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4 青空市場


 それにしても、なんて面白い街だろう。 とりあえず大きな通りを目指して細い路地を抜けながら、璃子はきょろきょろとあたりを見回した。 朝が早いからなのか、辺りに人の姿が見えないからどんな人達が住んでいるのかはまだ分からないけれど、すり減った石畳の道、家や街灯の形などはいかにも古いヨーロッパの街並みといった感じだ。 けれども、この色。 何をどう間違ってこういう風になってしまったのだろうか。 璃子の左手にあるのは真っ青の壁に真っ白なドアの家で、そのとなりはラベンダー色、その向こうは目の覚めるような黄色だった。 対する右手側はショッキングピンクに緑色のドア、そのお隣さんは壁軒先まで真っ赤で白いベランダにはやはり燃えるような赤色のゼラニウムが並んでいた。 日本では絶対あり得ない配色だけれど、ここまで徹底されていると逆に統一感のある街並みに見えるから不思議だ。 緑と白の縞模様のカーテンがかかったオレンジ色の家を横切ろうとして、璃子はふと足を止めた。 

 唐突だが、璃子の職場は全員私服だ。 クライアントの前で失礼にならない程度にきちんとしていて、荷物を抱えて走りまわっても大丈夫な服装、という暗黙の了解さえ守っていたらうるさい事はいわれない。 というわけで仕事帰りの璃子は、黒のパンツに白いTシャツ、その上から灰色の麻のジャケットという至極無難な恰好をしていた。 でも、ここの住人がこの家と同じような色彩センスのファッションだったらどうしようか。 今まで行った場所は、マントを羽織っているとか、変な形の帽子をかぶっているとかはあったけれど、恥ずかしくてどうしょうもないと言う程じゃなかった。 オレンジ色のカボチャパンツに緑と白のしましまのシャツ、なんていうピエロみたいな恰好をした自分を想像してしまって璃子は思わずうめき声をあげた。



 気を取り直して路地をいくつか曲がっていくと、行く手から何か聞こえてきた。 足音、物音、話し声。 街の喧騒の中に時折混じる笑い声に、璃子はちょっと安心した。 そこにどんな人がいようと、笑っていられる人達なら大丈夫だ。 少し足を速めて、璃子は路地を抜けた。



 そこは大きな青空市場だった。 広場いっぱいに色とりどりの天蓋を広げた屋台が立ち並び、物や人でごった返していた。 市場の右側はすぐに港になっていて、今まさに魚が水揚げされている。 日に焼けた太い腕をしたおじちゃん達が魚でいっぱいの木箱を豪快に船から上げると、次の人がぬれた石畳の上を滑らせて運んでいく。 市場は活気の良い掛け声とざわめきであふれていた。 行き交う人々の顔はラテン系に近い感じで、黒髪や恰幅のいい人が多かったけれど、璃子が一番安心した事にみんな普通の色の普通の服を着ていた。



 夢の中であろうとなかろうと、旅先で市場に来るほど面白い事はないと璃子は思う。 普段スーパーマーケットにしか縁がない現代人ならなおさらだ。 璃子は人ごみにまぎれて端から端まで屋台を覗いていった。 一番多いのは魚屋。 ほとんどが見た事があるような魚だったけれど、中には2mほどもある細長い魚や人の頭より大きな貝なんかもおいてあった。 他には、色とりどりの野菜がうずたかく積まれた八百屋。 巨大なハムや輪にしたソーセージがつり下がっている肉屋、麻袋と天秤ばかりに囲まれた乾物屋。 見慣れたものでも並べ方が違うだけで楽しくなってくる。 そして一番端には、とれたての魚を揚げてパンにはさんだ様な物を売っている屋台が何軒か続いていた。


「お譲ちゃん、おいしいよ。 味見してみるかい?」


屋台の向こうからどってり太ったおじさんが揚げ魚のきれはしを差し出してきたので、璃子はあわてて断った。 どういう理屈になっているのかわからないけれど、向こうの口から出てくるのは全然知らない言葉なのに璃子の耳に入ると意味がわかる。 「ありがとう。」 といったつもりの璃子の言葉も、口から出る時には知らない音に変わっていた。 


