11:52:40 迷路
すみれは、次に制服姿の男へと向き直った。指揮棒を振るように、彼女の指先が空中で滑らかに動く。
「状況を整理させてください。……警備員さん、この修復室エリアへ通じるルートは、今私たちが通ってきた場所以外にもあるのですか」
「ええ、全部で三箇所あります」
警備員が答える。彼は職務上の責任感からか、背筋を伸ばして淀みなく説明を始めた。
モニター室前のメインルート、事務局奥の連絡通路、そしてレストラン裏の階段。美術館の構造図が、葵翔の頭の中で立体的に組み上がる。
「私たちは十一時三十分に展示室で館長とお話ししました。その後の目撃情報と、それから発見までの間、不審な出入りは?」
「メインルートは私が監視していました。十一時三十分に館長が退室されて以来、誰も通っていません」
警備員はモニターの映像を脳内で再生するように虚空を見つめ、断言した。
「スタッフの出入りも、不審者の侵入もありません。館長が出て行かれた後、ずっと無人の廊下が映っていただけです」
「では、地下の通路や、空き部屋に誰かが潜んでいた可能性は?」
すみれが、天井の隅や壁の向こう側を見透かすような視線で問う。
だが、警備員は即座に首を横に振った。
「あり得ません。この地下通路は装飾のない一本道で、身を隠せるような死角はない。それに倉庫や機材室といった他の部屋はすべて施錠されており、鍵の管理は館長が徹底していました。私が駆けつけた時、廊下には人っ子一人いませんでした」
「……いえ、待ってください」
警備員の断言を遮るように、事務長がおずおずと口を挟んだ。
「警備員さんは見ていないと思うが……。館長は来ていましたよ」
「え?」
警備員が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「事務局側は、誰かが通れば私の席から足音が聞こえる。四十五分頃、裏の連絡通路を歩く足音が聞こえた直後に、館長が『変わりないかね』とドアを開けて顔を出されたよ。その後、修復室へ向かわれた。聞こえたのはそれきりだ」
「なるほど。事務局側のルートから戻られたのか。それなら私のモニターには映らない」
警備員は帽子を目深に被り直した。
「レストラン側の入り口についても、給仕長の山岡さんが立っていました。誰か通れば気づくはずです」
警備員の言葉を受け、すみれが給仕長に向き直る。
黒いベストに蝶ネクタイ姿の給仕長は、場違いなほど整った身なりをしていたが、その表情は疲労の色が濃かった。地下まで全速力で走ってきた息切れが、まだ完全には収まっていない。
「山岡さん。あなたが事務長からの電話を受けたのは、何時頃でしたか?」
「……左様でございますね。電話機の表示を見たので覚えています。正確には十一時四十八分でした」
給仕長の沈痛な声が続く。彼の記憶の正確さが、逆に逃げ道を塞いでいく。
メインルート、事務局、レストラン。三つの侵入経路は、それぞれの証言によって完全に潰された。
外部からの侵入は不可能。犯人は、最初からこの閉鎖空間の中にいた人間か、あるいは煙のように壁をすり抜けて消えたか。
論理的にあり得ない状況が確定していくにつれ、すみれの口元が微かに、本当に微かに緩むのを葵翔は見た。彼女にとってこの不条理な状況は、恐怖の対象ではなく、解き明かすべき魅力的な謎として映っているようだった。




