな怒鳴り声が聞こえた。本棚の方を見る。他全員が各々の位置にてうなだれていた。
「いい? 現場は、被害者の声! お願い、犯人つかまえて……っていう被害者の声! 私達の仕事は、その声をきくことなの? わかってるの?」
被害者お前らだけど。直接自分に聞いたほうが早いんじゃない……。
視線をアルファへもどした。
「それじゃあらためて夢旅行やけど、一応、ナレッジの間ではファ喚、ファミリア召喚と呼んどる。これは……そうやな。まず、空想基準値についてやな。メ界全体においてのイ率と因率、これは、半々がベストとされている」
今さらだけど、質量保存の法則は無視か? いや待てよ。因果律は物質じゃないから……そうなるとどうなってんだ? イマジン子の量は変わらずってことか? なら質量は同じか? 活性ってこと? 単なる因果律則とイマジン則との比率の話か? 全然わからん。
考えながら、本棚のほうに目をやった。
鑑識放りだして読み聞かせやってる。
絵本らしきものを広げて床に座りこんだフォックストロットを、他の全員が囲み、同じように座っている。要するに車座。フォックストロット音読してる。落ちついた口調だが、丁寧に抑揚をつけて読んでいて、ときにおどけた声をだしたりしてて、無駄にうまい。他の、クスクス笑って聞いてる。
「これを空想基準値と呼んどる。イマジンがすぎれば事象が破綻して収集がつかなくなるし、因果がすぎてもあかん。学者の推測では、イ率が上がりすぎると、メ界が存在したままメ民たちが融解し、因率が上がりすぎると、メ界そのものが消滅するんやないかとの説が有力やそうや。現に、アザー列島ちゅう未開地では、メ界消滅の兆候が出はじめとるっちゅう噂もあるな。この世界は、恒常的に、イ率がゆるやかに上昇しとる。メ民が、やりたい放題物語を謳歌しとるせいや」
泣いてる。全身声を押し殺して泣いてる。全米が泣いてる。あと桃。フォックストロットは淡々と語りつづける。
「それで、定期的にリアルを呼ばざるをえない状況になってるわけか」
「そんなわけや。リアルの因率は、物語のなかに生きるメ民とは比べ物にならんほど高い。リアル数人が、しばらくの間メ民たちのなかで暮らせば、それで基準値は元にもどる。イ体でいられる時間は短いが、今までは必ず、基準値にもどり、無事リアルにお帰りいただくっちゅうしめで終わっとる。ファミリア……家族で召喚するのはわかるな?」
「イ体……広い世代にまんべんなく影響をあたえるためか」
「そういうこっちゃ」
いつの間にか、全米が俺のそばに並んで立っていた。
「終わりました。やはり、文献を盗んだ犯人の手がかりは、何も見つかりませんでした」
「終わったの読んでた本だろ。まあいいけど……。次は、とりあえず、イマジンをもうちょっと教えてもらうか」
*
「ラッサンブレ、サリュー」
フォックストロットの号令で、細長い白マット――ピスト上で全身白づくめと化した桃とデルタが、姿勢をただし、互いに礼をした。
「アンガルド」
ふたたびフォックストロットの号令。桃が黒いマスクをかぶり、デルタが、なんかウィンウィン駆動音ならして、頭部を黒いシールドでおおい、それぞれ、細長い剣――フルーレをかまえた。
「エト・ヴ・プレ?」
フォックストロットが二人に声をかけた。二人ともウィ、と返事。
「アレ!」
二人とも、わずかに身じろぎするだけであんまり動かない。前後に移動したり、上体を軽く左右へ振ってみたりしてる。と思ったら突然はじまった。桃がはじく。反撃。デルタ……に当たってない。かわしたようだ。デルタの動きが最小限だ。デルタ反撃。桃はじく。デルタ、フルーレをはじくと同時に前に出た。桃冷静だが、若干上体が反ってる。桃。デルタ。桃。デルタの方が優勢か。桃押され気味。
「よく見とき」
隣に座っているアルファがつぶやくように言った。
これまで横にはじいていた桃が、叩きつけるようにデルタのフルーレを押し下げた。
フルーレをおいかけるように上体を倒している。
「おお……」
宙に舞った。
ハの字に、まっすぐ伸ばした両足。
時計の針を高速に進めるかのように、足を伸ばしてデルタの直上を旋回し、桃が背後へ着地した。側宙――側方宙返り。デルタがややあわてた様子で振りかえる。
「感じたか……」
「え? 何を?」
「え? 何も? 全然?」
「うん」
「マジか……」
やりとりが激化している。ていうかどんどん速くなっている。ていうか段々、いや、もう大体残像、いやもう全然何やってんだかわかんない。全部残像。白いもやもやがなんかごちゃごちゃやってる。漫画か。漫画だ漫画。いやアニメか。
「さすがに感じるやろ……」
「だから何が!」
「何がてイマジンに決まっとるやろ! 体内イマジンを活性させて、DCT域に入らせ……要するに、イマジンの囁きや」
白いごちゃごちゃに正対し、目をつむってみる。
……。
「キンキンなってるのしかわかんない」
アルファががっくりと肩を落とした。
「マジか……。からっきしやないか……」
そして二人はいつの間にか空中戦に突入している。
「さっきの側宙もイマジンやで。デルタは魔法やけどな」
「そう、それ思ってたんだけど、イマジンと魔法ってどうちがうの?」
