表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/18

第17話「マリアの選択」

 限界が来たのは、次の村だった。


 名前のない、地図にも載っていない小さな集落。十数軒の家が寄り集まっただけの場所。


 着いたとき、村人のほぼ全員が、広場に座り込んでいた。


 目が虚ろで、互いに言葉もない。子供が泣いているのに、親が反応しない。犬が吼えているのに、誰も気にしない。


 マリアが真っ先に駆け寄った。


「大丈夫ですか。怪我はありますか——」


 誰も答えない。


 マリアが子供の隣に膝をついた。子供は泣きながら、母親の袖を引いていた。母親は空を見たまま、動かなかった。


 マリアが回復魔法を発動した。光が母親を包んだ。


 一瞬、目が動いた。でも、すぐに戻った。


 マリアが別の人間に移った。回復魔法。また戻る。


 また別の人間へ。また戻る。


 マリアの手が震え始めた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 俺はマリアの後ろに立っていた。


 止めるべきか。


 俺の中で、葛藤があった。


 マリアは今、全力を使っている。これは彼女の選択だ。俺が止めることは——彼女の課題に踏み込むことだ。


 でも、このまま使い続ければ、また倒れる。


 前回と同じことを繰り返す。


 俺は声をかけた。


「マリア」


 マリアは止まらなかった。


「マリア」


 また止まらなかった。


 俺はマリアの前に回り込んだ。目が合った。


 マリアの目には、俺は見えていなかった。村人の顔だけを見ていた。


「……まだいる。まだいる人がいる」


「マリア、聞いてくれ」


「でも——」


「聞いてくれ」


 マリアが、ようやく俺を見た。


 目が赤い。いつから泣いていたのか。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「この人たちを、全員助けたいか」


「……当然です」


「お前の回復魔法は、身体を治す。でも、この人たちが失っているのは——立ち上がる理由だ」


「わかってます。それでも、今できることをするしかない——」


「できることと、やるべきことは違う」


 マリアが黙った。


 俺は続けた。


「お前が今、全員に回復魔法をかけても、一時間後に元に戻る。それを見てきた」


「でも何もしないよりは——」


「本当にそうか」


 マリアが俺を見た。


「お前が回復魔法をかけ続けることで、村人たちは——自分で立ち上がる機会を失う可能性がある」


「……どういうことですか」


「お前が来るたびに、楽になる。でも、お前がいなくなれば元に戻る。それは、お前への依存を生む。本人が自分の力で立ち上がる代わりに、お前に依存するようになる」


 マリアの顔が、止まった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 長い沈黙があった。


 広場の子供の泣き声が、続いていた。


 マリアが俯いた。


「……私は……」


 声が出なくなった。


 俺は待った。


「私は……今まで、ずっと……誰かの痛みを取り除くことで、自分が価値を感じていた。誰かが楽になるたびに、私も楽になった。でも……」


「でも」


「……それは、相手のためだったのか。それとも……自分が楽になりたかっただけなのか」


 その問いを、マリアが自分で立てた。


 俺が植えた問いではない。マリアが自分で育てた問いだ。


「……両方だと思う」俺は言った。「相手のためでもあり、自分のためでもある。それは、悪いことじゃない」


「でも……今それをすることで、相手の自立を邪魔しているとしたら」


「そうなら、やり方を変える必要がある」


「……どう変えれば」


「それを、今、一緒に考えている」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 マリアが顔を上げた。


 泣いていたが、目に何かが灯っていた。


 広場を見渡した。


 虚ろな村人たち。泣いている子供。動かない母親。


 マリアが立ち上がった。


 でも、回復魔法は発動しなかった。


 代わりに、子供の前に膝をついた。


「……名前は?」


 子供が泣きながら、マリアを見た。


「……ロン」


「ロン、お母さんが心配だね」


「……うん」


「お母さんに、話しかけてみて。ロンの声は、きっと届くから」


 子供が戸惑った顔をした。


「……でも、話しかけても、返事しない」


「返事がなくても、届いてる。ロンの声は、お母さんにとって一番大事な声だから」


 子供がゆっくりと母親の方を向いた。


「……お母さん」


 母親が動かない。


「……お母さん、ロンここにいるよ」


 数秒の沈黙。


 母親の目が、かすかに動いた。


 子供の顔を見た。


 ゆっくりと、手が伸びた。子供の頭に、触れた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 俺は、それを見ていた。


 マリアは何もしなかった。


 回復魔法も、手を貸すことも、何も。


 ただ、子供に言葉を渡した。


 子供が動いた。


 子供の声が、母親に届いた。


 母親が動いた。


 それだけだった。


 でも——確かに、何かが変わった。


 リリアが俺の隣に来て、小さく言った。


「……マリアが、変わった」


「そうだな」


「いつもと、違う」


「そうだな」


「何が変わったんだ」


 俺は少し考えた。


「自分が助けることをやめて——相手が自分で動くことを、信じた」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 その後、マリアは広場を歩き回った。


 回復魔法は使わなかった。


 ただ、虚ろな人々の隣に座り、話しかけ、時に笑い、時に静かに傍にいた。


 全員が動いたわけではない。


 でも、二人が、三人が、ゆっくりと顔を上げた。


 子供たちが、少しずつ声を出し始めた。


 その声が、親に届いた。


 親が動き、声が広がり——広場が、少しずつ、人間の空間に戻っていった。


 虚無王の影響が、薄れていくのを俺は感じた。


 消えたわけではない。でも、小さくなった。


 人が動き始めると、虚無は退く。


 それがこの世界の法則だ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 夜、マリアが俺のところに来た。


「……怖かったです」


「何が」


「助けないことが。目の前に苦しんでいる人がいて、何もしないことが——こんなに怖いとは、思わなかった」


「でも、やった」


「……やりました」マリアが少し笑った。「天城さんが、ずっと言っていたことが、今日少しだけわかった気がします」


「何が」


「助けることと、信じることは、違う。助けることは、相手が無力だという前提に立つことがある。でも、信じることは——相手が動けると思って、待つこと」


 俺は頷いた。


「……怖いですね、待つのって」


「そうだな」


「でも……信じることの方が、本当の優しさかもしれない」


 マリアの声は、確信ではなく、問いに近かった。


 でも、その問いが、今日のマリアのものだった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「信じるとは、任せること」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