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帰れない勇者と帰る勇者

作者: なるのるな

 ◇◇◇



 エルフ、ドワーフ、獣人族、翼人族、小人族、巨人族、ドラゴン、リザードフォーク、ゴブリン、コボルト、オーク、鬼族、ヴァンパイア、ラミア、アラクネ、魚人族……等々。


 人族以外にも高い知能や社会性を持った種族が存在する、とある異世界。


 そこには戦があった。大きな戦だ。


 はじまりは遥か遠い昔だと伝えられている。


 ある時、エルフやドワーフ、各地の獣人族と同盟を結ぶ、人族を中心としたエリノーラ聖国が自らを〝世界の管理者〟だと名乗り、同盟外の他種族を族滅、あるいは弾圧して支配下に置こうと行動を開始した。


 訳も分からず侵攻を受けた側は、当然に反発し反抗する。


 あっという間に異世界の片隅……エリノーラ聖国周辺は(いくさ)の火に覆われることに。


 組織立って各所で猛威を振るうエリノーラ聖国同盟。


 様々な種族や氏族が踏み潰され、飲み込まれていくという手痛い経験を経て、各種族・氏族の主だった者たちは、各々で反抗するだけでは、敵の物量にすり潰されるだけだと学び、種族の垣根を超えて反エリノーラ聖国として結集していくことに。


 名をザカライア連合。


 大義のない侵攻に拒絶を示した者たちは、人族が信仰する女神エリノーラと対を為す神柱、冥府のザカライアの名を冠した連合を名乗る。決起する。


 これが泥沼の大戦のはじまりだと伝えられているが……その当時を知る者はもういない。


 この世界には、百年で長いとされる人族の寿命を優に超える種族も少なくない。


 中にはハイエルフや一部のドラゴンのように、老化や寿命、自然死という概念すら超越した存在までいる。


 そんな種族であっても、〝大戦のはじまりは遠い遠い昔のこと……〟と語り継ぐ程の長い時が過ぎてもなお、争いは続いていた。


 戦があるのが日常。当たり前。戦の終わりや戦のない生活など、想像すらできなかった。そんなことを考えるのは、少数派の変人扱いだ。


 しかし、はじまりがあれば終わりもまた然り。


 老化や寿命のないハイエルフとて、炭になるまで燃やされれば死ぬ。


 神々に並ぶと讃えられた古龍(エンシェントドラゴン)であっても、首を斬り飛ばされれば死ぬ。


 遥かな大昔から続く、果てなき大戦も遂に終戦を迎えることになる。


 エリノーラ同盟とザカライア連合。


 もはや、戦を仕掛けた側のエリノーラ聖国首脳陣ですら、一体何の為に争っていたのかも忘れてしまった大戦。


 当初はそれぞれの陣営に種族や氏族単位で与していたとされるが、今や両陣営の顔触れに大きな差はない。


 辛うじてエリノーラ同盟側に人族やエルフ族が多く、ザカライア連合側にゴブリンやオークが多い程度の差。


 その上で、エリノーラ同盟にゴブリンの勇士もいれば、ザカライア連合に人族の将軍がいたりもする。


 二つの勢力が敵を蹴散らさんと相争っているだけ。


 もはやどちら側にも大義などない。


 ただ争う為に争うといった様相を呈している。


 そんな泥沼の闘争に終止符を打ったのは、エリノーラ聖国同盟に現れた集団。


 異界より現れた勇者たち。



 ◇◇◇



「くくく……これで満足か? 私たちを倒し、エリノーラ同盟の勝利に寄与した感想は?」


 地に横たわりながら、今代の〝魔王〟が……ザカライア同盟の盟主が問う。自らを()()()相手に。その一団に。


「お前たちが異形(いぎょう)の化け物であり、人族の脅威であることに変わりはない……」


 応じたのは、一団のリーダー格と思われる少年。


 断定的な言葉ではあるものの、その口調には迷いと苦悩が滲んでいる。自らの発した言葉が、説得力のない薄っぺらな建前だという自覚もある模様。


「ふふ……人族の脅威か……確かに私はヴァンパイアだ。血を欲して人族を糧としたこともある……だが、それはあくまでも戦場でのこと。お前たちとて戦場で敵を殺してきただろう? 我らにとっては、お前たちこそが脅威だった……我らを悪と断じて殺すお前たち()()が正しいとでも?」


