悲しみのない世界
凪はまるで自らの成果を説明するように語り続けた。過去の過ちなどもはや隠す必要もないかのように、淡々と。
「君も、アニマになればいい。そうすれば、総一郎さんに会わせてあげますよ。もちろん、アニマの聡一郎さんに。そして、また一緒に暮らしたらいい」
その言葉には、恩着せがましい響きさえ混じっていた。
結日は、鋭く言い放す。
「私は、アニマにはならないよ」
その瞬間、背後から波立つ囁きが届いた。
振り向くと、茜――オモイカネが甘い微笑を浮かべている。
「ユイカ様。こちらへおいでください。ユイカ様。ここには安らぎがございます。ユイカ様。そしてまた私と触れ合いましょう」
その声音は、母のように優しく、同時に抑えきれぬ欲望が滲んでいた。
彼女を見て、凪は嘲るように付け加えた。
「そう、茜さんも、聡一郎さんの件を追っていました。アニマの体をうまく使い、私まで辿り着いてしまったのです。なので仕方なく、私は彼女を救ってあげました。記憶の悪い部分を少し取り除き、彼女の欲望を強め、より良い形に変えてあげたのです。アニマになれば、嫌なことはすべて忘れて、より自分らしくなれる。素晴らしいですね」
「それは、自分に都合の悪いことをなかったことにしてるだけだよね」
結日の怒りが、全身の震えを伴って滲んだ。
「──ミナト君、私、決めた。もうこの人、蹴り飛ばすね?」
ミナトはためらいもなく応じた。
「俺も、それがいいと思う。そして、ユイカには十分にその資格があると俺が認める」
「どうぞご自由に。ただし、その選択が、どれほどの代償を生むか、すぐに君たちが知ることになるのは残念です」
その挑発を気にすることもなく、湊は力を解き放った。
「召喚――アメノウズメ、そして、タケミカヅチ!」
魔法陣が床を奔り、光の輪が弾ける。
鈴音と武が、同時に現れた。
「出ましたぁ……うおおおっ、来たよこれ、間違いない、この空気感、完全にラスボス戦ッ! 最終章・黒き創造主の顕現ってやつだね!」
鈴音が興奮を抑えきれず、胸の前で両手の拳を握りしめている。
「上等だッ! 今こそ見せてやる! 俺たちのジャスティスが、作られた世界になんか負けるかよッ!」
武の叫びは雷鳴を轟かし、空間を震わせた。
だが、凪はあくまで穏やかに微笑む。
「……とても賑やかですね。でも、理解していますか? 私は、この世界の創造主であり、ゲームマスターなのですよ」
凪の言葉と同時に、床から黒い光が噴き上がった。
炎の剣を背負った巨影、スサノオが立ちはだかる。
「知ってますか?」
凪は軽く笑った。
「彼は元、アルカディア事業部長。私をアイノリアから引き抜き、機密情報の入手を示唆した張本人です。コードひとつ書けないくせに、アルカディアの成果を自分の手柄のように誇示するんですよ。だから──イザナミで潰して、アニマにしてあげたんですよ」
スサノオの剣が地を裂き、黒い炎の波が走る。
武が咆哮し、弾丸のような正拳突きで応じた。
「行くぞ、鈴音!」
「了解! 踊りで加護をかけるよ!」
鈴音の舞いがアメノウズメの加護を呼び起こし、武の拳が光を纏う。
武の光の拳はスサノオの炎の剣を押し返した。
「召喚神より、サモナーを叩くのが定石でしたね」
凪の声が響くと、新たな神級アニマ、タジカラオが黒い腕を振り上げ、湊へと迫る。
現実を侵食する力を備えたその攻撃によって、大地がえぐれた。
湊は紙一重でそれを回避する。
「彼は開発部門長でした。いつも何かと私を敵視して、口うるさい男でしたよ。ですが、ほら、今は私に忠実な拳になってくれました」
凪は愉悦を隠そうともせず、指先でタジカラオを指し示した。
その笑みには、敵対する勢力を力でねじ伏せ、支配した陶酔が滲んでいた。
一方、結日の前に立ちはだかるのは、オモイカネとツクヨミ。
オモイカネの闇の魔法が渦を巻き、世界がねじれて見えている。
「ユイカ様に触れるためなら――私はどんな手段でも用いましょう」
背後で、ツクヨミが静かに手を掲げる。
闇が彼の足元から広がり、床を這うように形を変えていく。
「私はアルカディア社副社長、そして次期社長。社長がいなくなれば、後を継ぐのは私……当然の流れですな。――もっとも、会長は伊豆谷君ですがね」
黒い魔力の群れが結日に向かって奔る。
しかし彼女は一歩も退かず、体をひねってその波を切り裂いた。
そのとき、空に浮かび上がった闇の頭部が歪んだ声で叫んだ。
「――あいにあふれ、かなしみのないせかい」
その言葉に、結日の瞳がわずかに揺れた。
それは、父を失った彼女が、かつて願った世界だ。
だが、次の瞬間、その想いを振り払うように結日は首を振る。
「悲しみのない世界――そんなの、全部、嘘だよ」
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