30話「それは……突然に」
「ん~~! 酸っぱい!」
気を取り直して農場見学の真っ最中です。
農場には若いご夫婦と、小さなお子様が二人おりました。
男の子と女の子の兄弟のようです。
男の子がお兄さんで、女の子が妹のようです。
歳の差は三歳ぐらいでしょうか?
小さい頃の私とフォンジー様を見ているようです。
農場の方々は笑顔で私を出迎えてくださいました。
フォンジー様からグロス子爵家に良くない感情を持っている領民もいると聞いておりましたが、ここの農場の方は違うようです。
案内された畑には、真っ赤な苺が一面に実っていました。
実は私、妹から果樹園に見学に行って、取り立ての果物を食べたという話を聞いてから、ずっと羨ましいと思ってたんですよね。
畑で収穫したばかりの果物を口に入れるなんて、これ以上ない幸福です。
「酸っぱいでしょう?
このままではとても売り物にならないんですよ」
「大丈夫ですよ。
酸っぱい苺も砂糖をまぶしてオーブンで焼けば甘くなります」
早速酸っぱい苺を使ったお菓子のレシピを考えなくては!
「ここで収穫された苺を、いくつか頂いてよろしいでしょうか?
お菓子の試作品を作りたいんです。
もちろんお代はお支払いします」
「そんな! グロス子爵家のお嬢様からお代なんていただけませんよ!」
「えっ?」
「領主様から伺っております。
この土地の復興のために、子爵家が大金を出してくださったと」
「私たち領民は、子爵家に足を向けて寝られないんですよ」
領民の方々が当家に感謝している?
フォンジー様から伺っていた話と違います。
彼のお話だと、侯爵家の領民はリック様と婚約破棄した私をあまりよく思っていなかったはず?
フォンジー様のお顔をちらりと見ると、気まずそうな顔をしていました。
「ごめんね。
君が当家に来るのを思いとどまらせたくて嘘をついたんだ。
当家が災害に見舞われた時、子爵は大金を出してくださった。
それどころかリックが事件を起こした後も、その支援を続けてくださった。
本当に子爵家には足を向けて寝られないよ」
「お父様がそんなこと……」
お父様もお母様も、話してくれないから私は何も知りませんでした。
「だから君があの事件のことで罪悪感を覚える必要はないんだよ。
子爵家からは十分すぎるくらい援助を受けたからね」
「それとこれとは話は別です。
父がしたことと、私がしたことを一緒にしないでください。
私は私にしかできないことで、領民の皆さんを助けたいのです!」
「君は意外と頑固だね」
「フォンジー様こそ」
その時、スカートの裾をツンツンと 引っ張られました。
私のスカートを引っ張ったのはこの家の娘さんでした。
「お姉さん綺麗。
白い服着てるから花嫁さんみたい」
今日の私が着てる服はオフホワイトのドレス。
子供にはウェディングドレスのように見えるのかもしれません。
「こらやめないか!
お嬢様のドレスを汚してしまう!」
「大丈夫ですよ」
女の子だもの可愛いドレスには興味がありますよね。
「お姉さんは領主様の婚約者なの?
いつ結婚するの?」
「ええっ……??」
女の子からの思いがけない質問に、私は動揺を隠せません。
「僕知ってる〜〜!
最初は手つないで、次にチューして、最後に結婚するんだよね?
領主様はお姉さんともうチューしたの?」
今度は男の子からの質問が飛んできました。
なんておませさんなんでしょう!
「わ、私はあの……」
「このお姉さんはね、農場に見学に来ただけのお客さんだよ。
私と結婚することはないよ」
フォンジー様が男の子の質問にそつなく答えました。
そう……ですよね。
フォンジー様にとって、私は妹のような存在でそういう対象ではありませんよね。
そんなことは分かりきっていたはずなのに……それなのになぜ、こんなにも胸がズキズキと痛むのでしょう?
「でもお姉さんが馬車から降りる時、領主様はお姉さんの手を握ってたよ?」
「あれはエスコートといって、紳士が淑女にすることで、特別な意味はないんだよ」
「え〜〜? そうなの?」
「君も妹が迷子になったり、転んだりしないように、手を貸してあげるだろ?
それと同じだよ」
そうですよね。
エスコートに特別な意味なんてありませんよね。
私はフォンジー様にとって妹のような存在なのですから。
「こらお前達、領主様を困らせるんじゃない!
すいません領主様!
うちの子たちがご迷惑をおかけしました」
「いや、子供のしたことだから気にしてないよ」
私も、子供に言われたことをいつまでも気にしてはいられません。
今日は無理いって農場見学をさせていただいてるんです。
苺についてしっかり学んで帰らなくては!
