歓喜の歌
湊と結日は、アルカディア社本社ビルへと向かっていた。
空は仮想の雲が渦巻き、AR広告が竜巻のように回転している。
周囲でひときわ高いアルカディア本社ビル。最上階は闇に覆われていた。
取り巻くAR広告は歪み、書き換えられていく。南国リゾートの広告は赤黒い血のような海に染まり、笑顔のモデルは焼け爛れたような肌の色だ。
大きな闇からは、黒く太い稲妻のような奔流が、周囲に降り注いでいる。その闇に触れたものは消滅し、仮想のものに置き換えられる。
周囲の建物はほとんど倒壊し、捻じ曲がった樹木のような奇妙な物体に置き換えられていた。
マガツヒを崇めるように集まってきた者たち、野次馬として集まってきた者たちも、次々と闇に薙ぎ払われ、輪郭が崩れ、アニマとして再構成されていく。
「これでもう働かなくていい」
「病気の心配はない」
「貧困に苦しむことも、飢えることもない」
「外見はいくらでも変えられる」
「永遠に楽しく生きられる」
生まれ変わったアニマたちは歓喜の声を上げる。
崩壊し、邪悪な仮想空間として再構築されていく街を、湊と結日は駆け抜けた。
目的地、アルカディア社本社ビルは禍々しい闇を撒き散らしながら、現実と仮想の狭間で軋んでいる。それはまるで神の怒りを買った、バビロンの塔のようだ。
砕けた現実の欠片のような黒い粒子が降り注ぐ中、二人の行く手を遮るように異形の影たちが現れた。
巨大な闇の腕が虚空から伸び、阻むものを叩き潰すタジカラオ。
強大な闇の魔法で現実を消し去るオモイカネ。
怒りの咆哮とともに黒炎の剣で街を粉砕するスサノオ。
静寂の闇に包みこんだ後には何も残さないツクヨミ。
それら神々のアニマを讃えるように、アニマとなった人々は大きな輪を作り、ゆっくりと旋回する。
皆、喜びに満ち、歓喜の歌を歌い始めた。
『O Freunde Nicht Diese Töne(こんなものじゃないんだ友よ)!
Sondern Laßt Uns Angenehmere(そうじゃなくて、もっと心地よくして)
Anstimmen Und Freudenvollere(喜びに満ちた声を上げよう)』
アニマの人々は歌いながら徐々に上昇していく。
輪はやがて巨大な魔法陣のような形となり、その中心に現れたのは――マガツヒの頭部。冷たく巨大な顔が浮かび上がる。
その手前に、ひとりの人影。
静かに微笑んでいる、伊豆谷凪。
『Freude Schoner Gotterfunken(喜びに溢れた美しい神の輝き)
Tochter Aus Elysium(楽園から来た彼女よ)
Wir Betreten Feuertrunken(恍惚として我々は行くよ)
Himmlische Dein Heiligtum(素晴らしいあなたの楽園へ)!』
「――ようこそ。悲しみのない世界へ」
闇の中心で、伊豆谷凪が微笑んだ。
その背後ではマガツヒが脈動するように蠢いている。
湊は凪を見つめ、静かに問いかけた。
「……凪さん。マガツヒを生み出したのは、あなたなんですね?」
凪は微笑を崩さず、淡々と答える。
「ええ。アイノリア社での私の研究成果の集大成です。ですが、これは禍の神ではありません。創造の神です」
「イザナミ……?」
「本来なら、イザナミはもう少し時間をかけて成長させる予定でした。けれど、聡一郎さんのライフログが開示されてしまった以上、行動に出るしかなかったんです」
凪は取り繕うこともなく、冷静に事実を説明するかのように語った。
そこで結日が一歩前に出て、はっきりと言った。
「……結局、あなたが、マガツヒを使ってお父さんを殺したんですね?」
凪は静かに息を吐いた。細い目が少し開かれ、鋭い眼光をたたえている。
「あれは試作段階での実験でした。出力も弱く、成功率も低かった。一つの賭けだったのです」
そこには後悔も迷いもなさそうだった。
結日はさらに強く問いかけた。
「教えてください、なぜ父を殺さなければならなかったんですか?」