「イマジンは、ざっくり言えば、感情の爆発や。それにイマジンが呼応し、活性化する。そしてそういう計画性のないもんやから、基本自分と自分が触れとるもんぐらいにしか影響できん。魔法は、これは完全な技術やな。訓練できたえた感覚と冷静な計算によってイマジンを制御するんや。体内イマジンの活性を利用して、大気中の浮動イマジンへも影響させる。はなれたもんを変化させたり、色々やったり、そういうこともできる」
ブザーが鳴った。
「ラッサンブレ、サリュー」
どっちかが勝ったかは不明。二人がマスクを外し、悪手をしてピストから退出した。
*
フルーレが飛んでくるが、十分見きれる速度だ。体の反応も速い。しばらくやりとりした。さっきの試合に比べると、大分乱戦気味。はじめてだし、かなりがんばってるほうだと思うが、こいつ――ブラボーが弱すぎるという可能性もかなり否定できない。ていうか楽しいこれ。フェンシング。ちなみに、なぜイマジンのトレーニングにフェンシングをやっているのかは不明。
「ちょっと上げていくで」
ブラボーが上から目線で言ってきた。これちょっと受け入れられないんだけど。丁寧に呼吸をして心を落ちつかせる。経験上、スポーツも武道もイライラしていいことなど何一つない。だがはったりではなく本当に攻撃が激化した。一つはじいて、気がついたら、胸を突かれおわっていた。
仕切りなおし。
速い。やるしかない。体内イマジンを想像して、それをフルーレに込める。何も感じないけど込める。突き出す。ブラボーのフルーレに弾かれ、気がつくとまた胸を突かれおえたあとだった。
仕切りなおし。
「なんて強敵なんだ! って思うの! このままではブラボーに負けてしまうって!」
コイツに負ける?
オレが?
やだ。
「気持ちがフワフワして、すべてがどうでもよくなるまでやるのがコツ!」
何だそのコツ。でも負けるのは嫌。
はじく。
その勢いで屈みこんだ。
眼前の床。
全身にすさまじい加重。
全身で加重を弾きかえした。
浮上。反応が遅れているブラボーの表情。頭頂部。さすがに不安で、着地は屈みこんだ。ブラボー。背中。まだこちらをむいていない。もう一度、すさまじい加重。太腿が叫び声を上げる。加重を押しきった。体がブラボーの背中に突っこんでいく。ふりむきつつある。シールド越しの驚きの表情。表情……いや、眉!
眉!
何か鳴った。鳴っている。
眉! 速度を上げる。腰を入れなおして、手を出しつづける。
「ちょぉ、ツコ」
眉。行け。行け。
誰かが叫んでいる。それ以上は意識に入ってこない。行け。
突きぬけた。
眉。
引きはがした。
「あいたーッ!」
「ツコム!」
ひびの中央からフルーレを引きぬく。
眉が、宙を舞った。
突いた。
それはもう突いた。
粉々になり、宙を霧散するように舞いおちる眉をみて、ようやく我に返った。
「ポイントや言うてるやろ!」
ようやく叫びが言葉となって意識のなかに入ってきた。
息が上がっている。口をあけて呼吸をくりかえした。
「どうだ、俺のイマジン!」
ベンチを見る。
「ツコム、ふわふわしたの?」
「ふわふわしたんか?」「ふわふわ、したのかい……」「ふわふわしたのかね?」「ふわふわしたんだろうね?」「ふわふわしたのかしら」
「いいや、まったく。普通に頑張った」
桃と米たちが、目をつむりかぶりをふる。
その後、他の米とも試合をしたが、結局コツはつかめなかった。
*
フォックストロットが、下方から突きあげられ、垂直に上昇しはじめた。まだ上がってる。二〇メートルぐらい。桃も上がってきた。何これ。
「借りができてしもうたな」
不意に、隣に座っているアルファがつぶやいた。
「借り?」
わずかに俺のほうへ顔をむけ、謙遜せんでええ、と言い、口の端を釣りあげてみせると、アルファはふたたび再びピストのほうをむいた。
あれ。こっちも何これ……。なんか、ややめんどくさい空気まとってるこの人。
「わしもな、うまく言葉にできんのやけど、なんちゅうかな」
アルファはピストを見つめている。今誰もいないけど。上だけど。
「なんちゅうんやろ」
知らねえよ。やだよこの空気。
「ショーの話やツコム」
「ああ、うん……」
苦手なんだよねこういうの。面白がってやっただけのような気もするし……。
カンカンカンカン、という金属を点く高音と、へぶ、へぶ、といううめき声が聞こえた。上から降ってきてる。桃が一緒に落下しながらフォックストロット高速で突きまくってる。
桃は華麗に、フォックストロットはバウンドしたのち大の字で着地した。
「一トゥシュ!」
主審を替わったチャーリーが叫んだ。そうだよね。一トゥシュだよね。フェンシング連続攻撃ないからね。ちゃんと構えなおさないと全部一得点だよね。
「知っててやってるんだろうから、あれ、単なる暴力だよね」
「……」
何か言って。ねえ……。
アルファが意を決したように、体をこちらへむけた。決さないで。
「ツコム、このたびはほんま」
「ラリー!」
拍子抜けしたように、アルファが表情を弛緩させた。
「あれ、ラリー、説明してくれよ。インタビューで言ってたやつ」
「ラリー、ああ。発注はすましといたから、そのうち届くやろ」
「何が?」
