朕、控えめで、それでいて暴君
――わんわんわん。にゃーにゃにゃー。
――わんわんわんわん。にゃーにゃにゃー。
「大変申し訳ありません大導師様、動物があれで、ちょっと、もう一度言って……」
ティラアノは頬杖をつこうとしたが、すべての指につけている大きな指輪が当たって痛いため、仕方なく手のひらを広げ、五本の指先で頬を支えた。大分いいが、頬肉に指先がめりこんで、頬も指先もちょっとずつ痛い。
――ガーガーガー、ケンケケン。
――ガーガーガーガー、ケンケケン。
しばらく大臣を見つめる。
側に立っている衛兵に、あれして、と声をかけた。衛兵はティアラノを二度見してきたのち、他の衛兵に目くばせすると、その数名とともに動物たちを掻きわけ、大臣へ近づいていく。
「だ、大導師、私はただ、ちょっとこの動物たちの鳴き……おい! 何する、やめろ! 私はどうする!」
――ちゅんちゅんちゅん、ピーヒョロ―。
――ちゅんちゅんちゅんちゅん、ピーヒョロ―。
「大臣、柵をおまたぎ下さい」
「た、私はただ。やめろ! 大導師様!」
「柵をおまたぎ下さい」
「大導師様!」
衛兵が、左右から脇と膝の裏に手を入れて大臣を抱えあげた。乳幼児のおむつ替えの格好になった。衛兵が柵を越え、室外へ連れだしていく。
「大導師様、どうか、どうか……!」
わずかな魔力の波動を感じた。朕を誰だと思ってるの。大導師だもん。これくらいの隠し魔力を、朕が見ぬけないと思ってるの。ふうん。ティアラノは心のなかでそう独りごちた。ただ、動物がうるさいため波動が乱れており、何の魔法を使用しているのかまではわからない。
「次大臣、ジュブナイル連合軍を殲滅させた人の身元はわかったの?」
「い、いえ。ただ、連合人艦隊人司令艦により、当該人物を、急ぎこちらへ護送中ですので……」
サイドテーブルの上のグラスを手にとった。衛兵があわてた様子で牛乳パックを手に取り、牛乳をグラスへ注いでくる。パックが震えていたが、グラスからこぼれることはなかった。もしこぼれていれば、この衛兵もあれ刑に処されることになる。次大臣を見つめたまま、唇をなめ、グラスを口へ運ぶ。動物たちが群がってきた。腕に足をかけてきた。腕に力を入れる。グラスがゆれる。牛乳がはね、少しずつグラスの外へと出ていく。動物たちが膝に乗りあげてきて、競いながら指なり腕なり服なりをなめまわす。
「次大臣の軍も展開してたんじゃなかったっけ……」
「は、そ、それは」
ゆれつづけ、はねつづけ、空になった。
「気がつかなかったの……どうして気がつかなかったの……」
「た、大変申し訳ありません。大導師様、あ、あれだけは、どうかあれだけは」
動物たちが離れていった。
しばらく次大臣を見つめていた。
――ポッポッポ、コケッコー。
――ポッポッポッポ、コケッコー。
「しない」
直立の姿勢でこわばっていた次大臣の体が弛緩した。そのとき、わずかに次大臣の両耳が発光した。そしてそれを、ティアラノは見のがさなかった。補聴魔法。そ、そうやって、ち、朕をまたバカにして。みんなバカにするんだね。どおりでスムーズだと思ったんだ。ティアラノは、心のなかでそう独りごちた。
「あれし……」
「御意!」
言いおえるのを待たずに、衛兵が叫んだ。ティアラノは、一瞬疑惑をもった。しかし、思いなおし、衛兵を信じることにした。あの頃幼かった朕も、気がついてみればもう大導師。もう、あの頃の朕とは、ちがうのだから。もうあの頃とはちがい、責任ある立場なのだから。ティアラノは、そう心のなかで独りごちた。
――もーもーもー、ヒンヒヒーン。
――もーもーもーもー、ヒンヒヒーン。
ヤギが粗相をしたので、一時中断となった。濡れた法衣を替え、牛乳も注ぎなおした。大臣たちがふたたび集まると、ティアラノはグラスを片手に、次々大臣の顔を見つめた。
次々大臣が見つめかえしてきて、勝手にうなずいた。
「すべて順調であります。大導師様に是非ご覧頂きたい」
ティアラノはふたたび疑いかけた。だが思いなおした。ダメダメ。そもそも次々大臣にまかせている仕事は一つなんだから。ダメダゾ。朕ってば、これじゃただの疑心暗鬼ダゾ。ティアラノは心のなかでそう自分をいましめた。空いているほうの手で、肘かけにあるスイッチを押した。駆動音が鳴りはじめ、振動とともに、玉座がわずかに、タイヤの分だけ上昇した。肘かけのレバーを前に倒す。玉座がゆっくりと前進しはじめた。動物たちが鳴き声、吠え声を上げながら玉座を取りまく。動物たちを掻きわけ、進行変更を変え、壁際のエレベーターの前へ到達した。
