黄昏の邂逅
日はすでに沈み、街は薄闇に包まれていた。秋も深まり、街灯の光まで少し冷たく感じられる。アイウェアを外せば、どこかもの寂しい住宅街。けれど、この閑静な場所にもARの広告は所狭しと重ねられている。
その仮想の光の中を、湊は駆けていた。
アイウェアに映し出されているのは、昨日の自分が走る姿。
並走するように浮かぶ自分の影を、彼は少しでも追い越そうとする。
――昨日より速く。たとえ一秒でも。
それが湊の日課であり、彼なりのささやかな意地だった。
荒れた石畳を駆け抜け、わずかに昨日の自分より早く、寂れた神社の境内へ踏み込む。ここが過去の自分との競争のゴールだ。だがトレーニングはそこで終わりではない。
湊がアニマを召喚すると、光の中から天狗や鎌鼬が姿を現す。
これは模擬戦モード。アニマたちは湊に対峙し、攻撃を仕掛けてくる。湊に向けて放たれる竜巻や、突風の刃。湊は身をひねり、これらを紙一重でかわし続けた。汗がこめかみをつたう。
「――ミナト君!」
唐突に背後から、聞き慣れた声が響いた。
湊は足を止めて振り返る。鳥居の前に立っていたのは、結日だった。
「ユイカ!? どうしてここに……」
「フレンド登録したでしょ?」
結日は小首をかしげて無邪気に笑っている。
「ミナト君、大胆にもフレンドに位置情報を公開してるんだもん。今どこにいるかすぐに分かっちゃうよ。……それに、ちょうど私も体操の練習帰りの道に近かったから、ちょっと気になっちゃったの。ここで何してるのかなって」
「……しまった。迂闊だった」
湊は言葉を詰まらせた。これまで武と八重しかフレンドに登録していなかったので、位置情報のことは気にもしていなかった。
「ふふっ、さっきの驚いた顔、なかなか良かったよ」
結日はからかうように微笑んだが、すぐに表情を改め、肩で息をする湊をまっすぐに見つめた。
「……召喚アニマに頼らず、ちゃんと自分の体を鍛えてるんだね」
湊は気恥ずかしさを覚え、頭をかきながら答える。
「どんなにアニマが強くても、サモナー本人がやられたら終わりだからね。自身で強力なスキルを行使できないサモナーは打たれ弱い。だからせめて、自分の身くらい守れるようにしておかないと」
「……やっぱりミナト君って努力家なんだ」
結日の声は、納得して敬意を表すような、柔らかな響きを帯びていた。
「ユイカほどじゃないさ。インターハイ優勝なんて、俺からしたら雲の上の出来事だよ」
湊は照れ隠しに額の汗を手の甲でぬぐいながら返す。
「私の場合は……努力というよりもう習慣かな。父と約束したんだ。『誰にも負けないものを何か一つ持つ』って。だから練習はもう私の生活の一部。寝たり起きたり、ご飯を食べるのと同じような」
その声には父親を懐かしむような響きが含まれていた。
「立派なお父さんだったんだね」
「……うん。長く一緒にいられたわけじゃないけど、私は父が大好きだった」
結日の瞳が揺れた。いつもの自信に満ちた結日の雰囲気はそこになく、どこか儚げだった。
「ユイカ、何かあったの?」
「ううん……大したことじゃないの。予想通りといえば予想通り。今日ね、アイノリア社に父のライフログデータの提供をお願いしてみたの。でも……やっぱり断られちゃった」
結日はわずかに肩を落とし、軽く息を吐く。
「家族でも提供はできないって言われた。それに……父はアイノリアの日本法人の社長だったから、残されたデータは極秘情報扱い。アイノリア社の社員でも簡単には見られないんだって」
結日の横顔は強気を装っていたが、その奥には落胆が隠しきれずに滲んでいた。
「大きな会社だから、どうしようもないところもあるだろうね。何か他に方法はないかな」
湊のつぶやきに、結日は淡々と答える。
「私も考えたよ、今、マガツヒの存在は大きな問題になってるでしょ。だから、もしSNSに父の情報を公開して世論を動かせば、アイノリア社も対応せざるを得なくなるかもしれないかなって……」
境内を吹き抜けた風が木々をざわめかせた。
湊も思わず目を見張る。確かに、トップアスリートである結日なら、十分にインフルエンサーとしての影響力を持っている。
だが結日は、すぐに伏し目がちに小さく息を吐いた。
「……でも、それをやったら、父に関わった人たちに迷惑をかけるかもしれないよね」
その声にはためらいが滲んでいた。強硬手段には彼女も抵抗があるのだろう。
その時、湊のアイウェアが不意に着信を告げた。
発信者は株式会社アルカディア主任、伊豆谷凪。eスポーツ大会での騒動以来、湊は凪と定期的に連絡を取っている。
応答すると、夜の境内に凪のリモートアバターが姿を現した。落ち着いた笑みを浮かべ、柔らかな声で言葉をかけてくる。
「おや、ユイカさんもご一緒でしたか。いつのまにか交友を深められたんですね。とても良いことだと思います。若いっていいですよね」
時刻はもう夜。決して二人きりの密会シーンなどではないが、湊には珍しく、気恥ずかしさを覚えてしまう。相手が結日、という部分が大きい。
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