 今代の魔王。吸血鬼(ヴァンパイア)のマリアベルが零す。


 絶世の美女という評すら霞む美貌を誇る彼女だったが、今や見る者の目を引くのはその美貌ではなく、灰と化して消失してしまった下半身かもしれない。


 しかも、現在進行系で灰となる部位は徐々に拡がっており、彼女が完全に滅するのは誰の目にも明らか。時間の問題という有り様。


 自らの最期を悟った彼女が発する言葉は、所詮は負け犬の遠吠え……負け惜しみでしかない。


「俺たちは人族の脅威を取り除くべくこの世界に()ばれたんだ。だから……間違っていない……ッ!」


 だが、どうやらそんな魔王の負け惜しみは、彼女が想定した以上に相手に突き刺さった模様。


「ふっ……そうまでして建前に拘りたいなら、後は好きにすればいい。何しろお前たちは勝者だ。勝った方が正義なのは世の常……敗北者である私たちは、悪として滅するのみだ」


「…………」


 勇者。エリノーラ聖国の研究者たちが、偶然の産物で召喚したという異界の人族たち。


 彼らには、長らく一進一退の膠着状態だった戦況を傾けるだけの異質な力が備わっていた。それこそ、一人一人が〝魔王〟を凌駕する程の力が。


 さらに、彼らはただの人族とは違い、肉体的な老いがなかった。この世界に現れた当時の姿のままでありながら、その振るう力だけが成長する、増大していくというデタラメ具合。いわゆる〝チート〟というやつだ。


 彼らが現れた後、各所にてザカライア側の敗走が続く。勇者たちは存分に〝オレtueee〟を発揮した。


 戦場のバランスが崩れる。そして、一度大きく傾いてしまった流れは戻らない。


 局所的にやり返すことはもちろんあったが、ザカライア連合には、勇者を擁するエリノーラ同盟を押し返すだけの力と勢いはなかった。


 あれよあれよと言う間にエリノーラ同盟側がザカライア連合を飲み込んでいく。


 悠久の時を刻んだ泥沼の闘争は、異界からの介入者が現れて僅か十年程で決着することに。


 この世界においても、十年に及ぶ闘争は個人の感覚として決して短くはないが……エリノーラ同盟とザカライア連合の長い長い争いの歴史に比べれば、ほんの瞬き程の時間とも言える。


 これまでの争いは一体何だったのかと……人々がそんな空虚さを覚える呆気なさだ。


「本当に……これで良かったのか……?」


翔太(しょうた)。散々話し合ってきたでしょ? 私たちは元の世界へ帰る。それ以外のことは深く考えない、立ち止まらないって……」


 勇者一団の少女が口を開く。翔太と呼ばれたリーダー格の少年に寄り添うように横に立つ。


咲耶(さくや)……だが……俺たちはその為に殺し過ぎたんじゃないのか? エリノーラ同盟とザカライア連合に差なんてなかったのに……俺たちは……取って付けたような言い訳を振りかざして誤魔化していただけだ……」


「だから何なの? 私たちには選択の余地なんてなかった。もし、ザカライア側が私たちを召喚していたなら、その時はエリノーラ同盟を滅ぼしていただけでしょう? 召喚当初ならいざ知らず、両陣営のどちらにも正義なんてないし、どちらも悪じゃないなんて……分かってたことじゃない……」


 翔太を叱咤する為の言葉ではあるが、彼女の……咲耶の表情にも苦悩の色が濃い。肉体ではなく、心が疲弊しているが傍目からも分かる。


 別に二人が特別でもない。


 勇者一団の他の者も似たり寄ったりだ。


 皆がどこかくたびれ、陰鬱な雰囲気を纏う。とても戦勝を喜ぶ者のそれではない。


「……はは……精々胸を張って凱旋するんだな。お前たちは、元の世界へ戻る為に同盟の走狗となっていたのだろう? 我ら連合を打ち破り、待ち望んだ帰郷の時が来たのだ……喜ぶがいいさ。……もっとも、聖国の連中が約束を守るかは知らんがな……くくく……」


