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第6話「マリアの優しさ」

 マリアは、誰よりも早く起きる。


 俺が気づいたのは、三日前からだ。夜明け前に廊下を歩く足音がする。宿の厨房で何かをしている音がする。朝食の時間には、テーブルの上に温かい料理が並んでいる。


 宿の朝食は別途出るのに、マリアはそれとは別に、パーティ全員の好みに合わせた小鉢を用意する。リリアには塩気の強いもの。セレスには温かいスープ。俺には、前世の味に近い醤油ベースの何か——どこかで聞いたのだろう、俺の前世が日本人だということを。


 誰も頼んでいない。


 マリアが自分で決めて、自分でやっている。


 俺はそれが、少し心配だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 任務は今日も続いた。


 街道沿いの村から依頼が来ていた。夜ごと出没する魔物——スウォームバット、蝙蝠型の群れだ。単体は弱いが、数十体で行動するため、村人への被害が出ていた。


 現地に着くと、村人が数人、怪我を負っていた。


 マリアが即座に動いた。回復魔法の光が、怪我人の傷口を次々と包んでいく。村人たちが「ありがとう」と言うたびに、マリアの表情が和らいだ。


 俺の認知可視化が、彼女の状態を映す。


 ——充足感。


 ——「役に立っている」という実感。


 ——でも同時に……緊張。「次も期待に応えなければ」という緊張。


 その二つが、マリアの中で絡み合っていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 魔物の討伐は、日没後に行った。


 スウォームバットは夜行性で、洞窟から出てくる。リリアが囮になり、セレスが魔法で群れを分散させ、マリアが後方から回復と補助を担う。


 戦闘は長引いた。


 群れの数が予想より多かった。リリアが消耗し、セレスの魔力が目に見えて落ちてきた。マリアは二人を支えながら、自分の回復魔法を惜しみなく使い続けた。


 途中、マリアが一度、膝をついた。


 消耗だ。回復魔法は術者の魔力を使う。無限ではない。


「マリア」俺が声をかけた。「少し休め」


「大丈夫です。まだ動けます」


「動けることと、動くべきことは別だ」


「でも、リリアさんが——」


「リリアはまだ戦える。今は君が大事だ」


 マリアが俺を見た。困った顔だった。


「私より、みんなの方が大事です」


 俺はそれ以上言わなかった。


 強制はできない。マリアの行動はマリアが決める。ただ、その言葉を俺は聞き逃さなかった——「私より、みんなの方が大事」。


 それは優しさではなく、信念だ。


 「自分は後回しでいい」という信念。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 戦闘が終わった頃、マリアはほぼ限界だった。


 立っているのがやっとという状態で、それでも村人の残りの怪我人に回復魔法をかけようとした。


 俺が、静かに彼女の前に立った。


「今日は終わりだ」


「でも、まだ——」


「マリア」


 俺の声は穏やかだったが、明確だった。


「見てみろ」


 俺は村人たちの方を示した。


「軽傷の人たちは、自分で村の医者のところへ歩いていける。重傷者はすでに処置した。残りは……どうだ」


 マリアが視線を巡らせた。


「……歩けています」


「そうだ。今ここで君が倒れたら、誰が困る?」


 マリアが黙った。


「……みんなが」


「俺たちは大丈夫だ。でも君が倒れたら、俺たちは心配する。その心配は、誰の課題だ」


 マリアの目が揺れた。


 俺の認知可視化に、複雑な反応が見えた。


 ——「自分を心配させてはいけない」


 ——「でも、それは私が我慢すれば解決する」


 ——「……本当に?」


 最後の疑問が、かすかに灯った。


「優しさは消耗じゃない」と俺は言った。「消耗するほど与え続けることは、優しさとは少し違う」


「……どう違うんですか」


「本当の優しさは、自分が満ちているときに、余分を分けることだ。空の器からは、何も出てこない」


 マリアは答えなかった。


 でも、今夜は素直に宿へ戻った。


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 宿に戻り、マリアが先に部屋へ引き上げた後、リリアが俺の隣に座った。


「あんた、マリアに何か言った?」


「少し」


「マリアは……ああいう子なんだよ」


 リリアの声に、珍しく柔らかみがあった。


「昔から。私が最初にパーティを組んだとき、マリアはもうああだった。誰かが怪我したら自分より先に駆けつけて、誰かが落ち込んだら自分が辛くても笑って……私にはできない」


「できないと思うか、それともしたくないと思うか」


「……両方かな」リリアが苦笑した。「あんたの質問、毎回そうやって返してくるよね。答えにくいやつを」


「そうか」


「わざとやってる?」


「少し」


 リリアが小さく笑った。


 俺は少し驚いた。リリアが笑うのは、珍しかった。


「マリアは……幸せなのかな」リリアが呟いた。「ああやって尽くすのが、本当に好きなのか、それとも……」


「それを聞けるのは、マリア本人だけだ」


「そうだね」


 リリアはそれ以上何も言わなかった。


 でも、その問いを持ったこと自体が、俺には十分に見えた。


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 深夜、俺はマリアの認知について考えた。


 「役に立たなければ価値がない」——この信念は、どこから来たのか。


 今日の彼女の行動を見る限り、それは幼い頃から培われたものだろう。誰かに褒められた経験、役に立てたときの喜び——それ自体は悪くない。問題は、それが「条件」になったときだ。


 役に立てた自分は価値がある。役に立てない自分は価値がない。


 その信念が根にあると、人は休めなくなる。


 休むことが「役に立っていない」になるから。


 マリアはまだ、それに気づいていない。


 でも今夜、わずかな疑問が灯った。


 「本当に?」という問い。


 それが育てば、変わる。


 俺はそれを待つことしかできない。


 強制はできない。でも、待つことはできる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「優しさは消耗じゃない」


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