19話「再会は護身術の後で」
その時カランカランと、またドアベルが鳴り響き、お店の中にまた誰か入ってきました。
「済みません、待ち合わせの予約をしたフォンジー・ザロモンです。
こちらにエミリー・グロス子爵令嬢は……って、エミリー嬢?
これはいったいどういう状況かな?」
お店に入ってきたフォンジー様があっけに取られています。
くすんだ金色の髪に灰色の瞳、スラリと伸びた長身、優しげな目元は以前のままです。
フォンジー様、少しやつれたかしら?
王都での生活で苦労をされているのね。
彼の二年間の生活に思いを巡らせ、複雑な気持ちになりました。
彼が苦労した原因は、私が彼の弟のリック様と婚約破棄したことにあるのだから。
あの時の私は、リック様への怒りで、何も考えずにザロモン家の有責で婚約破棄してしまいました。
冷静になったあと、ザロモン家方々や、その家の使用人や、領民がどれほど苦労したか考え、胸が痛みました。
「フォンジー様、これはえっと……」
お菓子に手を出そうとしたラインハルト様を、私は思わず投げ飛ばしてしまいました。
マダリン様から教わっていた護身術が、まさかこんなところで役に立つなんて。
お菓子を守るために男性を投げ飛ばすなんて、淑女にあるまじき行為です。
きっと、フォンジー様にお転婆だと思われてしまいました。
「確認の為に聞くけど彼は強盗か何かかな?
もしそうなら警備の者を呼ぼうか?」
彼は床に延びているラインハルト様を、不審そうに見つめました。
「違います!
彼は強盗ではなくて……彼は私の友人です……一応」
「そうなんだ。
君の友人がなぜ床に倒れているのか教えて貰ってもいいかな?
もし彼が君に乱暴を働こうとしていたと言うなら、法的な処置に……」
フォンジー様が眉間にシワを寄せ厳しい顔をしました。
穏やかな性格のフォンジー様でも怒ることってあるのですね。
「違います!
私は彼に何もされていません!
彼はちょっと食いしん坊さんなだけなんです!
フォンジー様の為に用意したお菓子を、彼が全部平らげると言ったので、私は阻止しようとして!
それで思わず彼を投げ飛ばしてしまいまっただけです!」
ラインハルト様の名誉を守ろうとしたら、私がお菓子を食べようとした友人を投げ飛ばした乱暴者になってしまいました。
フォンジー様に食い意地のはった乱暴者だと思われてしまったでしょうか?
恥ずかしい! 穴があったら入りたいです!
「女性が一人のときに、友人とはいえ男性に予想外の行動を取られたら怖いよね。
大丈夫? どこか怪我をしなかった」
フォンジー様が私の心配をしてくださいました。
良かった、乱暴者だと思われなかったようです。
私は安堵の息を吐きました。
ん? 私はなぜ、フォンジー様と乱暴者だと思われなかったことにホッとしているのでしょう?
「はい、平気です」
なぜでしょう? 彼に見つめられると心臓がドキドキします。
「とりあえず彼を起こそうか?
気付け薬を飲ませるから手伝ってくれないか?」
「はい」
フォンジー様はラインハルト様を抱き起こし、懐から気付け薬と思われる小瓶を取り出すと、彼に飲ませました。
しばらくしてラインハルト様が目を覚ましました。
「お菓子を食べようとしたぐらいで投げ飛ばすことないじゃないか!
そんなに今日訪ねて来るやつに食わせるお菓子が大事かよ!
ママにも投げ飛ばされた事はないのに〜〜!!
お前と一緒にお店を出す話はなしだ!!
うわーーん!! ママーー!!」
と言って、彼は泣きながら店を飛び出して行きました。
彼はどうやらマザコンだったようです。
彼と結婚する人は大変ですね。
「彼、混乱していたようだけど一人で帰して大丈夫かな?」
「心配いらないと思います」
あんな方の心配をするなんて、フォンジー様はお優しい方です。
でもこれでラインハルト様と一緒に、刺繍とお菓子のお店を出す話はなくなりました。
自作のお菓子を守るために、男性を投げ飛ばすような凶暴な女と、一緒に仕事をしたい男性はいないでしょうから。
彼が私に投げ飛ばされた事を他の人に話したら、この国でお店は出しにくくなるかもしれません。
でもその事に、さほどショックを受けていない自分に気づきました。
私はそれほど、この国でお店を出すことにこだわっていなかったようです。
じゃあ……私のやりたいことっていったい?