 既に胸の辺りまで消失している、負け惜しみの魔王。力ある古きヴァンパイアのマリアベル。勇者たちの苦悩を嗤いながら滅び逝く者。


 しかし、結局のところ彼女の遠吠えは不発に終わる。勇者たちを多少揺さぶりはしても、その覚悟にまで影響しない。


「余計な心配をありがとう。既に私たちは帰還の為の術式を解明している。後は召喚者であるエリノーラ同盟の承認と魔力の供与だけ。もし、これで同盟が私たちの帰還を拒むなら……あなたが望むような展開になるかもね。でも、同盟側だって、戦争を終わらせた〝化け物〟に長々と居座られたくないでしょうから……私たちは無事に帰還を果たすことになるわ」


 酸いも甘いも噛み分けた。勇者たちとて、もう召喚当初の何も知らない異世界人でもない。自分たちの目的のためなら、他者を蹂躙すらしてみせる。


 これで約束が反故にされれば……帰還が果たせないとなれば、次に滅ぶのがエリノーラ同盟であるのは明々白々。


 咲耶たちはやる。もうそこで躊躇ったりはしない。


 同盟側もそれを知っているからこそ、今や勇者たちを敬して遠ざける。彼らの望みを叶える為に力を尽くす。


「ふっ……同盟の勇者は甘くないということか……連合に流れて来た勇者は、甘っちょろいロマン主義者だったんだがな……ふふ……」


 身近に知っている勇者……異世界人を懐かしむようにマリアベルは思いを馳せる。


 それは彼女の長い長い戦いの人生の中で、思い出と呼ぶには極々最近のことだったが、それでも、異世界人の語る遠い故郷の話は、戦しか知らぬマリアベルにとってはささやかな楽しみであり、敗戦濃厚な戦況を一時忘れさせてくれる慰めでもあった。


「流れて来た勇者? 桐原(きりはら)隼人(はやと)のことか?」


「あぁ、確かそんな名だった。ふふ。故郷の話をよくしてくれたよ……〝ニホン〟という、日常に戦のない平和な国の話を……」


 末期(まつご)の会話。魔王マリアベルの命運は変わらない。勇者への嫌がらせのような負け惜しみも通じないと知る。ならば、後はただただ静かに滅していくのみ。


「……隼人君は連合でどうしていたの? 彼は……まだ生きているの?」


 咲耶が魔王へ問い掛ける。ただし、その問いはあくまで願望でしかないことを自覚した上で。


「……死んだよ。最期までよく分からない奴だった。殺し合いなんてしたくないと泣きながら、わざわざ戦場に立って兵たちが死んでいくのをその目に焼き付けていた。自らは決して力を振るおうとせずにな。……結局、奴は心が擦り切れてしまったのだろう。ある時から徐々に衰弱していき、眠る様に精霊の庭へと旅立った。最期まで〝ニホンへ帰りたい〟と願っていたな……」


「…………そう。隼人君も既に亡くなっていたのね……」


 同盟の勇者たちも覚悟はしていた。もう生き残りは自分たちだけだと。他に生き残っている同郷者はいないのだと。


 ただ、覚悟があったとしても、同郷の仲間が亡くなったと知らされれば思うことはある。さりとて、特段に魔王や連合への怒りなどはない。拷問の末に殺されたとなれば話は違ってくるが……生き残った勇者たちも、辛うじて擦り切れていないだけであり、失意の内に命を手放してしまうことに共感できてしまうのだ。


「あぁ……勝手な願いで悪いんだが……できるなら、奴の遺品だけでも〝ニホン〟へ連れ帰ってやってくれないか? 遺品については、砦の生き残りに聞けば分かる筈だ」


「ッ!? ……あ、ありがとう……隼人君を看取ってくれて。遺品を残してくれて……」


「ふっ……ほんの気まぐれだ……奴の語る異界の話は興味深かったからな……」


 灰へと還る魔王。ザカライア連合の盟主。


 元の世界へと帰還する為に、エリノーラ同盟の尖兵にして切り札となった勇者たち。


 勝者と敗者という単純な分け方もできない両者。


 ある意味では、静かに滅するマリアベルも、長き泥沼の闘争から解放されたとも言える。


 一方の勇者たち。たとえ元の世界へ戻っても、その荒んだ心が元通りになる保証はない。


 当事者にとっては灰色の決着ではあるが…とにもかくにも、大戦は終結した。



 ◇◇◇



「ハヤトの遺品だな? マリアベル様から()()に言付かっているよ。こっちだ。案内しよう」


「事前に……?」


 戦後の後始末……というには、まだまだ混乱の残る情勢ではあったが、ザカライア同盟軍側には抵抗の意思がないのは確認された。


 盟主である魔王マリアベルが事前に徹底していたのだ。


〝私が滅した後は一切の抵抗を止めよ。戦はこれで終いだ〟……と。


「ああ。マリアベル様は戦の終わらせ方をずっと前から模索しておられたからな。そんな時、エリノーラ同盟に〝勇者〟が現れた。マリアベル様はその直後から今の状況を見据えていたらしい」


