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第3話「剣士リリア」

 次の任務が下りたのは、三日後だった。


 王都の東、ハーデン街道沿いに出没する魔物の討伐。グレイウルフより格上の、アイアンボアと呼ばれる鎧のような外皮を持つ巨大な猪型魔物だ。冒険者ギルドの評価でBランク相当。パーティ戦を想定した相手だった。


 バルドの命令は明確だった。「今度こそ、戦え」。


 監視の騎士が一人、後方につけられた。報告役だ。


 リリアは出発前から気合が入っていた。白銀の剣を丁寧に磨き、革鎧の紐を締め直し、俺をちらりと見て「今日は邪魔しないで」と言った。


 俺は「わかった」と答えた。


 嘘はついていない。邪魔するつもりはない。ただ——状況次第だ、とは思っていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 街道を二時間ほど歩くと、踏み荒らされた跡が見えてきた。


 大木が根元から折れている。地面に深い蹄の跡。周囲の草が、何かの体液で変色していた。


 セレスが魔法で気配を探る。


「……東、五十メートル。単体です」


「よし」リリアが剣を抜いた。「私が前に出る。セレスは支援魔法、マリアは後方待機。天城は——」


 リリアは少し間を置いた。


「……好きにしてて」


 それが彼女なりの妥協だった。俺に期待するのをやめた、という意思表示でもある。


 俺は頷いた。


 森の中を進む。枝を踏む音を最小限に抑えながら、リリアが先頭を歩く。その動きは洗練されていた。剣士として、彼女は本物だ。重心が低く、常に次の動作への準備ができている。


 認知可視化が、彼女の状態を映す。


 ——集中。


 ——高揚。


 ——そして、その奥に……焦り。


 俺は黙っていた。


 茂みを抜けた先に、それはいた。


 アイアンボア。肩までの高さが俺の胸あたりまである、黒い外皮に覆われた巨体。両牙が月光を反射してぎらりと光る。鼻先から白い息を吐きながら、こちらを睨んでいた。


 リリアが一瞬だけ、息を呑んだ。


 でも、足を止めなかった。


「行く!」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 リリアの突撃は速かった。


 地面を蹴る音すら消えるような踏み込みで、一気に間合いを詰める。白銀の刃が弧を描き、アイアンボアの首元を狙う——しかし、外皮が弾いた。


 金属音。火花。


 リリアが舌打ちして飛び退る。


「硬い……!」


「関節部を狙ってください」セレスが冷静に言いながら、魔法陣を展開する。「外皮の継ぎ目——右前脚の付け根です」


 リリアが頷く。再び踏み込む。


 アイアンボアが突進してきた。


 質量が違う。速度が違う。


 リリアは横に跳んで躱したが、その動きが少し遅れた。アイアンボアの肩が、彼女の左腕をかすった。


 鈍い音。


 リリアが転がる。立ち上がった瞬間、左腕を押さえた。血が滲んでいる。


「リリアさん!」マリアが回復魔法を発動しようとする。


「来るな!」


 リリアが怒鳴った。


 その声には、痛みよりも——意地があった。


 俺の認知可視化が、鮮明に映す。


 ——「ここで助けられたら負けだ」


 ——「一人でやらなければ、価値がない」


 俺は動かなかった。


 マリアが俺を見た。「天城さん、止めなくていいんですか」という目だ。


 俺は首を横に振った。


 リリアは再び剣を構えた。左腕が震えている。でも、目は揺れていない。


 セレスが支援魔法を放つ。リリアの剣が淡く光る。


 二度目の突進。リリアは今度は避けずに、横に滑り込みながら右前脚の付け根に剣を叩き込んだ。


 アイアンボアが鳴き声を上げた。


 でも、倒れない。


 三度目の突進が来た。


 リリアは避けきれなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 衝撃音。


 リリアの体が、大きく吹き飛んだ。木の幹に叩きつけられ、ずるりと地面に崩れる。


 マリアが悲鳴を上げた。


 セレスが魔法を放った。氷の柱がアイアンボアの足元を凍らせ、動きを封じる。


 俺はその間に、リリアの元へ歩いた。走らなかった。


 リリアは意識があった。壁に背を預け、肩で息をしている。左腕の傷が広がっていた。


「……来なくていい」


「来た」


 俺はリリアの隣に膝をついた。


「マリア、頼む」


 マリアがすぐに駆けてきて、回復魔法を発動する。光が傷口を包む。リリアは拒絶しなかった。する余裕がなかったのかもしれない。


 アイアンボアは凍結から抜け出しかけていた。セレスが追加の魔法を重ねながら、こちらを一瞥した。「仕留めますか」という目だ。


「頼む」


 セレスの魔法が、今度は収束した。単純な氷の拘束ではなく、精密な魔力の刃——外皮の継ぎ目を正確に貫く一撃。


 アイアンボアがどうと倒れた。


 沈黙。


 リリアは俺を見た。その目に、様々なものが混じっていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……なんで止めなかったの」


 リリアの声は低かった。


「止める理由がなかった」


「負けそうだったでしょ」


「君は戦いを選んだ。その選択は君のものだ」


「……そのせいで怪我した」


「そうだ」


 リリアが黙る。


 俺は続けた。


「一つ、聞いていいか」


「……なに」


「何のために戦う?」


 リリアの表情が、止まった。


 怒るかと思った。「そんなこと関係ない」と吐き捨てるかと思った。でも、彼女は——固まった。


 俺の認知可視化が映す。


 ——「わからない」


 ——「考えたことがなかった」


 ——混乱。


 リリアは視線を地面に落とした。


「……強くなるため」


「何のために強くなる?」


「それは……」


 沈黙。


 マリアが回復魔法を終えて、少し離れた場所に下がった。セレスは後片付けをしながら、耳を傾けているようだった。


「……負けたくないから」


「誰に?」


 また、沈黙。


 今度は長かった。


 リリアは答えなかった。でも、その沈黙が答えだった。


 俺は立ち上がりながら言った。


「今日の戦いは、悪くなかった」


「負けた」


「一人でBランク魔物に挑んで、最後まで諦めなかった。それは本物だ」


「……慰めはいらない」


「慰めじゃない。事実だ」


 リリアは俺を見上げた。


 何か言おうとして、やめた。


 代わりに、ゆっくりと立ち上がった。左腕はまだ少し痛そうだったが、剣を鞘に収める動作は確かだった。


 後方で見ていた監視の騎士が、手帳に何かを書き記していた。


 俺はそれを気にしなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 帰路、リリアは俺の隣を歩いた。


 少しだけ、距離が縮まっていた。


 本人は気づいていないだろう。


 俺も、指摘しなかった。


 ただ並んで歩きながら、俺はもう一度だけ、あの問いを心の中で繰り返した。


 ——何のために戦う?


 この問いは、リリアだけへのものじゃない。


 勇者として召喚された俺自身への問いでもある。


 俺が戦うのは——対話するのは——何のためか。


 世界のため、という答えは綺麗すぎる。


 本当のところは、目の前の人間が少しだけ楽になるのを見たいから、だ。


 それだけで十分だと思っている。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「勝つことと価値は別だ」


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