「いや、大した話やない。今はそれより、わしはお前に」
「スト! ストは? あれくわしく聞きたいな―。あれ本当なの? アルファが一番、桃と仲が悪かったっていうの」
「ストか……」
両膝に両肘をつき、体を前傾させると、しばらくアルファは黙りこんだ。
エコーの高い悲鳴がきこえた。ピストに目をやる。話しているうちに桃対エコーの対戦に変わったようだ。ちなみに白づくめのため、見た目にはフォックストロットもエコーもちがいはない。
腹部ハッチが開いている。
エコーは、桃へほとんど背をむけた状態で、ハッチを両手でかばっている。桃が執拗にハッチを狙ってフルーレを突きだす。
「ゲヘヘ……ここか。ここがええのんか」
「いやあァー! お堪忍」
「一トゥシュ、一トゥシュ、一トゥシュ」
チャーリーが得点を読みあげている。フォックストロットとはちがい、エコーはハッチをかばいながらも一応フルーレを構えているため、しきりなおしが成立しているようだ。
何これ。
エコーがハッチを引き下げた。
桃がはさまったフルーレを押したり引いたりしている。なんかイライラしたみたいでがっつり押しこんだ。突如、エコーが手足を伸ばして痙攣し、そのままの姿勢で倒れた。目が暗転している。感電して、電源が落ちたようだ。付言になるが、現代フェンシングでは、武器の接触を正確に判定するため、切っ先に電流が流れている。何これ。
「ツコムも気づいとるとおり、召喚室で創造されたとき、わしらは、桃にまだおしるしが来とらんことをしらんかった」
ああ。
そう来ちゃう……。
かすかな不快感に、返事をせず、俺はしばし目をつむった。
「アルファ、俺から聞いておいて申し訳ない。けど、桃が話したがっていない内容を、桃がいないところで他のやつから聞くのはさけたい」
「……桃はだいぶ混乱していて」
しばらくの間ののち、アルファは俺の言葉を無視して話をつづけた。
「おい、アル」
「なんやねん」
つぶやきに近かった。そう言って、俺の言葉をさえぎってきた。
「わしとは、秘密が共有できん言うんか」
「秘密? いや、秘密とかそう言う……」
「桃にはああやって、大勢の前で、よくして、わしにはできん言うんか……」
何……。
何これ……嫉妬?
フラグ?
そっちフラグ?
怖くてアルファのほうをむけない。
お堪忍……。
「お前も気づいている言うてたやないか! こんくらいもう知っとったも同じやろ! わしかて、わしかて……ええな?」
「はい……」
何かわからないものをOKした。
「いよいよだな。さっきはツコムに見せるため、二人とも、実力の半分も出していなかったからな」
「すごい。胸が高鳴るわチャーリー……」
今さらだが、俺とアルファが腰かけている壁際のベンチの斜め前方、ピストの手前に、電光の得点表示板がある。そして現在、そこで表示板の操作をしているのが、チャーリーと今さっきもどってきたエコーである。
「ああエコー。チームナンバーワン対ナンバーツーのエペ、胸が高鳴らないやつなんていないさ……」
どっちがナンバーワンなんだろう。ちなみにエペというのは、剣の種類によって有効打範囲が変わるフェンシングの、全身全部OK競技である。
「エト・ヴ・プレ? ……アレ!」
はじまった途端、二人がピスト上から消えた。……なんか、いいやもう。見る気なくした。そんなことよりこっちだ。
「わかったよ。それで?」
ため息をつき、アルファに話をうながす。
「召喚魔法っちゅうんは、創造された時点で、メ界が何、自分が何っちゅうのはインプットされとる。召喚者のことは、これは鳥の雛のすりこみと一緒で、目の前におるんが自分の主やっちゅうことはわかるが、召喚者自体の人となりは教えられとらんのや。
そして桃は、わしらにまともに挨拶もせんと、あれやこれやと、ファ喚と関係のない用事を、説明もほとんどないまま言いつけはじめたんや。やれ召喚室から出るな、やれメ界の調査をしてこい……。デルタは、かなり早い段階から、異変の微妙な兆候に気づいていたらしい。ブラボーは、まあ、みんな仲良うやろうっちゅうて、間取りもとうとしてたな。今思えば、あの二人だけは、今も昔も変わっとらんな」
「あそこだわ!」
エコーが部屋の隅の天井を指さして叫んだ。反射的に目をやった。壁蹴ったりして空中でやりあってる。速すぎて全然見えない。
「白一トゥシュ、緑一トゥシュ」
「あなたよく見え……え! 目を閉じてる! まさか、心眼!?」
「ああ。彼らの速度は、心眼でないと到底おいつけない」
「すごい!」
何こいつらのやりとり……。
「二人ってことは、アルファ以外も、今とはちがったのか」
アルファが小刻みにうなずく。
「そのときの桃をコピーしたみたいに、どいつもこいつも社交性が無く、ツンケンしとった。まあ、これには理由もあるんやが。わしは、召喚の調整をやらんことがどうしても納得できんで、くりかえし、桃に、召喚委員会と話をさせろとつめよっとった。そんで、最初に調査をやめた」