「俺たちが召喚された直後から?」


「勇者というより、戦場のバランスを壊す特異戦力の出現によって……などと仰っていたらしい。あくまで伝聞だがな。ま、俺のような下っ端がマリアベル様のお考えを推察するなど烏滸(おこ)がましいが……少なくとも、ハヤトと語り合っていた頃には、マリアベル様は連合の敗北を受け入れておられたように思う。死にたがりな奴しか戦場に出るなと指示を出しておられたしな」


「…………」


 勇者である尾張(おわり)翔太(しょうた)(はぎ)咲夜(さくや)を案内するのは、とうの昔に一線を退いた龍人族(ドラゴニュート)の老兵。


 もっとも、老兵と言われても、翔太たちからすれば龍人族とリザードフォークの判別も怪しく、外見からその実年齢などを推察できよう筈もないが。


「……隼人君は、マリアベルさんとどんな話をしていたのでしょうか?」


「ん? まぁ色々と小難しい話もしていたようだが……ほとんどは取り留めもない話だな。ハヤトの故郷の話が多かったように思う……まぁ何だ。変わってはいたが、ハヤトは良い奴だったよ。マリアベル様だけじゃなく、俺も含めて砦の皆が何だかんだと奴の話を聞きたがったものだ。……ったく。普段はヘラヘラしてたくせに、最後の最期は強情でな。素直に眷属を受け入れてりゃ死なずに済んだってのに……馬鹿な奴だったぜ、本当に……」


 馬鹿な奴だと悪し様に語りはするが、龍人族の兵には故人を悼む心がある。旅立ってしまった勇者ハヤトを惜しんでいる。


「隼人は連合でよくしてもらっていたようですね。どこにいても、いつの間にか輪の中心にいる……ふっ。らしいと言えば隼人らしい」


 種を超えて心は通ずる。同郷の勇者にも、龍人族の兵が友の死を悼んでくれているのは伝わる。失意の中で命を終えはしたが、勇者ハヤトは決して孤独ではなかったのだと知る。


「ええと……兵士……さん?」


「ん? あぁ……俺の名はグラーだ。どうかしたのか? 勇者のお嬢さんよ」


「その……グラーさん。眷属を受け入れていたら死ななかったというのは……?」


「あぁそのことか……そりゃマリアベル様はヴァンパイア族だからな。ハヤトには彼女の眷属として生きる道もあった。だが、そうなれば〝勇者〟の資格を失い元の世界に戻れなくなるとかぬかして、ハヤトの奴はとうとう最期まで首を縦に振らなかったがな……くそ。元の世界に帰るどころか、死んじまったら何にもなりゃしねぇってのによ……」


 勇者ハヤトは最期まで願っていた。


 この世界と縁を結び、元の世界へ戻れなくなるくらいなら……死を選ぶ程には帰還を渇望していた。


「詳しくは知りませんが、ヴァンパイア族……それも魔王とまで呼ばれたマリアベルさんなら、無理矢理にでも他者を眷属化することもできたのでは? 隼人君を生かす為に……」

 

 彼女に誰かを責める意図はない。しかし、それでも咲耶はハヤトに生きていて欲しかった。生きて再会したかった。当人がそれを望まなかったことを知ってもなお。


「勇者のお嬢さん。気持ちは分からんでもないが……たとえ敵対している相手であっても、当人が望まないままに自我を残して眷属化するなんぞ、外法中の外法よ。()()にそんな真似をするなどなおさらだ。まさに万死に値する禁忌と言っても過言ではない。まぁそれでも、マリアベル様は外道に成り果てる覚悟でハヤトを生かそうともしたんだが……死を受け入れた奴の穏やかな表情(かお)を前にして、結局何もできなかったらしいがな。気丈なマリアベル様が、珍しく皆の前で気落ちされていたよ」


