アニマには触れないけど
――冬の昼下がり。
カーテン越しに射し込む柔らかな陽光が、床に淡い模様を描き、光の絨毯のように見える。外では冷たい風が吹いているが、ここだけは別世界のようにぽかぽかとしていた。
「ユイカ、もう少し自分の影響力を自覚した方がいいよ」
湊の部屋。ソファの上で湊が小さくため息をつく。
「そんなに目立ってたかな?」
「目立ってたよ。親衛隊の目が完全に殺意立ってた。あんな大勢の前で親密さアピールされたら、俺、夜道で攻撃されるかもしれない」
心配する湊をよそに、結日は陽だまりの猫のようにのどかにしていた。
「大丈夫だよ。ミナト君が攻撃される前に、私がムーンサルトするから」
「……いや、アニマじゃなくて、リアルの話なんだけど……」
そんな他愛もないやり取りも、もうすっかり日常の一部になっていた。
「私は――百人の親衛隊より、ミナトくん一人のほうがいいからね」
サラリと言うその言葉に、湊の鼓動が大きくなった。
「親衛隊の前だと、私、しっかり振る舞わなきゃって思うのね。それって演技みたいなものだから疲れちゃう。でもミナト君となら自然体でいられる」
ユイカはすっかり照れもなく、隣へと身体を寄せてきた。
「……いや、そう言ってもらえるのは嬉しいけど、ちょっと近くない?」
「でも、冬だし、この方があったかいよ」
「えっと、昼間だから、誰か見てるかもしれないし……」
「健全な昼間だからこそ、こうやってぬくぬくしてるだけ。何も問題ありません」
無防備に笑う結日。
先のマガツヒとの戦いの後から、結日と穏やかな時間を過ごすことが増えていた。
アスリートらしいとも言える積極的な結日。もちろん湊も嫌なわけがない。しかし、彼女は今や、誰もが憧れる国民的存在。
そんなユイカと、こうして二人きりで過ごしていていいのだろうか――そんな罪悪感が、湊の胸のどこかに残っている気がする。
「ねぇ、ミナトくんって、一人暮らしなんだよね?」
「うん。……病気でスズネが亡くなってから、うちはちょっと大変で、母さんがすっかり参っちゃったんだ。今も精神状態があまり良くなくて、父さんがずっと看病してる。それで、家も学校から遠いこともあったし、家族の負担を減らせるように、俺は一人でこっちに住むことにしたんだ」
ユイカは小さく頷き、もう一つ尋ねた。
「そっか……それは大変だったね。でも、スズネちゃんのアニマとは、ちゃんとお話できるんでしょ?」
「まあ、うん。でも母さんには、スズネを再現したこと……まだ言ってない。とてもまともに話せる状態じゃなかったんだ。母さんにはまずは、現状を受け入れてほしいと思ってる。その上で、母さんが落ち着いたら、アニマのスズネのことを話そうと思う」
湊の表情が少し陰る。結日は、さりげなく湊の手を取った。
「そっか……ミナトくんは、ちゃんと考えてるんだね」
結日の手の温かさが、じんわりと湊の心まで届いた。
「……ミナトくんは、スズネちゃんのこと、ちゃんと受け入れられてるんだね」
「正直、まだ完全とは言えなくて、スズネが生きていると混同することもあるよ。でも、アニマはあくまでデータから作られた仮想の存在で、本当に生き返ったわけじゃない。昔の写真を見ているのと同じ。一時、寂しさを埋めることはできるけど……」
「寂しさを埋める方法って、他にもあると思うよ」
「たとえば?」
「こうやって……現実の誰かと一緒にいることとか」
ユイカは静かに身体を寄せ、湊の肩にそっと頭を預けた。
「アニマには、触れられないからね」
彼女の髪から甘いシャンプーの香りがして、湊の思考が止まりそうになる。
「……ミナトくんといると、心が落ち着くね。頭の中にあった冷たい領域が、溶けてなくなっていく感じ。どうしてだろうね」
「たぶん、寂しさを埋めているから、じゃないかな」
ふと、二人のあいだに笑みがこぼれる。そこは外の喧騒から完全に切り離された空間だった。
「そういえば……ちょっと、小腹すいてきたね」
「うん。おやつの時間、かな」
「どこかカフェにでも行きたい気分だけど……二人で外を歩いてたら、俺が刺される確率がまた上がりそう」
「確かに、親衛隊には見つかりたくないね」
「じゃあ、俺がなにか作ろう」
「えっ、ミナトくんが?」
湊は立ち上がると、冷蔵庫を開き、小麦粉、砂糖、卵、牛乳、バターを手際よく取り出した。
迷いのない動きでボウルに材料を入れ、泡立て器を回し始める。
「すごい……! 料理できるんだ!?」
「まあ、半年くらい一人暮らししてたからね。それに――」
湊はアイウェアを指差した。
「材料の分量も、火加減も、全部こいつが教えてくれる。俺は言われたまま動く作業ロボみたいなもの」
やがて、甘い香りが部屋にふわりと広がる。
焼き上がったパンケーキに、バターと蜂蜜をとろりと乗せた。
「できたよ。一緒に食べよう」
「わぁ……ふわっふわ、おいしい! もうカフェなんて行かなくてもいいね」
ユイカは笑顔で、もう一口、もう一口と味わっている。
「ミナトくんって、ほんと多才だよね。私なんて、体操しかできないのに……」
「いやいや。一般的には、どう見てもユイカのほうが凄いんだけど」
湊が苦笑まじりにそう呟いた。
二人で過ごす贅沢な午後。
しかし、その穏やかさを破るように、メールの通知音が鳴り響く。
「ユイカ、来たみたいだよ。高見聡一郎さんのライフログデータ。アイノリア社から提供の準備が整ったって」
その一言に、結日の表情がすっと引き締まった。
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