第7話「敵、ガルド」
その日、空の色が変わった。
朝から雲が低く、風が止まっていた。鳥の声がない。虫の声もない。街道の馬が落ち着かない様子で蹄を鳴らしていた。
自然が、何かを感じ取っている。
俺もそれを感じていた。
認知可視化は人間や魔物に使うものだが、時折、広い範囲の「空気」のようなものも映ることがある。漠然とした感覚だが、今日の空気は——重い。
何かが来る。
リリアも、珍しく黙って歩いていた。剣の柄に手を置いたまま、周囲を窺っている。本能的なものだろう。
セレスが静かに言った。
「……魔力反応、あります。大規模です」
「方角は」
「前方。街道の先——村の方」
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村に近づくにつれ、被害の痕跡が増えた。
道端の木が、根元から薙ぎ倒されている。土が抉れたような跡。家畜小屋の壁が、外側から破壊されている。
逃げてくる村人とすれ違った。
「化け物が……化け物が来た……」
老人が震えながら俺の袖を掴んだ。
「大きな……黒い鎧の男が……魔物を連れて……」
マリアが老人を支えた。「大丈夫です、逃げてください、私たちが向かいます」
俺は村の方を見た。
煙が上がっていた。
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村の広場に出た瞬間、空気が変わった。
そこにいた。
身長は俺より頭一つ半は高い。全身を覆う漆黒の鎧は、光を吸収するように鈍く光っていた。肩幅が異常に広く、腰には大剣が二本、背中にさらに一本。合計三本の剣を携えた男が、腕を組んで俺たちを見ていた。
周囲に魔物が五体。全てBランク以上。
でも、男の存在感が、魔物たちを圧倒していた。
「来たか、勇者」
声は低く、よく通った。感情の起伏がない。怒りでも嘲りでもない——純粋な確認の声だ。
「……ガルドか」リリアが剣を抜きながら言った。「魔王軍の幹部」
「その通り。お前たちの噂は聞いていた」ガルドの視線が俺に向いた。「戦わない勇者、というのがお前か」
「そうだ」
「……面白い」
ガルドが一歩前に出た。地面が微かに揺れた気がした。
「俺はお前が何をしに来たか、大体わかる。説得か、対話か。この世界の歪みを直すとか、そういったことだろう」
「それに近い」
「では言っておく」ガルドの目が、俺を真っ直ぐに見た。「無駄だ」
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俺は認知可視化を発動した。
ガルドの認知が、映った。
——支配への意志。
——「力だけが信頼できる」という確信。
——そして、その奥深くに……傷。
大きな、古い傷。
でも、それを今掘り下げる状況ではない。
「なぜ無駄だ」俺は言った。
「人間は変わらないからだ」ガルドが言った。「俺は長く生きた。魔物の側から人間を見てきた。強い者が弱い者を支配する。弱い者は強い者に媚びる。それが変わったことは、一度もない」
「君は今、強い側にいる」
「そうだ」
「だから、その構造が正しいと思っている」
ガルドが少し目を細めた。
「違うのか」
「力で得たものは、力で失う。その構造は、強い側にも不安定さをもたらす」
「……それが何だ。不安定でも、弱いよりはいい」
「本当にそう思っているか?」
一瞬だけ——本当に一瞬だけ、ガルドの目が揺れた。
俺の認知可視化が、それを確かに捉えた。
でも次の瞬間、ガルドは大剣を一本、鞘から引き抜いた。
「無駄話はここまでだ」
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戦闘が始まった。
ガルドは速かった。あの巨体が信じられないほどの速度で、リリアに向かった。
リリアが受けた。剣が激突する音が、村中に響いた。
リリアの足が、地面を十センチ滑った。力の差が、数字ではなく感覚としてわかった。
「セレス!」
セレスが即座に魔法を放った。氷の槍が三本、ガルドに向かう。ガルドは一本を剣で弾き、二本を鎧で受けた。ひびが入ったが、貫通しなかった。
マリアが後方から回復魔法をリリアにかける。
ガルド配下の魔物たちが動き出した。五体が、俺たちを囲むように展開する。
連携が、取れている。
魔物というより、訓練された兵士の動きだ。
「退け」俺はリリア、セレス、マリアに向かって言った。「囲まれる前に距離を取る」
「でも村人が——」
「村人はすでに逃げている。今は俺たちが生き残ることを優先しろ」
リリアが一瞬だけ躊躇した。でも、状況を読んで頷いた。
三人が後退する。
俺はガルドを見た。
ガルドは追わなかった。村の中央で、腕を組んで俺たちを見ている。
「追わないのか」
「お前たちを今日、殺す気はない」ガルドが言った。「勇者を今殺しても、別の勇者が来るだけだ。俺が見たいのは……お前がどこまでやれるか、だ」
「試しているのか」
「そうかもしれない」
ガルドは大剣を鞘に収めた。
「覚えておけ、天城。この世界は力の論理で動いている。お前の言葉遊びで変わるほど、柔ではない」
そして、魔物たちを率いて、森の奥へと消えていった。
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しばらくの間、誰も動かなかった。
やがてリリアが息を吐いた。
「……強い。今まで戦った中で一番強い」
セレスが魔力を確認するように手を見つめた。
「氷槍が通らなかった。あの鎧は特殊な加工がされています」
マリアが俺の方を見た。
「天城さん……話しかけていましたね、ガルドに」
「少し」
「怖くなかったんですか」
「怖かった」
正直に言った。ガルドの認知には、本物の凄みがあった。長年の確信と、それを裏付ける力が。
でも、俺はもう一つのことが気になっていた。
あの一瞬の揺れ。
「不安定でも、弱いよりはいい」と言ったとき、ガルドの目が揺れた。
力の論理を語るとき、人は揺れない。揺れるのは、その論理に疑問を持っているときだ。
ガルドは——何かを隠している。
力の論理の下に、別の何かがある。
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帰路、全員が無言だった。
リリアは左手を微かに押さえていた。衝撃で痺れているのだろう。マリアがさりげなく並んで歩いた。セレスは少し後ろで、何かを考えている顔だった。
俺は今日のガルドの言葉を反芻した。
「人間は変わらない」。
その言葉の裏に、どれだけの経験があるのか。
変わらないと思っているのか、それとも——変わってほしかったのに変わらなかった、という経験があるのか。
どちらかによって、意味は大きく変わる。
次に会ったとき、聞けるだろうか。
そのときまで、俺は生きていなければならない。
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「力で得たものは、力で失う」
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