◇◇◇◇◇
「…………」
「…………」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
私は来たときと同様に、フォンジー様の腕の中にいました。
帰りの馬車に乗る時、どちらが御者席に乗るか、客席に乗るかで揉めました。
結局揉めてる時間がもったいないので、二人で客席に乗ることになりました。
今だけ、少しだけの辛抱です。
もう少ししたら道の良い場所に出ます。
農園で子供達に「ちゅ~したの?」とか、「結婚するの?」と言われたことが頭の中でぐるぐるしてます。
子供達にそう言われたとき、タキシードを着たフォンジー様と、教会でキスするところを想像してしまいました。
フォンジー様は、私のことなんて思ってないのに、私だけが彼を意識してるなんて……。
早く舗装がしっかりした道に出てほしいです。
このまま彼の腕の中にいたら、ドキドキしすぎて心臓が爆発してしまいます。
しばらくして馬車の揺れが穏やかになりました。
道の良い場所に出たようです。
「フォンジー様もありがとうございました。
私はもう大丈夫ですから……」
そう言ってフォンジー様から体を離した瞬間、馬車がガタンと音を立て、大きく揺れました。
「キャッ!」
気がつくと、私はフォンジー様に押し倒される形で、座席の上に倒れていました。
目を開けると、フォンジー様のお顔がすぐ目の前にありました。
お人形のように整っていて、美少年というより美少女に近かったリック様。
兄弟だから、フォンジー様とリック様のお顔は少し似ています。
今まではリック様がすぐ側にいたから、リック様の容姿だけが褒められてきました。
ですがフォンジー様も十分整ったお顔立ちをしています。
フォンジー様が一人っ子だったら、お茶会やパーティーに参加する度に、彼の容姿に魅了された若い女性から、きっと黄色い悲鳴が上がったと思います。
彼の澄んだ瞳に見つめられて、私の心臓は鼓笛隊が打ち鳴らす太鼓のように、ドクンドクンと激しく音を立てていました。
「すまない! すぐどくから……!」
「はい……」
フォンジー様が私の上からどこうと、身を起こした時、また馬車が大きく揺れました。
「キャァッ……!」
「うわっ……!」
今度は私がフォンジー様を押し倒していました。
そして……あろうことか私達の唇が触れ合っていたのです。
えっ……?
今、私……フォンジー様とキスしてる??
すぐに離れなくてはいけないのに、体が動きませんでした。
「すみません! 旦那様、お嬢様!
この辺は特に道が悪くて……もうすぐ舗装が整った道に出るので、それまで辛抱してください!」
御者の声で我に返った私は、急いでフォンジー様から離れました。
何か、何か言わないと……!
でも言葉が出てきません!
「すまない。
さっきのことも、今のことも……。
君にこんな事するつもりは……」
先に声を発したのは、フォンジー様でした。
ちらりとフォンジー様の様子を伺うと、耳や首まで真っ赤になっていました。
「そ、それを言うなら、わ、私の方こそすみません……!」
私がフォンジー様の腕の中で大人しくしていたら、こんなことにはなっていなかったはずです。
「…………」
「…………」
馬車の中は沈黙が支配しています。
行きのようにとてもしりとりを提案できる雰囲気ではありません。
これから一カ月、こちらに滞在する予定なのに……!
フォンジー様にお会いする時、どんな顔をすればいいんでしょう!!
◇◇◇◇◇
「お嬢様、オーブンから煙が出ております」
「ええっ!!」
侯爵家に帰宅した私は、農園から頂いた苺を使ってお菓子を作っていました。
侯爵家のメイドさんがアシスタントについてくれました。
ビターチョコレートと苺を入れた、ストロベリーショコラマフィンを作るはずだったのですが……。
オーブンから取り出したお菓子は、真っ黒焦げになっていました。
「農園の方が一生懸命作ってくれた苺を無駄にしてしまいました……。
もったいないのでこの失敗作は私が全部食べます」
「おやめください。
お嬢様、農園の方もお嬢様がお腹を壊すことを望んではおりませんよ」
「うう……本当に申し訳ないです」
いつもお菓子を焦がすことなんてないのに……。
「お屋敷に帰ってからお嬢様は、心ここにあらずといったご様子。
お出かけ先何かありましたか?」
「えっ……?」
メイドさんの言葉で、馬車の中でフォンジー様と、キ、キスをしたことを思い出してしまいました。
あれは事故、あれは事故です!
気にしてはいけません!
でも今でも唇に……フォンジー様の唇の感触が残って……。
指で唇に触れると、フォンジー様とキスをした時のことが、鮮明に浮かびました。
私は考えを振り払うように、頭をブンブンと横に振りました!
そして気合を入れるために、自分の頬をパーンと叩きました。
しっかりしなくては! ここに遊びに来たんではありません!
こちらで採れた野菜や果物を使って、名物になるような美味しいお菓子を作るために来たんです!
「何でもありません!
ちょっと疲れが出ただけです。
次は失敗しないように気をつけて、美味しいお菓子を作ります」
「さようですか。
私も全力でお手伝いいたします。
完成したお菓子を旦那様に差し上げたら、きっと喜ぶでしょうね」
私は持っていたボールと泡立て器を落としそうになりました。
「えっと、完成品は、フォンジー様に食べていただかないといけませんか?」
あんなことがあったから、フォンジー様と顔を合わせるのが気まずいです。
「お嬢様は当家の名産品になるものを作っていらっしゃるんですよね?
でしたらやはり、当主である旦那様に召し上がっていただくのが一番かと存じます」
「そう……ですよね」
お菓子が完成したらメイドさんに届けてもらいましょう。
今はお菓子を完成させることに集中しなくては!