 龍人族の老兵グラーは、咲耶を諭すように応じる。それは馬鹿な真似なのだと。そして、それでもハヤトを生かす為に、皆が一度はその馬鹿な真似を考えたのだと。彼は紛れもなく自分たちの〝仲間〟だったのだと。


「…………そう……ですか……」


「咲耶。もう隼人はいない。それはザカライア連合の人たちの所為じゃない。もし、誰かの所為にするというなら、出ていく隼人を止められなかった俺たちの責任だよ」


 翔太たちはやり遂げた。帰還の為の術式を解明し、術の行使に必要な膨大な魔力を得る交換条件として、エリノーラ同盟の兵として戦場を駆けた。


 そして、ついにはエリノーラ同盟の勝利に寄与した。ザカライア連合という敵を打ち破った。


 しかし、彼らが歓喜の勝鬨を上げることはない。


 目的を達する為に、何人もの仲間が命を落とした。多くの悲劇を目の当たりにしただけではなく、自分たちが悲劇を生み出す側にいた。戦場で敵に討たれるというだけでなく、心が耐え切れずに自ら命を絶った勇者だっているのだ。


 生き残った者たちにしても、人として失ってはならないナニかを失ってしまった自覚もある。


 どうあっても、以前の自分たちには戻れないことを痛感している。


「俺なんかが口を挟むのもどうかと思うが、あまり自分たちを責め過ぎないようにな。戦場でのことはもうどうしようもないだろうが、ハヤトから色々と聞いていたよ。あんたら〝勇者〟は別に望んでこの世界へ来た訳じゃないんだろ? 故郷へ帰る為になし崩し的に戦場に出てたんだろ?」


 敗北を決定付けた勇者たちは、ザカライア連合の者からすれば怨敵とも言える相手ではあるが、老兵のグラーに異界の勇者たちへの恨みつらみはない。全ては戦場でのこと。殺し殺されは戦の常だ。


 しかも、勇者たちがこの世界へ来たのは思いがけない事故のようなもの。自らが望んでこの世界へ来た訳じゃない。故郷へ帰る為にエリノーラ同盟に与していただけ。他でもない勇者の一人からグラーはそう聞いていた。


「……それでも、俺たちがザカライア連合の兵を殺してきたのは事実です。目的があったからと言って正当化できるとは思っていません」


「ふっ。勇者殿は真面目だな。そういうところはハヤトと似てるぜ。まぁ何だ。俺たちはあんたらが来るずっと前から戦いに明け暮れてたんだ。異界の勇者が戦場に現れたところで、流れる血が数滴増えた程度の差だ。いや、何なら勇者殿たちは偉業を為したと胸を張っても良いくらいだな。何しろ戦を終わらせ、この先に流れる筈だった血を止めたんだからよ」


「「…………」」


 老兵グラーは、若く真面目な勇者を諭す。それは友であるハヤトへの贖罪を込めて。絶望に蝕まれ、擦り切れていくハヤトには届けられなかった言葉だ。


「あくまでマリアベル様の受け売りだがね。戦を止めるというのは、数多くの未来を……可能性を救うことだとよく仰られていたよ。それらの言葉は、死に抱かれたハヤトを引き留める為だったのかもしれないが、よくよく考えりゃ、確かにマリアベル様の仰る通りだと今になって思うぜ。戦を止めるってのは、戦で失われる筈だった命を救うのと同義だ。どんな思惑があったにせよ、勇者殿たちが戦を止めた立役者なのは確かさ」


「……俺たちに殺された兵やその遺族たちが、そんな綺麗事で納得するでしょうか?」


 故郷に帰る為だ。仕方がない。恨むなら俺たちをこの世界へ喚び寄せた存在か、あるいは交換条件を出してきたエリノーラ同盟こそを恨んでくれ。俺たちだって被害者なんだ。ただ帰りたいだけなんだ。


 そんな風に割り切って、心と思考を閉ざすことができればどれほど良かっただろうか。


 残念ながらというべきかは分からないが、翔太は表面上の誤魔化しでは割り切れなかった。


 自分を騙せない。偽れない。人の心を捨てることも封じることもできない。


 どうしても喪われた命のことを、自らが奪った命のことを考えてしまう。仲間の前では強がっていたが、その心は擦り切れる寸前まで摩耗している。


 それでも、まだ戦いの最中は誤魔化せた。戦場では自身の迷いが仲間を窮地に立たせてしまうという緊張感があったからこそ、辛うじて心を保つことができた。平気なフリをすることができた。