二人が、ピストに戻ってきた。桃がなんか、ピストすれすれの低空でドリルみたいになって、デルタ突っ込んでいってる。デルタはくるくるしてる。新体操のリボンくるくるさせるスパイラルみたいにしながらさばいてる。いやさばいてんのかあれ? ディフェンスじゃなくないあれ? デルタが少しずつ下がる。桃が回転をやめて着地した。すかさずデルタがファンデヴ――突きを出した。飛びさがった桃が再びドリル。やめろ。これ以上フェンシングを汚すのはやめろ。今度は縦……ピストを掘削して床のなかへ消えた。ピスト電流飛びだしてバリバリ言ってる。そして敵のいないピスト上で、フルーレをおろし、デルタが静かに目をとじた。
「チャーリーあれって、まさか」
「ああ。心眼だ」
いいから……。
「ツンケンの理由やけど、わしらは、実は創造された当初、全員、機能不全があった」
「機能不全……」
「隠れて調整をはじめたはいいものの、あっちこっちも機能ガタガタ。通信ができん、転移ができん、ポッド内のオブジェクトの変換ができん……諸々や。今思えば、というか、おしるし前の召喚、世界の異変、こういうことを考えれば、わからんでもないけどな。調整のモチベーションがなくなり、なんやどうでもよくなって、結局デルタ以外の全員が桃の調査指示をさぼるようになった。まあひどい空気やったな」
「きついなそれは……。でも」
桃もきつかっただろう。おしるし前の創造で、米を表に出せば新たな混乱を招きかねない。誰かに相談したくても、関係者はみんな強ロールで、ノンプレイヤーキャラクターみたいな返答しかしない。当然生まれたばかりの米に相談するわけにもいかない。八方ふさがりだ。
「ああ。わかっとる。ただそのときは……とにかく、桃はわしらを激しく叱責しつづけ、わしらも反抗しつづけ……あとは桃の言っとったとおり。あるとき、なんやもう覚えとらんようなささいなことで、ボン」
「見て!」
桃が床のなかから飛びだしてきた。
回転しながらデルタに襲いかかる。背後からねらったのにあっさりフルーレスパイラルに入れられ、ふたたびくるくるしはじめた。デルタが桃からフルーレを奪った。二本くるくる。大道芸のジャグラーみたいに二本で上手に、止まらないようにやってる。片方のフルーレを桃の白パンツのウエストに差しこんだ。フルーレがなんか羽みたいな、風車みたいな状態で綺麗。それから、片方をパンツに差しこんでから、ずっとブザー鳴ってる。どんどん得点入ってる。
「チャーリー、デルタは攻撃していないわ。どうして得点が入るの?」
「何を言っているんだエコー。今や桃を回しているのはどう見てもデルタじゃないか」
「すごい!」
おかしいだろその理屈。もう電極関係ねえじゃねえか。何を受信してんだその機械。
「……はじまってすぐに、桃が全員を土手へ転移させた。今思うと、あれはわしらを守る意味やったんやと思う。騒いで他のもんにばれたらどうなっていたかわからんからな」
なんだろうコイツは。父親か、兄貴のような存在か。俺はなつかしそうな表情で話しつづけるアルファの横顔を見つめた。実際は表情筋は非常にぎこちなくて、パターンがそれほどあるわけではない。雰囲気で言ってる。
「あとは、そうやなあ、わしが桃とやりあって、デルタの一言で雨降って地固まって、そしてその日の夜中、召喚準備室に桃がきて、泣きながら、おしるしが来ていないことをみんなに告白したんや」
なるほど。ちょっと、グッと来た。
「ちなみに、インタビューのとき聞き逃しちゃったんだけど、デルタって何て言ったの?」
「デルタか。えー……『どんな性格にしろ、全員、桃の心を元につくられているというのが現実だ』やな」
なるほど。
なるほど……。
意外……。
厳しいなデルタ……。
そしてそのデルタが、桃を空中で転がしながら、ピストの端まで歩いていく。そして素早い動作でフルーレを桃から離し、桃が空中に浮いている間に、フルーレをピストに差しこんで、桃を巻きはじめた。
「うぎゃあぁぁ!」
バリバリ音がしてる。今さらだが、切っ先が選手に当たったか床に当たったかの判定のため、ピスト内にも電流が流れている。反対端まで巻きあげると、デルタがフルーレを高くかかげた。
ブザー。
「勝者、緑!」
号泣してる人がいる。ぶっとい白テープロールの真んなかにささってるピンクのダメアフロの人が、煙上げながら、うおーっつって男泣きしてる。
*
シャワーを浴び、着がえをすませた俺たちは、街中のオープンカフェで一息ついていた。城下町は現代的で、東京の表参道のようだ。通行人たちの服もおしゃれ。違うのは、そのおしゃれ着を着て歩いているものたちが、動物だったり、爬虫類だったり、羽や角が生えていたり、ロボだったりすることだ。
日が傾きはじめている。なんとなく、制服ズボンのポケットからスマホをを取りだして見てみた。時刻の表示は二二時四分。ふうん……。たしかに体感時間としてはそれくらい。一日の長さがちがうようだ。何かひっかかった。誰だっけ? 誰かが、時間について何かを言っていた気がする。しかし今は思いだせそうにない。ちなみにアンテナは〇本。
「二人が空中戦をはじめて、私、一時はどうなることかと思ったわ。でもそのとき、チャーリーが心眼を開いて……それで、事なきを得たの。ね? チャーリー」
「はは。もうよさないかエコー」
「全てのエピソード審判主役やないか! ところでツコム、今日どこに泊まるかもう決めたんか?」
何?
