11:20 光の粒子
十二月の乾いた冬の光が、高い位置に設けられた上げ下げ窓から燦々と降り注いでいた。
私立御影美術館。明治時代に建てられた洋館を改装したその建物は、赤煉瓦の重厚な外観とは裏腹に、館内は柔らかな自然光と暖房のぬくもりに満たされている。
エントランスから伸びる長い回廊は、飴色に磨き上げられた寄木細工の床が奥へと続いており、その表面は鏡のように滑らかだ。等間隔に並んだ窓からは、冬の鋭い日差しが斜めに差し込み、窓枠の影が床の上で規則正しい幾何学模様を描いている。その光の帯の中を、舞い上がった微細な塵がきらきらと遊ぶように漂っていた。
壁面は腰の高さまで落ち着いた色調の木材で覆われ、その上には漆喰の白壁が滑らかな曲線を描いて天井へと繋がっている。
「ねえ葵翔君、見て。この回廊の天井、すっごく高い」
隣を歩くすみれが、弾むような声で葵翔の袖を引いた。
今日の彼女は、この歴史ある洋館の雰囲気に合わせた、上品なクラシカルスタイルだ。柔らかなアイボリーのロングコートの前を開け、中には淡いグレーのツイードワンピースを合わせている。膝上丈のスカートから伸びる脚は、ほんのりと肌が透ける絶妙な厚さのタイツに包まれていた。足元は館内に響かないよう、あえてヒールの低いエナメルのワンストラップシューズを選んでいるのが、いかにも育ちの良い彼女らしい気遣いだった。
彼女が白魚のような指先で示したのは、館自慢のアーチ状の天井だった。連続するヴォールト構造が、回廊に奥行きとリズムを与えている。
「本当だ。開放感があるね。当時の建築様式をそのまま残してるのかな」
「そうそう。あの梁の彫刻とか、現代じゃ再現できない職人技よね」
すみれは目を輝かせて天井の装飾を見上げている。
その視線の先、アーチの頂点近くの白壁に、一際存在感を放つ古びた壁掛け時計が鎮座していた。
飴色に燻されたナラ材の筐体は、この建物の歴史と同じだけの時を刻んできたのだろう。ガラスの向こうでは、真鍮製の振り子が重力に従って厳格な往復運動を繰り返している。文字盤に配されたローマ数字は色褪せているが、黒く太い長針と短針は、今の時刻――十一時二十分を正確に指し示していた。
カチ、コチ、という乾いた駆動音が、静まり返った回廊に規則正しく響き、舞い上がる塵のリズムを支配しているようだった。
窓から射し込む冬の淡い陽光が、彼女の長い睫毛を金色に縁取り、その茶色の瞳の奥には、回廊の突き当たりにあるステンドグラスから零れる色彩が、万華鏡のように映り込んでいた。
葵翔に向けられる無防備な笑顔に、自然と頬の筋肉が緩むのを感じる。
大学での勉強漬けの日々を忘れ、こうして彼女と過ごす穏やかな時間だけが、今の彼にとっての救いだった。
「葵翔君、どうしたの? ぼーっとして」
「え? ああ、いや……すみれが楽しそうでよかったなって」
「ふふ、何それ。お姫様扱い?」
すみれは口元に手を当てて上品に笑うと、呆れたように、けれど親しみを込めて葵翔の二の腕あたりを軽く叩いた。
甘えるようなフェザータッチ。ふわり、と彼女が愛用している柑橘系の香水の匂いが鼻先を掠め、古びた建物の乾いた匂いと混じり合う。
長い回廊を抜け、重厚な観音開きの扉をくぐると、ふっと空気の密度が変わった。
常設展示室。そこは、回廊の開放的な明るさとは対照的な、静寂と陰影の空間だった。
高い天井には当時の意匠を凝らした漆喰のレリーフが施されているが、照明は作品保護のために極限まで落とされている。壁面を覆うのは、光を吸い込むような深い苔色のビロードだ。その暗闇に浮かぶように、重厚な金色の額縁に収められた十九世紀のフランス風景画たちが整然と並んでいる。
床は黒光りするダークウォールナットのヘリンボーン張りで、二人の足音を吸い込むように鈍く響かせた。
温度と湿度が厳密に管理された人工的な冷気。古い油絵具とニスの匂い。まるでここだけ時間が止まったような、美しくも息苦しい場所だった。
その中の一枚――ピンスポットライトに照らされ、夕暮れの湖畔を描いたひときわ大きな油彩画の前で、すみれがピタリと足を止めた。