 さすがにはしゃぎ過ぎて疲れてきた璃子は、市場の横にある小さな公園にベンチがあるのを見つけて、道を横切ろうとした。 その瞬間、


「どけどけっ!!」


すごい勢いで何かが迫ってくるのが目に入り、璃子は慌てて後ろに飛びのいた。 ぶつかるのは避けられたけれど、石畳に足を取られて見事に尻もちをつく。


「ばかやろう! どこ見て歩いてるんだ、気をつけろっ!」


強面の男が手綱を引きながら振り向いて大声で怒鳴る。 ざわざわと周りの視線が集まるのがわかった。 普段なら恥ずかしくて消え去りたい様な気分になっていただろうけど、璃子はペタンと地面に座り込んだまま茫然と、走り去っていくそれを見つめていた。 「荷馬車」というのが璃子の知っている中で一番それ近い言葉だろう。 確かに後部の上半分は、映画でよく出てくるような荷馬車の恰好をしていた。 けれど、馬の代わりに荷台を引いているのはどう見てもダチョウ。 そして、荷台には車輪がついていなかった。 ぷかぷかと宙に浮く木の箱をダチョウがひっぱっている乗り物、これをなんて呼べばいいのだろう。 

 油断していた。 ここの人たちも市場の雰囲気もあまりにも現実的だから、ちょっと海外旅行にでも来た様な気分になってすっかり油断していたのだ。 ここは、何が起きても不思議ではない、璃子の常識が通じない世界だという事を忘れかけていた。


「あんた、大丈夫かい?」


立ち上がらない璃子を心配して、屋台のおばちゃんが近付いてきた。 包容力満点な体型に花柄ワンピース姿で、その顔はいかにも人がよさそうだった。 ようやく我に返って、璃子はあわてて立ち上がった。


「すみません。大丈夫です。」

「大丈夫って、あんた顔色が真っ青じゃないか。 ちょっとこっち来て休んでお行きよ。」


返事をするより前に、おばちゃんは璃子の腕をつかむと彼女の店の前まで引っ張っていった。 その屋台は「ジューサーバー」みたいなものだろうか、色とりどりの果物と、ピッチャーに入ったカラフルなジュースが台の上に並べられていた。 店の前には黄色い日除けが張ってあって、璃子はその下にある椅子に座らせられた。 強引なおばちゃんだけれど、今の璃子にはありがたい。


「これを飲んだら、ちょっとは気分がよくなるよ。」


屋台の裏から戻ってきたおばちゃんがテーブルの上に、オレンジ色飲み物が入ったグラスを置いた。


「すみません。 ご迷惑をおかけして。」

「あんたが謝る事じゃないさ。 あの男の運転が荒いのは昔っからなんだよ。今度、とっちめておいてやるからね。」


おばちゃんが笑いながら袖をまくったたくましい腕をたたいたので、璃子もつられて笑ってしまった。 

 さっきまで、緊張していた肩の力が抜けていく。 単純だと言われるかもしれないけれど、こんないい人がいるのだからやっぱりここは悪い世界ではないと思う。 でも、さっきの「馬車」は何だったのだろう。 確かに宙に浮いていた。 車輪の音がしなかったから、璃子もあれが近付いてくるのに気がつかなかったのだ。 街の様子を見る限り、ここが科学技術の発展したところだとは思えない。 そうすると、やっぱり魔法とかなのだろうか。 確かに以前いった「魔法の国」ではいろんなものが宙に浮いていたりしたけれど。

難しくなってしまいそうな思考を振り払って、目の前のジュースに手を伸ばしかけた璃子はふと或る事に思い当った。 あわてて、カバンの中を探す。 


「ない・・・。」


予想通りというか、カバンの中を隅から隅までみても璃子の探すものはなかった。


「どうしたんだい?」


おばちゃんが心配そうに聞いてきた。 たぶんさっきより一段と真っ青になっている顔をあげて、璃子は恐る恐るカバンから財布を取り出し、中から千円札を引き抜いた。


「あの、このお金、使えますか?」


璃子の手からお札を受け取ったおばちゃんは、目を細めてそれを光にかざした。


「変わった紙だねぇ。 これがお金なのかい?」


帰ってきた絶望的な答えに、璃子はガクンとテーブルに突っ伏した。 今まで別の場所に行ったときは、ルイがいつも生活に困らないだけのお金を渡してくれていた。 今回渡されたのは帰りの切符だけ。 お金の事なんて今の今まで忘れていた。


(ルイのバカヤロー・・・)


にじみ出てきそうな涙をこらえて、璃子は心の中で叫んだ。






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