しばらく言葉の意味を考えた。
あわててアルファの顔を見る。
「え、俺? おい嘘だろ? 城泊めてもらえないの?」
「ヒモ男か。恥を知れ」
「だまってろ眉なし」
ブラボーが悲しげにうつむく。
「今日は城に泊まっていく国賓たちもいるんですよね……。夢旅行者としてなら、部屋を用意できたんだけど……」
着がえはしたがダメアフロが残ったままの桃が言った。ちなみに桃のイラストが中央に描かれた白Tシャツと黄色のミニスカートというシンプルな格好。
まあ、そうなるか……。
「名のりを上げたばかりの一介の勇者を泊めるわけにはいかないってことだな……いや! でもそれにしたって、もう決めたんかっておかしいだろ。こっち来てから完全に行動拘束されてるぞ俺。ずっと一緒だったろ」
「あの国での、ベッド上でのことをのぞけばな……」
テーブルの上のおしぼりを投げつけた。
「ちぎられるのが眉だけだと思ったら大間違いだぞこの野郎」
ブラボーが悲しげにうつむく。しかも下に落ちたおしぼりを拾ってくれた。
俺は息をはいた。
「わかったよ。まあいい。街に宿くらい……あ、金」
桃を見た。桃がきょとんとした表情で横に首を振る。姫様が現金持つか、と言いながら、アルファがハッチをわずかに開けてお札を数枚取りだし、渡してきた。ある突っこみが浮かんだが、パロディの範疇に入るため行動にはうつさない。彼の行動は進行上の都合によるものである。俺は西日が差しはじめた空を見あげる。今から宿を探すなら、もうあまり時間がない。
「さて、メインの異変についてなんだけど」
そう言って、俺はテーブルの上で手をくんだ。
「アルファに協力してもらい、これまでの活動を整理してみたんだけど、行ってない国や地域がけっこうあるな。物事の解決における第一歩は、徹底した情報収集だ。そこで、あらためて、チャーリー、エコー、フォックストロット、デルタの四人に、もう一度各地を見てきてもらいたい」
四人が嫌そうな顔になった。まあ、さっきの話があるので、これは想定内。かまわず話しつづける。
「割りふりはまかせる。それから、いくつか守ってもらいたい事項がある」
さらに嫌そうになった。
「毎日、帰ること。二日以上かけるときは、事前に言うこと。もし連絡なしで一日経ってももどらなかった場合……」
エコーが眉をひそめた。
「もどらなかった場合……?」
「危険に巻きこまれたと判断し、すべてのスケジュールを中断して、全員で救出にむかう」
おどろいた表情になって、エコーがチャーリーを見た。他にも、何人かが顔を見合わせている。
「優しい……」
普通だろ。
獣人の女の子二人が、おずおずと言った仕草で近づいてきて、桃の横に立った。俺が軽くうなずいたのを見て、席を立ちテーブルを離れる。少し離れた場所にも数人、こちらをむいている女の子が見えた。
「できるだけ、すべての地域をまわってほしい。調査は、もちろん異変に関することが優先だけど、これと言った基準はもうけないから、各々、重要だと思うことがあればできるだけ調べてくれ。それから、目立って困るなら、夜だけの行動とかでも全然構わない。安全を再優先で」
「人がいない地域も、だろうか」
フォックストロットが言った。彼を見てうなずく。
「手順としては、情報収集の後に整理がくる。集めている段階では、良し悪しを選ばないのが解決の近道だ」
「アザー列島もいくの?」
デルタが言った。
「アザー列島は、俺と桃、アルファ、ブラボーで行く」
ここまで色々見てきて、面白がり、納得し、こうしてスケジュールを組んでいるが、本音を言うと、こわばりさん以外の危機について、正直ピンと来ていなかった。自分の問題として捉えられていないと言ったほうがいいだろうか。世界消滅の兆候があるというのなら、自分の目でそれを確認しておきたい。
カフェと、近くに駐車しているキオスク的なケータリングカーの照明がついた。日は、もう大分落ちている。
「よし、じゃあ宿を探すまえに、お前らが絶対って言ってた最後の日程を消化するか」
米たちから歓声が上がった。各々立ち上がろうとしたところで、桃がもどってきた。手に、小さめの新聞――夕刊紙のようなものを持っている。新聞あんのかよ。まああるか。
「ねえ、もう出てる」
テーブルの上に広げる。米たちも集まってきてのぞきこむ。
『【久々の名のりは、リアル】――今期のメルヒェン総会内の召喚者インタビューにおいて、サプライズゲストとして登場した夢旅行者大概ツコムが、勇者の名のりを上げた。大概はインタビュー内において、名のりの動機については、桃様の期待に応えたいからとし、事実上、本来の目的である因果律率の回復と反する行動にとることについては、家族を信用していると答えた――』
「ほー」
なんか、照れるな。照れ嬉しいな。記事。
『――近年、勇者は減少の一途をたどり、一面に勇者の話題が取りあげられることがなくなって久しい。先日活動再開を正式に宣言した、メルヒェン褒章受章者のベテラン対峙組、ビッグメルヒェンとともに、勇者界を盛り上げてくれることを期待したい――』
「ビッグメルヒェン……」
「あー、ちょっと待って」
桃が小走りでケータリングカーにむかった。雑誌を買おうとしている。あれ、金持ってないだろ。店員の青年が驚いている。何やら話し、桃がうなずき、青年が着ているエプロンを引っ張って桃のほうに突きだした。そしてサイン。桃が雑誌を手にとる。青年が首をぶんぶん横に振る。桃、こびた動き。そして雑誌もってもどってきた。すげえ。姫ってすげえ。
もどった桃が雑誌をペラペラとめくり、見ひらきにして、テーブルの上に置いた。
『活動再開記念特集、ビッグメルヒェンのこれまでの冒険を振りかえる』
