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第13話「変化の兆し」

 エルセ村での一週間は、静かに過ぎていった。


 魔物の出没は続いていたが、農家グループと鉱業グループが別々に動かなくなったことで、森への無用な侵入が減り、被害の頻度は下がった。


 完全ではない。村の問題は、まだ続いている。


 でも俺たちは、この村に居続けることはしなかった。俺の仕事は、解決することではなく、変化の足がかりを作ることだと思っていた。


 答えを全部置いていくのは、相手の自立を妨げる。


 ゴードに別れを告げた朝、老人は静かに頭を下げた。


「……また来てくれ」


「機会があれば」


「必ず来い」


 俺は笑った。


 珍しく、素直に笑えた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 次の街へ向かう道中、セレスが俺の隣を歩いた。


 いつもは少し後ろ、あるいは少し横という位置を取るセレスが、並んで歩いている。本人は意識していないかもしれない。


 しばらく歩いてから、セレスが言った。


「……エルセ村のことを考えていた」


「何を」


「ヴェラが先に動いた理由。孫の顔を見たから、と言っていた」


「そうだ」


「……誰かのための行動と、自分のための行動は、違うものだと思っていた」


「どういう意味だ」


 セレスが少し考えた。


「誰かのためだと、続かない、と思っていた。相手に左右される。でも、ヴェラは孫のために動いて、それが自分の答えになった」


「そうだな」


「……それは、誰かと繋がることで、自分の行動の理由が生まれる、ということ?」


 俺は少し驚いた。


 セレスが自分から、関係についての問いを立てている。


「そう言える、かもしれない」


「でも……繋がると、傷つく」


「傷つくこともある」


「それでも……繋がる理由になるのか」


「なる人もいる。ならない人もいる。どちらが正しいということはない」


 セレスが黙った。


 俺は続けた。


「ただ、一つだけ聞いてもいいか」


「……なに」


「今、ここで俺の隣を歩いていることは、どんな感じだ」


 セレスが少し止まった。


 歩きながら、少し考えた。


「……普通」


「普通か」


「……悪くない、という意味で」


 俺は頷いた。


「それで十分だ」


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 次の街はブレイグという小さな商業都市だった。王都と違い、様々な種族と出身地の人間が集まる、混沌とした活気がある。


 宿を取り、翌日から情報収集を始めた。


 この辺りで魔物の出没が増えているという情報は正確だったが、それ以上に気になる話を耳にした。


 「人が変わった」という話だ。


 以前は温厚だった人間が、突然攻撃的になる。家族が仲良かった家庭で、急に激しい口論が起きる。長年の友人同士が、些細なことで絶交する。


 魔物の影響か、あるいは——魔王の影響か。


 この世界で認知が現実に影響するなら、逆もある。何かが人間の認知を歪めている可能性がある。


 俺はその情報を頭の片隅に入れておいた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 宿の食堂でセレスと情報を整理していたとき、見慣れた顔が入ってきた。


 セレスが気づかなかったのか、入り口の方を向いたまま、声を出した。


「……リリアと、マリアが戻った」


 二人は市場に買い出しに行っていた。


 リリアが荷物を置きながら、セレスに言った。


「あんた、今日ずっと天城と一緒にいたの?」


「……情報収集をしていた」


「そういうこと言ってない」


 セレスが少し不思議そうな顔をした。


「何の問題がある?」


「問題とは言ってない。ただ……前は一人でいたじゃない」


 セレスが少し考えた。


「……前は、一人でいた方が楽だった」


「今は?」


「今は……まだわからない。でも、一人でいることを選ばなかった」


 リリアが少し目を丸くした。


 マリアがにっこり笑った。


 セレスは自分の言葉に気づいたのか、少し顔を逸らした。照れているのか、あるいはただ視線が合いたくないのか——どちらにせよ、珍しかった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 夕食の時間、四人が同じテーブルに座った。


 以前は、全員が同じテーブルでも、それぞれが別の方向を向いていた。今は違う。


 話題は他愛もないことだった。市場で見た変わった野菜、リリアが負けた腕相撲の話、マリアが泣きながら笑った子供の顔。


 セレスは多くを話さなかったが、時折、短い言葉を挟んだ。


 その短い言葉が、会話を動かした。


 俺は気づいていたが、言わなかった。


 言葉にした瞬間、人は意識して、元に戻ることがある。


 変化は、静かに育てた方がいい。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 夜、俺が部屋に戻ろうとすると、セレスが廊下に立っていた。


「……少し、いいか」


「どうした」


 セレスが窓の外を見た。星空が見えた。


「天城は……なぜ、人を信じられるの」


 俺は少し考えた。


「信じられる、というより——信じることを選んでいる」


「違いは」


「信じられるかどうかは、確認できない。でも、信じるかどうかは、選べる」


 セレスが黙った。


「……裏切られたら?」


「それはそのとき考える。起きる前から考えても、答えは出ない」


「……臆病じゃないの?」


「臆病だよ」俺は正直に言った。「怖いのに、それでも選んでいる。それだけだ」


 セレスが俺を見た。


「……あなたも怖いの」


「ある」


「……そうか」


 セレスは何か言おうとして、やめた。代わりに、窓から顔を背けた。


「おやすみ」


「おやすみ」


 セレスが部屋に戻った。


 俺は廊下に残って、少しだけ星を見た。


 あの一言は、セレスにとって大きな問いだったと思う。


 「あなたも怖いの」——それは、「怖いのは自分だけじゃないのか」という問いだ。


 孤独を確認したい気持ちと、孤独でないことを確認したい気持ちが、混在していた。


 俺は「怖い」と答えた。


 それが、今日セレスに渡せた一番大事なものだと思った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 翌朝、セレスはいつもと同じ時間に起きて、いつもと同じように食堂に来た。


 変わったことは何もなかった。


 ただ、席がいつもより少しだけ、中央に近かった。


 誰も気づかなかった。俺だけが、気づいていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「信頼は一瞬じゃない」


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