ほら吹き地蔵 第十四夜 みんな仏さま
【お断わり】今回も三題噺ではありません。
ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。
でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。
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Ⅰ.父
私の父は自分の子どもたちに理不尽な暴力を働く男だった。
それが父の弱さから来ている事は知っていた。母に乱暴した事は一度も無かったからだ。
母は強い女だった。父よりも強かったから、父は手を出せなかったのだ。
その父も、二年前に死んだ。
私は父の遺品を念入りに処分した。自分が欲しい物だけ残して、父と言う人間がこの世の中に存在した証拠を抹殺しようとした。途中までやり、飽きて止めた。
一番、念入りに、一番、執念深く処分したのは父の手記だ。
政治関係やら宗教関係やらの、中学生レベルの駄文ばかりだったが、そこから読み取れたのは父の知性の陽の側面、アポロン的な姿をした父の自画像だった。
陽があり陰もあり、アポロンもデーモンもいるからこその人間なのだが、「それをこそ書け。深掘りしろ。自分に手加減するな。情け容赦するな」と父に要求するのは「無い物ねだり」と言うものだろう。文学っ気が全く無い、根っからの理科系人間だった父に。
父は父なりに自分のエゴと格闘していたのである。自分の弱さと狂気を、何とかしようとしてはいたのである。
私は父の遺文集を編んだ。
「政治論文集」は、みな捨てた。賞味期限切れの時評文またはアジ文ばかりで、政治と人間の本質まで届いた洞察は、ただの一行も無かったからだ。
言うまでもないが、政治の本質は人間そのものだ。たとえば、こうだ。
・政治とは誰が友で誰が敵なのかハッキリさせる事だ。(カール・シュミット)
・戦争とは他の手段をもってする政治の継続である。(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)
・君主は国民から愛されるよりも恐れられるべきだ。人間には自分が恐れる者よりも愛する者の方を傷つけたがる傾向があるからだ。(ニコロ・マキアヴェッリ)
まあ、こんな感じだ。
まだまだあるが、パッと浮かんだだけでも、この通りだ。安倍内閣のどこがけしからんのと言った戯れ文では、政治に引っかき傷を付ける事すらできないのである。
宗教関係の方は逆である。父の志を、父の初心を、父の純信を、私は出来るだけ救出し、出来るだけ回収しようと努めた積もりだ。
その後半生をかけて仏さまと向かい合った父の真摯さを疑う積もりもないが、余りにも見苦しい言い草・傲慢無礼な世迷い言は、こっちの判断で編集させてもらった。
「何々している」と記してあったのを「何々していない」と書き換えた事すらある。編集と言うより改竄だ。
遺文集の原稿は完成したが、出版する金も無いので、そのままにしてある。そこで一句。
父と子で見解一致は阿弥陀仏
父の意見に賛意はない。だが、一人で逝かすには忍び難かった。
父は、私が編んだ一編の小冊子の中にしか存在しない。
最近、妹たちから「お兄ちゃんはお父さんの事が好きだったんだね」と言われた。
「そう見えるのかな」としか思わないが、父が私の事を偏愛していたのを認めないのはフェアじゃないと思う。愛情表現がヘンテコリンだっただけの話だ。
もう一つ、公正を期すために記しておくと、父は馬鹿者だった。
真の智慧とは無知の自覚である、謙譲であると言う事が、どうしても理解できない、頭の回転が早いだけの、ただの「おりこうさん」だったのだ。
「仏法は数学の証明問題みたいに、頭で理解しておしまいと言うものではない」と言った趣旨のお叱りは何度もちょうだいしていたようだが、「智に働けば角が立つ」以上の信心が、父にはできなかったんだから仕方ないだろう。
お経の文言解釈にこだわるばかりで、南無阿弥陀仏一つ、となえようとしなかった父に代わり、私は毎日、おとなえしている。バカの一つ覚えみたいに。
父が成りたくても成れなかった正真正銘のバカ者に、私は何の苦労もなしに成る事ができる。南無阿弥陀仏とおとなえしている間だけは。
お経も良く読めば、けっこう良い事が書いてあると、最近、気が付いた。