野営とか、モンスターと戦っているところとか、色んな写真が切り貼りされている。ざっくり言うと、笑顔と白い歯の素敵な、白髪の細マッチョだ。
「もうかなりのお年なのはずなのに、誰よりも切れてるのよねえ」
エコーがうっとりとした表情で白髪おじいを見つめている。
「切れてる?」
「筋肉の浮きあがりのことだよ」
フォックストロットが言った。エコーって、なんていうか、ファザコンっていうか、いや、どうでもいいか……。
「他には、注目株は……これとか、これとか」
巨漢のベイビーD――妖艶な新人アロマ夫人――それより、ちょっと気になったことがあり、推し勇者トークが落ちついたところで、雑誌を一旦閉じた。
赤い表紙――夕日の差す崖でたたずむ勇者という、いかにもなイラスト。そして、右上に、筆文字で『いさみ』と大きく書かれていた。
*
暗闇のなか、床から立ちあがる光。
黄金の天秤。
透明なガラスの壁でしきられている。今いるところはいわゆる前室で、ガラス扉のむこうに広大な部屋があり、そこが空間のほとんどを占めている。
正面のガラスに近づき、扉を開け、なかへと進入した。はるかの天井に照明は見えない。燭台らしきものも見あたらない。
何重にも重ねられた円――魔法陣のような、曼荼羅のようなものが、床に広がっている。
円のなかに文字がある。単語がほとんどだ。円の内部をぎっしりと埋めつくしている。その単語のすべてが光りかがやき、明りのない室内を、床から、幻想的に照らしあげている。そしてその円の中心に、台座。黄金の天秤は、その台座の上にあった。
空想の間。
もちろん確認に来るつもりだったが、なぜか桃を含む全員が今日来たがった。しかも夜に来たがった。理由は不明。誰も答えてくれなかった。
「メルヒェンランドを構成する個性たちよ」
ここへ来る前に、白Yシャツに、焦げ茶のベストとパンツスーツという、何やら意味ありげな服装に着替えた桃が、そう声をかけてきた。
黄金の天秤の前まできた。
天秤自体も発光している。
まじまじと観察した。
言いたいことはわかる。かろうじて。
その、まあなんだ、落ちついて、順番に描写していこう。
天秤そのものは普通。二つの皿が吊られた、てこの原理をつかう一番簡素なしくみのものだ。片側へ極端にかたむいている。桃たちによればかたむいているほうが因果律率ということになるわけだが、それはきっと正しい。きっ……いいや。とにかく、まず、このかたむいているほうの皿に、天秤同様、黄金に輝く三人の人物がのっている。動いている。卍がためをかけられているレスラー、かけているレスラー、およびレフェリーである。レフェリーが、かけられているレスラーに、しつこく意思の確認をしている。かけられているレスラーのノーギブアップの意思表示は弱々しい。
反対の皿の描写へうつる。
反対の皿には、大の字に倒れているレスラー、コーナーポスト、そのコーナーポストを上ったり下りたりしているレスラーの、二人物・一オブジェクトがのっている。上ったり下りたりについては、これは多分、空中技へうつる直前までの動きをループ再生しているものと思われる。
制作者を尊重し、ネタについての解説は極力ひかえてまとめる。絡まった手足――絡まった関係性――因果――がっつり決まっている卍がため――支配的な値の因果律率。飛翔――自由――イマジン――飛ぶどころかポストに登りきっていない空中技――僅少なイマジン率。まあ、この推察でまちがいはないだろう。個人的には、卍がためという渋いチョイスに好感が持てる。
音楽が聞こえてきた。
ムーディーなスロージャズ……。
ふと顔を上げる。まわりに誰もいない。
部屋のなかを見まわした。
奥のカウンターのなかでシェイカーを振っているチャーリーと目が合った。
桃以下、米全員がならんでスツールに座り、グラスをかたむけている。
あと、照明ないって言ったけど、あった。天井からカウンター上のすごい低い位置まで、おしゃれな傘つきの暖色ライトが下りてきてる。
ライトついてなかったから存在に気がつかなかった。
バー……。
「お作りしますか?」
ダンディな声。何……ああ。カクテル?。
いや。
拾えと言うのか。
どこ、どれを? 全部……?
「これさ、これが因果律率を示してるとか、イマジン率だとか、そもそもそういう用語だとか、どうやって決まったの? 言いつたえかなんか?」
何も拾わなかった。
「あ、待って。今そっち行きます」
そう言って桃が立ちあがった。他の米も後につづいている。
全員グラス持ってきてる。何この雰囲気。床照明と相まって、大人の夜の遊技場みたいになってるけど……。
あっ! 今さらながらに気がついた。
「打ちあげか!」
「え? 今?」
桃がおどろきの表情で俺を見つめる。
「いや、『空想の間』って部屋名からバーとカクテル想像できるやついねえだろ」
「元々どこかでチーム打ちあげしようと思ってたんだけど、丁度良かったから」
ああ、なるほど。そうだよね。大事だと思う。バーがある説明はしてくれないんだね。
おくれてやってきたチャーリーが、俺に灰色の液体が入ったグラスを差しだしてきた。
「この国、成人いくつ?」
「十六ですよ」
「あそう……」
まあいいか……異世界だし……。
「ミアスペット・ギジィアと名づけました」
イタリア語的な発音でチャーリーが言う。面倒くさいので素直にグラスを受けとった。チャーリーが眉を上げ、チラリと床を見る。
「このなかにありますように、という意味です」
チャーリーのすまし顔を見つめながら、その言葉を頭のなかで反芻する。このなかに……このなか……何……個性か! 俺の個性?
