第4話「劣等感の正体」
リリアが夢を見ていることは、壁越しに伝わってきた。
深夜、隣の部屋から押し殺したような声が聞こえた。うなされているというより、何かと戦っているような、切迫した音だった。
俺は起き上がらなかった。
他人の夢に踏み込むのは、俺の課題じゃない。
ただ、翌朝の彼女の目の下に濃い隈があったことは、見ていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
その日の午後、俺はリリアが一人で訓練場に向かうのを見た。
宿の裏手に小さな広場がある。冒険者たちが自主訓練に使う場所だ。リリアは木製の標的に向かって、黙々と剣を振るっていた。
俺は少し離れた木陰に腰を下ろして、本を開いた。読む気はなかった。ただ、そこにいた。
しばらくして、リリアが気づいた。
「……見てたの」
「たまたまそこにいた」
「嘘くさい」
「そうかもしれない」
リリアは剣を止めた。汗が額を伝っている。息が少し乱れていた。それでも疲労を見せまいとする、彼女らしい立ち姿だった。
「何が目的」
「特にない」
「じゃあ帰って」
「嫌だ」
リリアが眉を上げた。俺がそういう返し方をするとは思っていなかったらしい。
俺は本を閉じた。
「昨日、何の夢を見た?」
空気が変わった。
リリアの手が、剣の柄をわずかに強く握った。
「……関係ない」
「そうかもしれない。でも聞いた」
沈黙。
リリアは標的に背を向け、地面に腰を下ろした。俺から少し距離を取った場所で、膝を抱える。
「……姉の夢」
俺は何も言わなかった。
「エリアっていうの。五つ上。物心ついたときから、なんでも姉の方が上だった。剣も、魔法も、勉強も、顔も」
リリアの声は、感情を抑えた平坦なものだった。でも、俺の認知可視化には、色が見えていた。
——古い痛み。
——「あの頃の自分」への怒りと哀れみ。
「両親はいつも姉と比べた。『エリアはもうこれができるのに』『エリアの方が筋がいい』。別に悪意はなかったと思う。でも……」
「でも」
「ずっと、足りない気がしてた」
俺は頷いた。
「姉は今どこに?」
「……騎士団にいる。副隊長になった」リリアの口元が、わずかに歪んだ。「バルド団長の右腕よ」
なるほど。
昨日の謁見の間で、バルドの隣に立っていた副騎士団長。あれが、リリアの姉だったか。
俺はその繋がりを指摘しなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
翌日、新たな任務が入った。
街道沿いの集落を荒らすアーマードリザード——爬虫類型の魔物で、アイアンボアに次ぐ難易度だ。今度は複数体の可能性があると、ギルドの情報にあった。
出発前、リリアの動きに緊張があった。昨日よりも、目が険しい。
俺の認知可視化が映す。
——「今日こそ、完璧にやらなければ」
——「また見られている」
後方の監視騎士を意識しているのだろう。あるいは、もっと別の「誰か」を意識しているのかもしれない。
集落の手前で魔物を確認した。三体。思っていたより多い。
「散開して各個撃破」リリアが即断した。「私が中央の大きいやつを引きつける。セレスは左、マリアは後方支援」
「リリア」俺が声をかけた。
「なに」
「三体同時は難しくないか。順番に処理する方が安全だ」
「時間をかけたら集落への被害が出る」
「それは——」
「私が決める」
リリアの目が、俺に向いた。有無を言わせない目だった。
俺は引いた。
彼女の判断は間違っていない。戦術的には正しい側面もある。ただ、その判断の裏にある「動機」が気になった。
——「完璧にやりたい」
——「誰かに認められたい」
それが判断を歪めていないか、という懸念だ。
でも今は言わない。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
戦闘は、リリアの想定通りには進まなかった。
中央の大型リザードを引きつけながら、左の一体にも注意を払う——それは理論上は可能でも、実戦では消耗が速い。リリアの動きが、中盤から明らかに落ちてきた。
セレスは左の一体を魔法で抑えていた。マリアが回復魔法で支援する。
でも、右から迂回してきた三体目が、リリアの死角に入った。
「右!」俺が叫んだ。
リリアが反応した。間に合った——でも、回避の際に体勢を崩した。そこに中央の大型が追撃した。
リリアが防いだ。剣で受けた。でも衝撃で後退した。
俺は動いた。
剣は抜かなかった。
代わりに、認知可視化を最大限に使った。三体の魔物の「動き出しの認知」を読む——どこに向かおうとしているか、何を恐れているか、何を目的にしているか。
そして、声を出した。
「リリア、二歩右!」
「セレス、左の足元!」
「マリア、今!」
三人が反射的に動いた。
俺の「読み」は正確だった。三体の動きがかみ合わなくなり、互いの連携が崩れた。その隙に、リリアが一体を、セレスが一体を仕留めた。残る一体は逃走した。
終わった。
リリアが荒い息を整えながら、俺を見た。
「……今のは」
「状況を読んだだけだ」
「魔物の動きを、読んでた?」
「大体は」
リリアは少し黙った。
俺の認知可視化が映す。
——「勝てた」
——でも、「完璧じゃなかった」
——そして……「助けてもらった」という複雑な感情。
勝利と、満たされなさが、同時にある。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
帰路、リリアは俺の横を歩きながら、ぽつりと言った。
「勝っても……なんか、すっきりしない」
「そうか」
「前もそうだった。勝っても、次の戦いが気になって。もっと強い相手がいて。終わらない感じがする」
俺は少し間を置いてから、言った。
「それは、勝つことが目的じゃないからだと思う」
「どういうこと」
「勝つことで、何かを証明しようとしている。でも、証明は一度じゃ終わらない。次も、また次も、証明し続けなければならない。だから終わらない」
リリアが足を止めた。
俺も止まった。
「……何を証明しようとしてるって言いたいの」
「それは、君が知ってる」
リリアの目が揺れた。
俺の認知可視化には、はっきりと見えていた。
——「姉に負けていない」ということ。
——「比べられた自分には価値がある」ということ。
でも、それを口にするのは俺の仕事じゃない。
人は、自分で気づくしかない。俺が言えるのは、気づくための問いを置くことだけだ。
「……意地悪ね」
リリアが歩き出した。
「そうかもしれない」
「でも……少し、わかった気がする」
その声は、小さかった。
俺は聞こえないふりをした。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
夜、俺は今日のことをまとめた。
リリアの劣等感は、姉との比較から来ている。でもその根には、「比較する文化」がある。両親が悪意なく比較した。社会が強さで価値を測る。そういう環境の中で、彼女は「勝てない自分には価値がない」という信念を作り上げた。
信念は、事実じゃない。
でも、本人には事実と同じように感じられる。
それを崩すには、時間がかかる。
一度の会話では変わらない。
でも今日、リリアは「すっきりしない」と言った。
それが始まりだ。
自分の感情に疑問を持てるようになったとき、人は変わり始める。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「他人と比べる限り、終わりはない」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