なんべん読み込んでも「観音さま、ばんざーい」あるいは「阿弥陀仏さま、どうもありがとう」以上の事は書いてないお経がある一方で、論理的に凝りに凝った仕掛けが張り巡らされているお経もある。「父がまんまと引っ掛かった『おりこうさんホイホイ』は、これかぁ」と、最近、少しずつ謎が解けて来た。
「この胸に刺さった毒矢が何なのか、ちゃんと頭で理解できるまで抜きたくない」と言っている内に父は死んでしまった。
お父さん、その矢に塗ってあったのはお父さんのエゴイズムだよ。
「このイカダのおかげで、俺は迷いの川を渡る事ができた。俺はこのイカダを死ぬまで手放さない。」
そう言って父は、イカダを担いだまま山を越えようとした。これじゃ僧侶の資格を取る前より生きるのがつらかったろう。
どちらにせよ、父は仏さまになった。仏さまを怨むわけにはいかない。
以下は私が「編纂」した父の「正伝」の一節である。
(引用、はじめ)
七〇才をこえると面と向かって「あなた、それはおかしいよ」と注意してくれる人が少なくなる。そのような人は私にとって、本当に有り難い人なのです。それにもかかわらず、注意されると私は素直に「ありがとう」が言えない。なんだかだと自分を弁護して正直に忠告を聞かない。都合が良い事には「ありがとう」と言えるのに。なんと私は性根が曲がった人間だろうか。ナンマンダブ。
「我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡(注)」ナンマンダブ。
私は、ねじ曲がった私の性根を念仏を通して治したい。念仏に目的はないが、知らず知らずに仏力不思議によってそうなって欲しいと念仏しています。
(編者注) 仏教各派でお称えされる「懺悔文/さんげもん」の冒頭です。「私が昔やってしまった悪い行いは、みんな際限のない『どん欲、怒り、偏見』に原因があります」と言う意味です。
(引用、おわり)
Ⅱ.会社で出会った人々
30年間、サラリーマンをやった。
私をかばってくれた人、守ってくれた人、育ててくれた人は何人もいるが、ずいぶんと「かわいがって」くれた人々もいる。
驚くべし。サラリーマンを辞めて10年以上たつのに、いまだに私の夢枕に立ち、イヤな寝汗をかかせる「剛の者、曲者、つわ者ども」もいる。
みんな、もう死んでしまったと聞いた。
もちろん「死んだ」はウソである。年賀状を出す習慣は、とっくの昔に捨てたから、私には、あの人たちの存否を確認する手段もない。それで良いと思っている。
惜しい人も、恨めしい人も、みんな味気なく空しうなった。(ウソだが)
仏さまを怨むわけにはいかないのである。(まだ生きてる奴もいると思うが)
Ⅲ.愛玩物
引越しを期に、「両目をつむって」大胆な家財処分をした。
断捨離は良いが、「両目をつむって」は、やり過ぎだった。
「失った物は『火事で焼けたのだ』と思う事にしよう」と自分に言い聞かせたが、私の執着心、なかなか手強い。
引越し以降、テレビのドラマやドキュメンタリーから目を背けるようになった。大量処分した録画済みDVDが、私の胸をチクチクと刺すからである。最近では、これまで目を向けなかったスポーツ中継ばかり見ている。
今後、あれらの愛玩物は「仏さまにお布施したのだ」と思う事にしよう。
仏さまを廃棄物処理場扱いとは、ひどい話もあったものだが、「火事で焼けた」よりは気が休まる。
ほら、「車をぶつけて、おシャカになった」と言うではないか。
Ⅳ.大団円
結局、私の手元には仏さまだけが残った。
「どうして、みんな、いなくなってしまうんだろう。惜しい人も、恨めしい人も」と、味気なく思いながら生きて来たが、逆だったんだ。
順繰りにリレーして、私を仏さまの所まで送り届けてくれたのだ。置き去りにされたのではなく、ずっと護られていたのだ。
過去に属するものは、みんなみんな仏さまだ。
私もいずれ、その一部になる。何も残らなくたって、いいではないか。
毎月2千円を、ご縁のある寺にお布施している。
そのお寺にとって、最重要、最優先かつ必要不可欠な課題を解決するのに、私のお布施が役に立ってくれたら、これほど、うれしい事はない。たとえば「トイレのパイプがつまった」とか。
ある晴れた朝、誰かがチャイムをピンポンと鳴らしたとする。
ドアを開けたら仏さまが立っていて、「死ね!」とだけ言い捨てて、スタスタと去って行ったとする。
私は喜んで死ぬだろう。悟ったって迷ったって、いずれ死ぬのだから。
私も、とっくに還暦を過ぎた。
「棺オケに片足、突っ込む」とは、こう言う事かとシミジミ思う今日この頃です。




