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第10話「限界」

 リリアが怪我で動けない間、マリアは休まなかった。


 朝は一番早く起き、食事を用意し、リリアの回復状態を確認し、薬草の配合を調べ、包帯を換え、夜は最後まで起きている。


 俺はそれを見ていた。


 止めなかった。


 止めることが正解ではないと思っていた。でも、限界が近いことも、わかっていた。


 人は、限界の手前では気づかない。


 限界に来て、初めて気づく。


 今のマリアは、その手前にいた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 四日後、大規模な魔物の出現報告が入った。


 王都から二つ隣の街——ルークス——で、複数の魔物が同時発生しているという。住民への被害が出ており、ギルドから緊急の支援要請が来た。


 リリアはまだ動けなかった。肋骨の回復には、もう数日かかる。


 残りは俺、セレス、マリアの三人。


「行けるか」俺はマリアに聞いた。


「もちろんです」


 答えは速かった。速すぎた。


 俺の認知可視化が映す。


 ——消耗。


 ——魔力の枯渇に近い状態。


 ——それでも「行かなければならない」という強迫的な義務感。


「無理はするな」


「大丈夫です」


「大丈夫かどうかを判断するのは——」


「私です。わかってます」


 マリアが先に歩き出した。


 俺とセレスは、目を合わせた。


 セレスがかすかに首を振った。「止められない」という意味だ。


 俺も同意した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 ルークスに着くと、状況は思ったより深刻だった。


 街の北端から三つの魔物が、別々の方向から住民を追い詰めていた。スウォームバット、ウォーベア一体、そして名前のない中型の魔物——おそらく新種か、変異種。


 住民の怪我人が七人。二人は重傷。


 マリアが動いた。


 まず重傷の二人に回復魔法をかけた。次に残りの五人へ。そして戦闘中に傷を負った街の衛兵二人へ。


 俺はセレスと連携して、ウォーベアと変異種を引きつけた。セレスの魔法が変異種を足止めし、俺が認知可視化でウォーベアの動きを先読みしながら誘導した。スウォームバットは衛兵たちが対応した。


 戦闘は三十分ほどで収まった。


 でも、戦闘が終わった後も、マリアは止まらなかった。


 軽傷の住民、怯えて震えている子供、倒れた衛兵——次から次へと回復魔法をかけ続けた。


 俺の認知可視化が、マリアを映す。


 ——魔力残量、限界以下。


 ——体力も、底を尽きかけている。


 ——それでも「まだいる、まだいる」という認知が止まらない。


「マリア」俺が声をかけた。


「少し待ってください、あと——」


「マリア、止まれ」


「でも、あそこにまだ——」


 マリアが一歩踏み出した瞬間、膝が崩れた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 俺が支えた。


 マリアは俺の腕の中で、それでも顔を上げようとした。


「まだ……やれます……」


「やれない」


「でも……あの人たちが——」


「街の医者がいる。衛兵もいる。みんなが君一人に頼っているわけじゃない」


 マリアが俺を見た。目が潤んでいた。疲弊と、何か別のものが混じった目だった。


「……私が倒れたら、誰も助けられない」


「今のお前は、もう助けられない状態だ」


 その言葉は、きつかった。


 マリアの目から、涙が落ちた。


 俺はそれを拭わなかった。ただ、支えていた。


「……役に立てなかった」マリアが呟いた。「こんなにたくさん人がいるのに、全員を回復できなかった」


「全員回復できる状態じゃなかった。それは君の問題じゃない」


「でも、私がもっと——」


「マリア」


 俺は静かに言った。


「お前は今日、七人に回復魔法をかけた。そのうち二人は、お前がいなければ命を落としていたかもしれない。それは本当のことだ」


「……でも」


「でも、お前が倒れた。それも本当のことだ」


 マリアが泣いた。声を立てずに、静かに泣いた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 セレスが静かに近づいてきた。


 マリアの肩に、そっと手を置いた。


 セレスらしからぬ動作だった。マリアが驚いて顔を上げると、セレスは目を逸らしながら言った。


「……今日は十分やった」


「セレスさん……」


「それだけ」


 セレスはすぐに手を引いた。でも、その一言と一瞬の接触が、マリアの涙を少し変えた。


 悲しみの涙から、少しだけ違う何かの涙に。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 宿に戻り、マリアを部屋に連れて行った。


 横になったマリアは、天井を見ながら言った。


「……天城さん、私は何のために癒しているんでしょう」


「どういう意味だ」


「役に立ちたいから、癒している。でも……誰かに認めてもらいたいから、やっているのかな、って。今日倒れたとき……ふと、思って」


 俺は答えなかった。


 少し間を置いてから、聞いた。


「癒したとき、どんな気持ちになる」


「……嬉しいです。相手が楽になるのが、嬉しい」


「その嬉しさは、相手の反応があったときだけか」


 マリアが考えた。


「……それだけじゃない、かな。誰かが楽になること自体が、嬉しいのかもしれない」


「なら、それが本当の理由じゃないか」


 マリアが俺を見た。


「でも……役に立たなければ価値がない、って思ってるのも、本当なんです」


「二つあっていい。本当の動機と、恐怖から来る動機は、同時に存在できる」


「……どっちが正しいんですか」


「どちらも本物だ。でも、どちらを選ぶかは、君が決める」


 マリアが目を閉じた。


 疲弊の中で、何かを考えている顔だった。


 俺は部屋を出た。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 廊下に出ると、セレスが壁にもたれて立っていた。


「……聞いてたのか」


「少し」


「どう思った」


 セレスが少し考えた。


「……マリアは、私と違う。私は距離を取ることで自分を守る。マリアは近づくことで自分を守っている。でも、どちらも——消耗する」


「そうだな」


「自分を守るのが、こんなに難しいとは……知らなかった」


 セレスの声は、自分自身に向けているようだった。


 俺は何も言わなかった。


 その言葉は、セレス自身の気づきだから。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「背負うほど、救えなくなる」


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