「動物たちはここへとどまらせて……」
言ったが、反応がない。周囲をみると衛兵はついてきていなかった。背もたれの裏をのぞきこんだ。元の位置で立ったままの衛兵と目が合った。あわてて、動物たちを掻き分け、衛兵が駆けよってきた。ティアラノは怒りを抑えながら、同じセリフをもう一度言った。メルヒェン三神像の台座に埋めこまれている、エレベーターのスイッチを押した。壁がせり上がり、ドアが開いた途端、動物たちがなかへなだれこんだ。
「あの……」
少しずつレバーを動かして、エレベーター内へ入っていく。電動玉座カーに慣れている動物たちはエレベーター内から出ようとしない。仕方なく、大臣たちが動物たちを抱きあげて乗りこみはじめた。ブザーが鳴った。
大臣が何人か降りる。
一人ずつ乗る。
二人乗っただけでブザーがふたたび鳴った。
「お、恐れながら大導師様、で、電動玉座カーの重量が原因かと」
ティアラノは手に持ったグラスを見つめた。玉座カーの振動により、牛乳はすべてこぼれ出し、特注の法衣が、ふたたびビチョビチョになっていた。
レバーを操作し、エレベーター内から出た。
「ミニスト」
名前を読んだ。宰相。かつて一度も聞きかえしてきたことのない、ティアラノの腹心であり、幼少の頃からの友である男。禿頭に白い口髭の小柄な老人が、動物たちを掻きわけ、近づいてきた。そして、宰相でありながら日々の鍛錬をおこたらない細くも鋼のようなその両腕が、ティアラノを横だきにかかえあげた。ティアラノの両腕が、ミニストの、宰相であ(割愛)首に巻きついた。
全員が乗りこみ、簡易柵によって動物たちを排除し、ティアラノたちは地下三階へ移動した。途中、一緒に乗りこんだ衛兵に、牛乳を注がせた。
エレベーターのドアの先は、巨大な訓練場の壁上部に設けられた、視察用の足場であった。
眼下には、足枷をつけられたものたちがひしめき、未熟な魔法を発動して互いに傷つけあう凄惨な光景が広がっていた。監視役の兵が、戦いをやめたり、ためらったりしたものを鞭打っている。
「どうです。各国から集めた高イマジン者もかなりの数になり、短期間でイマジンを魔力にまで引きあげるシステムも、成熟しつつあります。これで魔力減少問題の解決も、時間の問題でしょう」
「な、なんという……」
体が揺れだした。ティアラノを抱えているミニストの両腕が震えているのであった。グラスから牛乳がこぼれ出し、特注の法衣の、主に胸元をぐっしょりと濡らした。
「あれだけご意見申しあげたのに……こんなものを、まだ続けておられたのか……」
衛兵が、勝手に牛乳を注いできた。
次々大臣が、ミニストに詰めよる。
「ずいぶんな言い様だな宰相。魔力減少の原因を解明できずにいる現状、他の手段があるというのかね」
「ミニスト……どうしてそんなに朕のがんばりをだめって言うの……」
「こ、こんな政策、到底受けいれられん! こんな、非人道的な……と、到底……」
複数の衛兵が取りかこんできた。
「発言を訂正してミニスト……」
ミニストは押しだまっている。
「ミニスト……君だけ特別にはできないよ……最後のチャンス……訂正して……」
「大導師様」
ミニストが、悲しげな表情を浮かべて、首を左右に振った。
「このミニスト、あれに甘んじようとも……いや、むしろ、この身にかえて、この政策への、この愚かな政策への抗議とさせて頂きます」
衛兵が距離を詰める。
不意に、ティアラノの体を浮遊感がおそった。
尻もちをついた。
でん部へ、痛烈な痛みが走り、全身が衝撃にまみれた。冷たい液体の感覚が顔面をふくんだ頭部全体を包み、牛乳の柔らかな風味が鼻をつき、ついでにグラスが見事に頭頂部にのったことが感触でわかった。
衛兵がミニストを取りおさえている。
「まって! やめて!」
精一杯叫んだ。声帯が弱い。だが、精一杯叫んだ。
「放逐……」
「大導師様……」
「放逐にする……どこでも、好きなとこにいけばいい……」
苦渋の選択であった。頭部より、法衣や床にしたたる白い液体を、ただ見つめていた。多大な温情、感謝いたします。そう、ミニストの声が聞こえた。