「ちょっ、何? 俺の個性がってこと? いや! 俺リアルだし。そもそも」
「それはちがいます」
桃が首を振る。
「時間によって空想曼荼羅は変化します。つまり、今現在メ界を構成している個性たちが、曼荼羅上にあらわれているということです」
あそう……。
床を見た。そして桃を見て、チャーリーを……見た。仕方なく見た。反論が思いつかず、仕方なくカクテルを飲んだ。あっ。おいしい。甘い。すごくおいしい。心はすごく今にがいけどカクテルは甘くてすごくおいしい。ジュースみたい。
「アルコールの量はおさえてあります。お酒は、あまり慣れてらっしゃらないと思いましたので」
なんなのコイツ。ジゴロなの。ゆさぶってものにしようとしてるの? ものにされそう。
桃が皿を差ししめしている。しめされたまま、皿をのぞき込む。普通に『因果律率』『イマジン率』と内側に彫ってあった。プロレスの小細工いらねえじゃねえか。
「そうだ。ところで、桃、日本語って知ってるか?」
皿に刻まれた文字で、気になっていたことの一つ思い出した俺は、そう話を切りだした。
「日本語……リアルの、ツコムが住んでる国の言葉ですよね?」
うなずいて床を指さした。
「これ、俺には日本語に見えてる。桃たちは?」
全員から、ああ、と声をもらした。
「僕たちには、メ界語で見えている。イマジン……というより、正確にはイマジン体によるものだよ。体内イマジン。自動通訳だと考えてくれればいい。知らない文字や言語にふれれば、何と言ったか知りたいと思うのはほとんど本能的なものだろう?」
デルタが言った。今さらだが声がハスキー。
「理解しようとする本能がイマジンへ働きかけ、自分のネイティブに変換しているということか」
「試しに、翻訳なんて必要ない。俺は翻訳を拒絶する、とつよくイメージしてみて」
難しい。翻訳なんて……。床を見ながらつよくイメージした。翻訳を拒絶……。
一瞬だけ。
触れてはいけない文化に触れた。
即座にイメージを中断する。
ほとんどの文字を正確にとらえることはできなかったが、マンガうんこは確実にあった。湯気出てた。
「あの、俺、イマジンてすばらしいと思った。今多分はじめて本気で思った」
みんなうなずいている。ごめんね。俺今嘘ついてる。みんなのこと軽蔑してる。ごめんね。
「それにしても、メ界語って言うってことは、言語は一つなんだろ? よく翻訳っていう概念を理解できてるな」
桃の動きが固まった。
またか……。
「ああ。いや、それは、翻訳くらいメ界にもあります。ね? みんな」
米たちが曖昧にうなずいている。なんでこいつらこんなごまかすのヘタなの……。
「ほら。翻訳は」
手で制した。
「頼むから、嘘はやめてくれ」
桃が笑顔を消し、うつむいた。何も言わない。
「嘘なんて……」
「今はいい。今後も……その、なんだ、俺が話したくなる空気をつくれなかったら、言わないでいいって言うので、どう? だから話つくらないでほしい。言いたくなかったらだまってるっていうので、どうかな……」
消えいりそうな、はい、という声が返ってきた。桃はうつむいたままだ。アルファがグラスをたかく掲げる。
「とにかく、打ちあげなんやから、こう、な? パーっと……」
「今日はありがとう。今日まで……ありがとう。それから、ごめんねみんな……」
米たちの表情が固まった。なんかさらにディープなところへ行ったぞ。一度へこむと立ちなおりがおそいなこの子。米たち、いたたまれないといった様子で視線をあちこちへむけている。
「何をあやまられてるかさっぱりわかりませんね」
エコーが言った。
「そもそも私たちは、メ界を安定させるための存在ですから」
おお。良いこと言った。みんなも良いこと言った的な表情になってる。
「この床の、その、床のやつなんだけど……なんかないの? 説明」
「個性か? 個性のことかツコム?」
まさかのフォックストロット。
「あんまり言わないでその単語……」
やだこの自虐ネタ。まあでも、まさかのフォックストロットのおかげで、桃の表情がちょっとゆるんでる。
「一番内側は、神族のはずです」
一番小さい輪。四つ。『やりすぎ』『やっつけ』『まんべんない』『日和見』――これは、なんか抽象的だな。特にコメントできん。
「二番目……これは王族ね、私のや、パパ、ママのがあるから」
『総受け』『野獣』『すけこま神』『茶番』『極論』『逆境』――極論。桃が召喚するときの魔法陣の文字。そしてそれをのぞいて、一つだけ誰のかわかった。っていうか人数合わなくない? まだ合ってないだけか。
「三番目以降はわかりません。リアルだとは思うんですが」
『突撃』『自己愛』『自己同一性』『立ち位置』『勇み足』――一、二、三……。
「いや、リアルじゃないと思うよ……多分……」
でもなんか、それぞれが、それぞれうちの家族とすごい合致するのがある気がする……。いや、あのさ、さすがにないよな。無個性なら無個性ってさ。『ごとない』って、さすがにないでしょ……。いや、そもそもあるからね。個性。あるから……。
凹んできたので、凹んできたし、考えてもしょうがないので、頭を切りかえて、四番以降の輪をながめる。『相殺』『利便性』『厳格』『伝統』『愛撫』『執拗』『無知覚』『消耗品』――石の亀裂によってなんとなく区分があるようで、四番目以降も何かしらのグループのようだが、まあ、こればっかりは、現状では推測のしようもない。