 しかし、戦いが終わった今、様々な思いが濁流の様に心を乱す。摩耗した心がさらに削れていく。 


「止めとけ止めとけ。自責の念が強過ぎると心が死ぬぞ? 心が死ねば、肉体も遠からずに死ぬ。俺は個人的に勇者殿たちを知らん。しかし、ハヤトの同胞であるあんたらが、あいつと同じように擦り切れて死んじまうのは忍びねぇ。何しろハヤトと違って、あんたらには故郷へ帰るという未来がある。故郷の〝ニホン〟って国は、戦のない平和な国なんだろ? こんなくだらねぇ異世界の戦のことなんざ忘れちまえばいいさ」


「わ、忘れるなんてできないッ! お、俺の手は血に(まみ)れています!!」


「翔太……」


 翔太も咲耶も、他の生き残った勇者たちも……皆が苦悩を抱えている。


 皮肉な話だ。


 敵兵を殺すことに何の痛痒も感じない勇者もいた。だが、そういう者たちは皆戦場で死んだ。生き残れなかった。また、真正ではなく、偽悪的に平気なフリをしていた者たちもいたが、結局は耐えられなかった。乗り越えられなかった。


 疑問を抱き、悩み、心を削りながら血を吐き、日々葛藤し、紙一重で自死を踏み止まった者たちが生き残った。生き永らえてしまったのだ。


「なぁ勇者殿よ。これは卑怯な言い草だし、あんたらには呪いとなるかもしれんが言わせてもらおうか」


「の、呪い……? グラーさん……何を?」


 グラーには、目の前にいる異界の勇者がハヤトと重さなって見えた。このままだと、彼は早晩ハヤトと似たような終わりを迎えるという予感を覚えた。


 それはある意味では気休め。見ず知らずの敵兵の言葉一つで、絶望と諦めに飲まれかけた者を現世に留められるとは思っていない。そこまでの期待はしない。


 しかし、それでも龍人族の老兵は若人に呪いの言葉を投げる。 


「勇者殿よ。どうか〝平和で退屈なニホンに帰り、ただただ普通に生きてくれ〟……最期までそれを願いながら、失意の中で死んじまったハヤトの代わりによ」


「は、隼人の代わりに……?」


「ああ。異界の人族の習わしは知らん。だが、俺たち龍人族には〝友の遺志や願いを引き継ぐ〟という風習がある。あんたらはキリハラハヤトの友だったのだろう? たとえ道を違えたとしても友だった筈だ。少なくともハヤトはそう思っていた」


「隼人君が……私たちを友だと……?」


 桐原隼人は翔太たちから離反した。日本へ帰る為とはいえ、戦場での殺し合いを彼は受け入れられなかった。自分を騙し切れなくなった。


〝チート〟を使い、ザカライア連合の兵を殺す日々。そんな日々の中で、彼の心はずっと悲鳴を上げ続けていた。そして、とうとうある日、まるで堤防が決壊する直前のように、もう踏み止まれない程に決定的なひびが入ってしまった。心に。


 ハヤトはその後も生き永らえはしたが、心がひび割れたあの日に……彼の命運は定まっていたのかもしれない。


〝もう殺したくない……嫌なんだよ……〟


 そう語りながら、力のなく空虚な笑みを浮かべて去っていくハヤトを……翔太たちは止められなかった。


「俺は今でも隼人のことを友人だと思っています。ですが、嫌がる隼人に戦いを強制した俺たちのことを、あいつが友と思ってくれていたなんて……グラーさんには悪いけど、とても信じられない」


「翔太……」


 自分たちを友と思うどころか、翔太はハヤトから恨まれてもおかしくないと自覚していた。去っていく彼の背を見送りながら、この先、昔のように笑い合うことはないと覚悟していた。恐らくこれが今生の別れになるだろうことも。