今はそれより、フォンジー様をもてなす事のほうが大事です。
「フォンジー様、遠路はるばるようこそおいでくださいました。
せっかく起こして頂いたのにお見苦しいところをお見せして、申し訳ありません。
お茶とお菓子の用意ができています。
どうぞおかけください」
私はカロリーナ様に教わった、カーテシーを披露しました。
フォンジー様には先ほど男性を投げ飛ばすところを見られているので、今さら淑女らしく振る舞っても遅い気はしますが……。
色々と彼には伝えたいことがあります。
でもまずは遠方からやってきた彼に、休んでいただきたいです。
私の作ったお菓子を久しぶりに食べていただきたいですし。
「ありがとうエミリー嬢。
そうさせて貰うね」
「はい」
彼に名前を呼ばれただけで、胸がどきどきします。
今日の私は、やっぱり少し変です。
◇◇◇◇◇◇
テーブルにケーキスタンドを設置し、取り皿とフォークを並べました。
それから、熱々のアップルティーを淹れ、フォンジー様にお出ししました。
「ありがとうエミリー嬢、今日は店員さんはいないのかな?」
「込み入った話になると思ったので、貸し切りにしていただきました」
「それじゃあ、このお茶とお菓子は?」
「全部、私が用意しました」
「済まない。
君な気を使わせてしまったみたいだね」
「いえ、私が勝手にしたことですから、お気になさらないでください。
それでどうでしょうか?
お口に合いましたか?」
彼が紅茶やお菓子を口に運ぶ度に、心臓がうるさく音を立てています。
ケーキの品評会のときだってこんなに緊張しなかったのに、やっぱり今日の私はどこかおかしいです。
「紅茶はとても香りが高いし、飲みやすい温度で淹れてあるし、凄く美味しいよ。
ケーキのデコレーションは繊細だし、味も洗練されてる。
祖国にいた時、君が作ってくれた素朴なお菓子も良かったけど、華やかな見た目と味のこのケーキも素晴らしいね」
「本当ですか?
フォンジー様にそう言っていただけて嬉しいです!」
フォンジー様に褒めていただきました。
お菓子の感想を貰っただけなのに、心がほわほわしています。
ずっとこの時間が続けばいいのに……。
のどかにお茶を楽しみたいところですが、侯爵位を継いだフォンジー様もお忙しい身。
本題に入らなくてはいけません。
「あの私……フォンジー様にお会いしたら、お伝えしたいことがありました」
「なにかな?
本当のことをいうとね。
エミリー嬢に何を言われるのか、今すごくドキドキしてる」
エッ? フォンジー様、私が何を言うのかそんなにドキドキしてるんですか?
でも、フォンジー様のお顔は悲しげでした。
きっと、リック様のことで私に責められると思っているんですよね。
「その前に当主就任おめでとうございます。
本来ならザロモン侯爵閣下とお呼びしなくてはいけないんですよね。
再会がバタバタしていたので、つい昔の呼び方をしてしまいました」
彼が侯爵子息だった時とは違うのです。
今のフォンジー様は、歴史ある侯爵家の当主。
軽々しく名前を呼んでいい相手ではありません。
「それをいうなら、私の方こそごめん。
君はもう弟の婚約者ではないのだから気安く名前を呼んではいけないのに、つい昔のクセで『エミリー嬢』と呼んでしまった。
未婚の女性に失礼だったよね」
「そんなこと気にしないでください!
私の事は変わらず名前で呼んでください!」
グロス子爵令嬢と、赤の他人のように呼ばれるよりずっといい。
「本当に?
私も名前で呼ばれたほうが気楽なんだ。
侯爵閣下なんて呼ばれるのはなれないよ。
堅苦しくてね」
フォンジー様が苦笑いを浮かべました。
「では、今までのように『フォンジー様』とお呼びしてもよろしいですか?」
「うん、いいよ。
君の事も『エミリー嬢』って呼んでもいいかい?」
「もちろんです!」
名前で呼び合うことが決まっただけなのに、何故か気持ちがぽかぽかしてます!