第5話「魔法使いセレス」
セレスが消えたのは、朝食の時間だった。
席に来ない。部屋をノックしても返事がない。宿の主人に聞くと、夜明け前に一人で出かけたという。
マリアが青ざめた。
「どこへ行ったんでしょう……昨日の任務で何か……」
「本人が決めたことだ」
俺は落ち着いて朝食を続けた。
マリアが信じられないという顔をした。リリアは「勝手にすれば」と言いながらも、窓の外を一度だけ確認した。
セレスが「消える」のは、今回が初めてではない。単独行動が増えている、とプロットに書いてあったのではなく——俺自身が、ここ数日でそれを感じていた。食事を一人で済ませる。訓練を別の時間帯にずらす。会話の機会を、さりげなく避ける。
それは意図的だ。
セレスは、距離を「管理」している。
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昼過ぎ、俺はセレスを見つけた。
王都の外れ、古い噴水広場の端に、彼女は一人で座っていた。膝の上に分厚い魔法書を開いているが、目は文字を追っていない。どこか遠くを見ている目だった。
俺は近くのベンチに腰を下ろした。
セレスがこちらを一瞬見て、また視線を本に戻した。
「……なぜここに」
「散歩」
「嘘くさい」
「リリアにも同じことを言われた」
セレスは返事をしなかった。でも、本を閉じなかったのは、追い払う気がないということだろう。
俺はしばらく黙って、噴水を見ていた。水が落ちる音だけがある。人通りの少ない場所だ。セレスがこの場所を選んだのは、偶然ではないだろう。
「一人が好きなのか」
「……邪魔されたくないだけ」
「邪魔するつもりはない」
「じゃあなぜいるの」
「一緒にいたいから」
セレスが俺を見た。怪訝な顔だった。
俺の認知可視化が、彼女の状態を映す。
——警戒。
——「何が目的か」という疑念。
——そして、その奥の……疲労。
人と関わることへの疲労だ。
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「……私と一緒にいたい人間なんていない」
セレスの声は平坦だった。感情を乗せない、事実を述べるような口調。
でも、その言葉の重さは、ちゃんと俺に届いた。
「そう思っているのか、それとも、そう経験してきたのか」
「……どちらも」
「そうか」
俺は続けなかった。
こういうとき、急いで否定するのは逆効果だ。「そんなことない」「俺はそう思わない」——そういう言葉は、相手の認知を変えない。むしろ、「やっぱりわかってもらえない」という壁を強化する。
ただ、受け取った。
セレスがぽつりと続けた。
「子供の頃、魔法が使えた。村では珍しかった。最初は……みんな、近寄ってきた」
「でも」
「でも、怖がられた。物が壊れたり、天気が変わったり……制御が難しかった頃の話。それでも、私のせいにされた。火事があった。私のせいじゃなかったけど、私のせいにされた」
俺は黙って聞いた。
「村を出た。それからは一人の方が楽だった。誰かと関わると、必ず何かが起きる。私のせいにされる。だったら、最初から関わらなければいい」
「——だから、距離を取る」
「そう」
セレスは本を膝の上で閉じた。
「おかしいと思う?」
「おかしくない」
「でも、パーティにいる意味がないと思う?」
「そうは思わない」
セレスが俺を見た。
「なぜ」
「昨日の戦闘で、君が足元を凍らせたとき、リリアが生きた。セレスがいなければ、あの場面は違う結果になっていた」
「……それは、魔法の話」
「人間の話でもある」
セレスが少し黙った。
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風が広場を吹き抜けた。噴水の水が揺れる。
「……天城は、なぜ距離を取らないの」
セレスの問いは、唐突だった。
「どういう意味だ」
「みんなが距離を置く人間に……あなたは近づいてくる。怖くないの」
「何が怖い?」
「関わると、傷つく」
俺は少し考えた。
「傷つくことはある。でも、傷つくかもしれないから関わらない、というのは……少し違うと思っている」
「なぜ」
「傷つくかどうかは、関わってみないとわからない。関わる前から結論を出すのは——未来の出来事を、今の恐怖で決めることだ」
セレスは黙った。
俺の認知可視化に、わずかな揺らぎが見えた。
——「それは……わかる」
——でも、「怖い」
——「怖い」の方が、まだ大きい。
それでいい、と俺は思った。揺らぎが生まれたなら、それで十分だ。
「距離を取るのも選択だ」と俺は言った。「ただ、その選択が本当に君を守っているかどうか、たまに確認してみてもいいかもしれない」
セレスは答えなかった。
でも、本を開かなかった。
俺たちはしばらく、噴水の音を聞いていた。
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夕方、セレスは俺と一緒に宿に戻った。
並んで歩いたわけではない。同じ方向に、少し間隔を空けて歩いた。
でも、それだけで十分だった。
マリアが二人を見て、ほっとした顔をした。リリアは「遅い」とだけ言った。
夕食の席で、セレスはいつもの隅ではなく、テーブルの端に座った。
ほんの少しだけ、近い場所に。
本人が気づいているかどうかは、わからない。
俺は気づいていたが、何も言わなかった。
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夜、俺は今日のセレスの言葉を振り返った。
「関わると傷つく」——これは、過去の経験から導き出された結論だ。間違いとは言えない。実際に傷ついてきた。
でも、過去の経験は、未来の保証ではない。
アドラーはこう言った。「重要なのは何が与えられたかではなく、与えられたものをどう使うかだ」と。
セレスが過去に傷ついたことは、変えられない。
でも、その経験を「だから関わらない」という理由にするか、「だから関わり方を学ぶ」という動機にするかは——まだ、選べる。
今日の揺らぎは、その可能性の入り口だ。
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「距離を取るのも選択だ」
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