11:52 共犯
思考が熱を帯びて空回りし、視界の端が明滅するような焦燥感だけが募っていく。
葵翔の目の前、指一本伸ばせば届く距離にある真鍮製のフックには、例の黒い糸が何重にも巻き付いたままだった。無機質な銀色の金具に絡みつくその黒い線は、葵翔にとって、破裂寸前の時限爆弾の導火線そのものに見えた。
制服姿の警備員が、葵翔の肩を強い力で握ったまま、背後へ振り返った。その太い指が肉に食い込む痛みが、葵翔の焦りをさらに加速させる。
警備員は、突如として響いた冷静な声の主を睨みつけた。
「な、なんだ。邪魔をするな。現場保存のために閉め出すんだ」
「今、全員で外へ出てしまえば、お互いのアリバイが曖昧になります」
すみれは、さも当然の理屈であるかのように小首を傾げた。
その涼やかな表情に、先ほどまで葵翔に頼っていた甘えるような弱さは微塵もない。
「警察が到着するまで、誰も部屋から出ないでください。誰かが証拠を持ち出したり、隠滅したりしないよう、全員で監視し合うのです」
すみれの透き通るような声は、地下室の淀んだ空気を切り裂き、警備員の頬を引き攣らせた。
彼女が提示した可能性――もし誰か一人が外に出た隙に、隠し持った凶器を闇に葬ったら。あるいは、未だ発見されていない鍵をどこかへ隠蔽したら。
その最悪のシナリオを想像したのか、警備員は言葉に詰まり、額に滲んだ脂汗を手の甲で乱暴に拭った。彼は判断を仰ぐように、傍らで立ち尽くす事務長へと視線を走らせる。
だが、事務長もまた、青ざめた顔で沈黙を守っていた。
誰も反論できなかった。この状況下で部屋を出ようとすれば、それは自ら疑惑を招く行為に他ならない。自身の潔白を証明するためには、互いの視線が届くこの場所に留まり、相互監視の輪に加わることが最善だと、全員が本能的に悟ったのだ。
「……わかった。警察が来るまでだ。それまで全員、その場を一歩も動くな」
警備員は降伏したように肩を怒らせたまま吐き捨てると、鋭い眼光で室内を睨みつけた。
全員の視線が、部屋の内側へと吸い込まれた、その一瞬だった。
葵翔は動いた。
思考するよりも早く、強張る指先がフックへと伸びる。
警備員の視線が外れ、すみれが部屋の奥を見据えている、わずかコンマ数秒の死角。
彼はフックに絡みついていた黒い繊維を素早く摘まみ取ると、そのまま流れるような動作でズボンのポケットへとねじ込んだ。
「さあ、葵翔君も。……そこで見ていて」
無機質な蛍光灯の光を浴びて、すみれの白磁のような肌が艶やかに輝く。
彼女は長い睫毛を伏せ、少しだけ恥じらうように、けれど確信に満ちた様子で小首を傾げた。その瞳は、まるで待ち焦がれていた舞踏会の幕開けを告げるかのように、期待と興奮で潤んでいる。
殺伐とした地下室に咲く一輪の花のような、不謹慎なまでの可憐さ。
彼女は葵翔に向かって、ふわりと柔らかく微笑みかけ、小さく頷いてみせた。それは犯行の合図のようでもあり、大好きな遊び相手を誘う無邪気なサインのようでもあった。
葵翔はズボンのポケットの中で、指先に絡まる異物の感触を強く確かめた。
数センチの、硬く、ささくれ立った黒い繊維の束。
彼は乾いた喉を飲み込み、彼女の信頼に応えるように深く頷き返す。
だが、危機が去ったわけではない。
密室トリックの種であった糸は消えた。それはすなわち、「犯人がどうやって外から鍵をかけたのか」という問いに対する物理的な解答が、この空間から消失したことを意味する。
現状のままでは、ここは説明のつかない密室だ。
警察が到着するまでの、砂時計の砂が落ちるようなわずかな時間。
葵翔は、自らの手で生み出してしまったこの論理の空白を埋めるため、警察さえも欺く代わりの真実を、即座に構築しなければならなかった。