 結局のところ、当時の翔太の覚悟の通り、彼はハヤトと、もう二度と語り合うこともできなくなってしまった。


「死の間際、ハヤトは言っていたよ。このまま死んでしまうのなら、せめて皆に謝りたいとな。仲間のことを……友人のことを人殺しだの戦闘狂だのと散々なじって飛び出して来たけど、皆だって苦しんでいた。俺は自分のことばかりで、歯を食いしばって耐えている皆の覚悟を踏みにじってしまった……そんな後悔を口にしていたよ。なぁ勇者殿よ。ハヤトの願いを継いでくれないか? あいつの想いを胸に抱き、あんたは生きろ。生き続けてくれ。人族の寿命などたかが知れてるだろ? それに、どうせ死ねば精霊の庭で再会するんだ。なら、お前の想いを受け継いで生き抜いたんだと……精霊の庭でハヤトと笑い合えるような生き方をしてはどうだ?」


「「…………」」


 過去ではなく未来を生きろ。


 故郷へ……平凡な日常へ帰れ。


 当たり前の日常と未来を永遠に失ってしまった者の願いを継いで。


 死して友と再会するその時まで、精一杯に生き続けろ。


「命の終わり……精霊の庭での再会……か。……はは。確かにそうだ。こうして異世界があったんだ。あの世が……精霊の庭が実在しててもおかしくはないよな。隼人たちと……散って逝った皆と……俺はまた逢えるのか……」


 実のところ、これまでも翔太は似たような話を散々聞かされてきた。だが、その度に彼は思っていたものだ。


 何が死んだ者の為にだ。何が死者もそれを望んでいるだ。勝手に死者の想いを代弁するなよ。結局は生きてる側の理屈を死者に擦り付けているだけじゃないか


 翔太は内心で否定していた。


 生者の都合で死者の想いを利用しているとしか思えない。人族もそれ以外の種族も、結局は死ねば終わりだ。天国も地獄もありはしない。現世というこの世こそが地獄なんだと、翔太はそんな風に現実を受け入れ、綺麗事を語る連中に反発していたが……いちいちそれらの反発を表に出さない程度に醒めてもいた。


 だが、この度は違った。


 それは寿命や生態がまったく違う異種族の、しかも敵兵の言葉だったからか。


 道理を知った上での諦めがあり、老兵グラーには是が非でもという熱量がなかった為か。


 そもそも、彼にあるのはあくまでもハヤトへ義理であり、翔太個人への特別な関心がなかったが故のことか。


 具体的にどういう理由によってなのかは当人である翔太にも分からない。


 しかし、淡々と語る老兵グラーの言葉は、何故かするりと心の深い部分に届いた。翔太自身が思わず驚いてしまう程に。これまでの反発が嘘のように。


「ま、所詮は精霊の庭に片足を突っ込んだ老いぼれの戯言(たわごと)だがね。勇者殿よ。苦悩するのは仕方がないことだ。しかし、そうやって苦しみ悩むことができるのは、いわば生者の特権なんだと覚えておいてくれ。ハヤトは……死んだ連中は精霊の庭で待つだけ。もう苦しむことも悩むこともないが、それらが救いなのか呪いなのかは……それぞれの想い次第だ」


「死者は待つだけ……苦しむことは生者の特権……」


 もちろん、グラーの言葉が響いたからといって、翔太の苦悩や後悔が消え去る訳ではない。それでも、血に塗れてしまった自分たちが生きることを、苦悩すること自体を、その未来を肯定されたのは、翔太にとってはほんの僅かな慰めになったことだろう。


「…………ねぇ翔太。帰ろう……日本へ……帰ろうよ。もちろん、日本に戻った後にどうなるかなんて分からないし、異世界(ここ)でのことを忘れるなんてできないだろうけど……それでも……帰ろうよ。生き残った皆と……隼人君の……散ってしまった人たちの遺品も連れてさ」


「……咲耶……あぁ…………そうだな。帰ろう日本へ。もう……今はそれだけでいい……」


 二人の勇者は泣き笑いのような顔で見つめ合い……どちらかともなく、血に塗れてしまった手を固く握り合う。


 翔太たちが異世界に召喚されたのは、本当に偶然の産物だったのか、それとも女神の思し召しだったのか……もはや確かめる術はない。


 勇者たちはおよそ十年という歳月を異世界の戦場で過ごし……故郷に帰還することになる。



 ◇◇◇

プロローグにもエピローグにもなりそうなネタ。気が向いたら連載として書こうかな? ……と思いつつ放置していたやつ。

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