足が止まった。
『第一部ラスボス』。
しばらくその文字を見つめていた。
「桃ー。これ……」
しばらく待っても返事がなく、顔を上げた。まわりに誰もいなかった。バーカウンターにデルタとフォックストロットの二人。何か熱く議論をかわしてる。他のは……。
さっきまでただの暗がりだったところで、ゆれる水面がキラキラと光っている。
プール……。
槽内からの照明だ。おしゃれ。エコーとチャーリーがじゃれてる。あいつら本当仲いいな。曼荼羅に夢中で意識まで上がらなかったけど、そういえばさっきから水のはねる音がしてた。
さらに室内を見まわす。
反対側で、アルファとブラボーがビリヤードしてる。
桃の姿はない。
俺の様子に気づいたチャーリーが、ガラス張りの外へむけて、あごをしゃくっているのに気がついた。
バルコニー。
人影は見あたらない。テーブルセットやベンチにも誰も座っていない。チャーリーが何度も同じジェスチャをし、途中から親指も追加した。それに気づいたエコーも同じジェスチャをはじめた。一応断っておくが、彼らにあごはない。どうでもいい。とりあえずバルコニーへむかう。扉に近づいて、石造りの太い欄干上に、横になっている人影があることに気がついた。屋内における文明レベルが滅茶苦茶なこの建物は、外観は、かなり古めかしい石造りの城らしい。
バルコニーに出た。
様子を見ながら、緩慢に進み、欄干前のベンチにそっと腰をおろした。
むこうを向いている。夜空を見てるのか。寝てる、ってことはないよな。足音やなんやらで、こちらの存在にも気がついているはずだ。
話しかける気はおきず、数分ほど、そのまま時間がすぎた。
そして、ゆっくりと桃が上をむいた。
「不安定は、どうしたら治りますか……」
いいんだよそういうの言わなくて。苦手なんだよ、優しい言葉かけるの……。
「不安定なまま、受けとめるしかないんじゃないかな」
あまり考えずに言った。
「受けとめられたら人に話したりなんかしません!」
だよね。そうだよ。何言ってんだよツコム。もう帰っていい? プール入りたいプール。しらねえよ。どうしたらいいんだよもう……。
「意地張ったり、理由をつけちゃってると、解決しないかな。誰かのせいにしてると」
「私のせいじゃない!」
腕で顔をおおい、嗚咽をもらしはじめた。なんだよこれもう。もろ意地張ってるじゃねえか。
「わかった、じゃあ、ちょっと待って。真面目に考えるから……」
しょうがないので真剣に考えはじめた。しばらくして、ふざけて答えてたんですか、と泣き声で言ってきた。ふざけてない。今やってんだから静かにして……。
しばらく経った。
桃は嗚咽の声をもらしつづけている。
こう言うと、あれだけど、泣いてるのってけっこうそそられる。Sだから。
「よし。じゃあ、そうだな。ちゃんと考えた。聞きなさい」
「はい」
腕で顔をおおったままだ。何やってるんだろう俺。
「心が弱い。経験が足りない。……このことからは絶対逃げられない。要するに、つよくなる過程は必須で、そこを通らないかぎり安定はない。これは覚悟する。まず、これは覚悟。わかった?」
しばらくして、うるさいバカ、と言われた。
おう。歯ごたえがあってよろしい。ひたすら沈まれるよりはずっとましだ。
「誰のせいかは……これは、全部人のせいでもかまわない、かもしれない。実際、自分のせいじゃない場合も結構多いしな。ただし、要因と解決とは別だ。苦しんでいるのは自分。それを作ったのは他人とか環境。この、他人とか環境とかは苦しんでないわけだ。大抵の場合」
理不尽だわ。今度はそう返ってきた。そうだ。いいぞ。理不尽なんだ。大体。
「じゃあもう、いっそのこと、全部人のせいでもいい。桃は全然、全部悪くない。ただし、解決するのは桃しかいない。自分しかいない。それは、要するに、つまりその……定めるべきだ、と思う」
嗚咽が弱くなった。
「あとはよくわからん。多分俺はそうしてる気がする。心が落ちつかないときは」
本当だ。自分が普段どうしているか考えただけだ。あとはもう知らん。思いつかない。
「悪くないけど、私がやるしかない、苦しいのは私だから……」
うなずいた。
「そう。そういうこと」
「ずっとやってるもん! それでも、ちっとも楽にならないんだもん……!」
ふたたびび泣きはじめた……。
めんどくさい……。
俺は立ちあがり、桃の体の下に両手を差しいれ、抱きあげた。もう一度ベンチに腰をおろす。
桃が、腕を顔から外した。すぐ近くで、泣きっ面が俺を見あげている。
「できることはやってやる。だから覚悟はしてくれ。本人にそれがないと、大抵おかしなことになるから」
目を見たままささやいた。俺を見つめかえしながら、桃がうなずく。
「それで、その、しずくを……もしよかったら……」
桃の瞳が俺を見つめている。
待った。
わずかに緊張が込みあげた。
桃の瞳が、ゆっくりと閉じた。
ため息つかれた。
がっかり、っていう感じのため息つかれた。しかし、その息が俺の顔にかかった。体臭ほどではないが、わずかに桃臭。キュンんだ。久しぶりにキュンんだ。そして、そうやって頭のなかでごちゃごちゃやっていると、
もう。ちょっとだけですよ。
許可が下りた。