狂気のアニマ
「はい、間違いなく、こちらです。念のため、アイウェアで過去を重ねてみましょうか」
茜は時刻を指定してARの過去を表示する機能を起動した。すると、無人の景色の上に、十年前の光景が重なった。
研究員たちが忙しく出入りし、その中には、若き日の高見聡一郎の姿もあった。
「……お父さん……」
結日の声が、かすかに震えて聞こえた。
「このオフィスは、五年前までは確かに開発拠点として使われていました。今も内部ネットワークに繋がる端末が残っています」
茜は言いながら、入り口のセキュリティパネルの前に立つ。
湊が茜に教えられた暗証番号を入力すると、電子ロックが解除され、扉が開いた。
「……大丈夫か? これ、完全に不法侵入だろ」
「問題ありません」
湊が冷静に問いかけると、茜は胸を張って即答した。
「お二人を事前に来客登録しておきました。つまり、形式上は正式な入館者です」
「……やけに周到だな」
「軍師ですから」
建物の中は、外から差し込む光のみで照らされる静かな空間だった。
長く使われていなさそうな机や端末が並び、うっすらと埃が積もっている。
「こちらへどうぞ」
茜は迷いなく廊下を進み、エレベーターの前に立った。
やがて扉が開き、三人は乗り込む。
言われるがままに最上階のボタンを押す。
しかし、降り立った先は――屋上だった。
「……アカネ? ここ、屋上だよ?」
結日の声にはわずかな不安が混じっていた。
昼下がりの空が大きく広がっている。周りに高い建物がないため遠くまで景色がよく見渡せる。
「問題ありません。――こちらです」
茜は振り返りもせず、ためらいなく屋上の奥へ進む。
湊と結日は顔を見合わせ、仕方なく後を追った。
だが、茜の歩く先にあったのは、何もないコンクリートの床だけ。端末もケーブルも影さえなかった。
その時、湊の胸に、言葉にならない違和感が生まれた。
「……アカネ、いくらなんでも、ここに端末はないだろ?」
「ここで良いのですよ」
次の瞬間、茜の背中から、黒い影のようなものが結日に向けてすっと伸びた。
結日は反射的に身を捻る。
しかし、至近距離のためその動作はわずかに遅れた。
影が結日の横顔を掠めたかと思うと、眩しい閃光がきらめいた。
「アカネ、何を……」
アカネのそれはそのまま生き物の触手のように蠢き、先ほど通ってきたエレベーターの入口に触れる。
瞬間、まばゆい光が弾け、扉は音もなく崩れ落ちた。
振り返った茜の瞳は、もはや人のものとは思えなかった。それは光を失い、底知れぬ闇の中でうごめく何か。
「私は……もう、アニマになってしまいました。この体では、もうユイカ様に触れることは叶いません」
その声には悲哀と、ぞくりとするような欲望が混ざっていた。
「ですが――もしユイカ様がアニマとなれば、私は再び、ユイカ様に触れられるのです。そう、あなたにまた触れられる。フレタイ……」
「アカネ、何を言ってるの……?」
結日はこめかみのあたりを押さえ、よろめきながら震える声を吐き出した。
「ユイカ様……アニマの体は、素晴らしいですよ。歳を取らず、傷もつかず、永遠に美しいまま。ああ……ユイカ様、その可憐で、純真で、清廉で、崇高で、至高な十七歳のお姿を、永遠にそのまま、この世界に留めておけるのです」
茜は恍惚とした微笑みを浮かべ、両手を広げた。
その動きには、狂気的な優雅さがあった。
「――さあユイカ様。肉体を捨てて、アニマになりましょうユイカ様。そのお体を劣化させる忌まわしき時がこれ以上刻まれぬように、一秒でも早く。そして私と共に、永遠に過ごしましょうユイカ様。それこそが、わたしの求めるカナシミノナイセカイ」
「……アカネ、おかしいよ! わたしの知ってるアカネは、そんなこと言うはずない!」
結日の叫びに、茜はゆっくりと首を傾げ、その口の両端を釣り上げた。
「ユイカ様、私はもう、オモイ・アカネではありません――」
そして、光が弾けた。
「今の私は、神格級アニマ――『オモイカネ』です」
光に包まれた茜の身体が姿を変えていく。
面立ちはそのまま、髪は白と金の糸が絡み合うように流れ、身につけているものは白銀の装束に変わった。
背中からは幾重にも重なった光輪が放射状に広がる。
それはまるで、神話上の知恵の神――だが、その微笑みは神聖には遠く、歪んだ情愛を湛えていた。
――さらに、次の瞬間。
オモイカネとなった茜の影から、暗黒の巨大な手が這い出し、迫り上がった。
マガツヒの左腕。
今、それは茜と同調するように動いている。
ようやく湊は悟った。
茜は、マガツヒに侵食されている。
いや、もはや完全に融合しているのかもしれない。
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