触れられた奇跡
マガツヒの切り離された四本の指が、静かな音を立てて床に転がる。
「そんな……ユイカ様のアイウェアは、確かに壊したはず……」
その光景を前に、オモイカネが初めて動揺を見せた。
「俺のアイウェアから映像出力チップを外して、ユイカのものと付け替えたんだ」
湊が前に出る。エビスちゃんの指示の下、見つけた工具を使って壊れた部品を交換したのだ。
「じゃあ、ミナト、お前は――」
「ああ。今の俺に、お前は見えていない。でもメインチップは生きてる。鈴音は、俺の視界がなくてもある程度は自律で動けるからね」
状況を理解したオモイカネが、口惜しそうな諦めの表情を浮かべる。
「なるほど……。闇の干渉がここまで損なわれ、ユイカ様が万全となれば――分が悪いのはこちらですか……ならば、今回は、引かせてもらいましょう」
するとオモイカネの輪郭が崩れ、マガツヒとともに闇の中へと消えていく。
「えっ、逃げちゃうよ!?」
鈴音が叫ぶと、結日は力なく首を振る。その瞳には、哀しみが宿っていた。
「いいの……。これ以上戦ったら……私がアカネを完全に壊すことになってしまう。そんなことは――したくないの」
闇の奥から、声が返ってくる。
「ユイカ様。次こそ、あなたをアニマの側へ……お迎えします」
その声が消えると同時に、ようやくこの場は落ち着きを取り戻した。
すると結日は糸が切れたようにその場に膝をつき、長く息を吐いた。
「……終わったんだね」
その声は小さく、どこか儚かった。
「ユイカ、大丈夫?」
湊が駆け寄り、そっと手を差し伸べた。
結日は小さく頷きながらも、体はまだ少し震えていた。
「私……大丈夫だよね? ちゃんと、まだ体あるよね……?」
結日はおそるおそる自分の手を見て――そして、唐突に、湊に抱きついた。
「えっ……?」
彼女の体温は、温かかった。
結日は涙をにじませ、安堵を感じさせる声で笑った。
「触れられた……私、アニマになってない。良かった……本当に、良かったよ……」
湊は少し戸惑ったが、すぐに彼女を受け入れ、その頭を優しく撫でた。
「ミナト君、ありがとう。私が見えなかったとき……ずっと守ってくれたよね。あのとき、本当に……頼もしかった」
結日は湊の胸に顔を埋めたまま呟いた。湊が答える。
「……最強戦力ユイカを失うわけにはいかないからね」
「もう、そういう言い方……」
結日はくすっと笑い、顔を上げた。
近い距離に顔があった。
結日は息を呑み、小さくささやいた。
「私……ミナト君のこと、好きになっちゃった」
唐突に出たその言葉は周りに溶けるように響いた。
二人の鼓動は早くなり、同じリズムで重なった。
「ありがとう。でも、俺なんて、ユイカよりずっと弱いし……ユイカの周りには、君を特別に思ってる人がたくさんいるのに……」
予想もしていなかった告白に、湊は反応に困りながらも、穏やかに返した。
「うん、みんな私を特別扱いするけど……ミナト君は、いつも普通に話してくれる。そこが、いいんだよ」
結日は無邪気な笑みを見せて答えた。
湊は照れを隠すように、彼女の背中にそっと手を伸ばした。
「私ね、最初は、ミナト君って仮想キャラが大好きで……本物の人間より、そっちの方が大事なんだと思ってたの。でも、それは本当の妹、鈴音ちゃんだったからだよね。
そして私のことも……同じように守ってくれた。それが、すごく嬉しかった」
ユイカは再び湊の背中に回した両手に力を入れた。そしてその温度を胸の奥で受け止め、そっと目を閉じた。
温かく、このまま時間が止まってほしいと思うほどの安心感。
その時。
「……お二人さん?」
不意に、不機嫌な声が割り込んだ。
「うち、忘れられてるよな? 一応、まだ通話中やで?」
ニコニコ顔のエビスちゃんが陽気に浮かんでいた。
「可愛いエビスちゃんのこと、もうマスコットキャラとしか思ってへんかもしれへんけどな、一応うち、ここにおるんやでー」
「鈴音もいるからね、ミナ兄ぃ……。あたしにはちょっと刺激が強すぎるんだけど」
目を細め、鈴音がほんのり照れたトーンで言う。
顔を真っ赤にして慌てる二人。
ようやく離れると、互いに照れ笑いを浮かべた。
「ああ、もううちは帰るからな。あとはお二人で好きにしたらええ。やけど早めにタクシーでも呼んで、暗くなる前には帰るんやで。健全な少年少女の諸君」
そう言って、エビスちゃんは手を振り、光の粒となって消えていった。
残された湊と結日は顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
――そして、
デスクに座る八重は、呆然としていた。
先ほどまでニコニコ笑っていたエビスちゃんとは違い、魂が抜けたような表情だった。
「……あかん。あれは本気でシャレにならんわ」
そう呟く声は震えていた。八重はにじむ涙をそっとぬぐう。
「計算高いうちが、ただの善意で男にあれだけ貢ぐはずないやろ……。ミナトのやつ……」
涙が、ぽとり、ぽとりとデスクの上に落ちる。
静けさの中で、八重は唇を噛みしめた。
「もう……全部、返してもらわなあかんな。全部や……」
それは心の奥底から汲み出されたような――どうしようもなく切ない響きがあった。
二章はここまでです。読んでくださり、ありがとうございました。
またプロット切れのため、更新を少しお休みさせてください。
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