第75話 和樹の願い
とりあえず往来では邪魔になるということで、一行は境内の隅に移動した。
それから、年始最初に会ったということで、定番の挨拶を交わす。
「こちら、私の兄の浩一と、俊夫の姉の真奈美さんです」
佳織は、和樹と白雪に初対面の二人を紹介してくれた。
和樹が見たところ、わずかに年下という感じがする。おそらくは大学生か。
浩一は身長は和樹より少し低いくらい。薄手のセーターの上にダウンジャケット、下はジーンズという出で立ちだ。いかにも若者らしいと思ってしまうあたり、自分も年を取ったのかもしれないと思わされる。
真奈美も若干柄は違えどほとんど同じ格好な辺り、これもペアルックというのだろうか。身長は白雪と同じくらい。ウェーブのかかったセミロングの、少し茶色に染まっている髪がよく似合っている。
「さっき結婚式やってた人が、お兄ちゃんの高校の先輩なのです」
佳織が全員がここにいる経緯を説明してくれた。
結婚式それ自体の招待客ではないが、浩一と真奈美は二次会には呼ばれているらしい。それで、せっかくだからと結婚式も観にきていたという。
浩一と真奈美は大学の下宿が同じ部屋、つまり事実上同棲していて、二人とも今度の三月で卒業見込み。
もはや結婚も秒読みらしい。
鶴岡八幡宮での結婚式は珍しいという理由で、佳織も一緒に見に行くとなったが、俊夫は姉に引きずられてきたようだ。
「姫様と月下さんがいるのは、去年の事例がありますから可能性はあるとは思ってましたけど、ホントにいたのはびっくりです。姫様は初詣ですか?」
「そう……ですね。皆さんがいたのは驚きですが」
「というか姫様、ものすごくおしゃれしてますよね」
「そ、そうですか?」
「うん、ホントに。気合入ってるというかそんな感じです。俊夫も思うでしょう?」
「それは……確かに」
佳織のコメントについては、和樹も若干同意する。
普段和樹の家に来るときはそれほどではないが、特に今日はとてもおしゃれをしてきている、という印象だった。
どうやら自分だけの感想ではないらしい。
去年もそうだったが、今年は去年以上だとは思う。
「というか、そのマフラーお揃いですか?」
「あ、ホントですね。姫様、ペアルックですか?」
俊夫の指摘にしまった、と思うが遅かった。
白雪がつけていたマフラーが同じ、おそらくは手編みものであるのは気付いていたのだ。
白雪を見ると、こちらも顔を真っ赤にしていた。
「って、月下さんとのデートを邪魔しちゃってますよね、私たち」
「で、デートではないです。初詣です」
「それをデートというのでは……」
「佳織、この子も学校の友達か? ……すごい美人だが」
「お兄ちゃん。姫様に手を出したらダメですよ」
「浩一?」
浩一が、妹と恋人に睨まれていた。
とはいえ、これだけの美人相手に、目を奪われない方が難しいだろうとは思う。
和樹はさすがにもう慣れているが、それでも今日の様な装いだと少なからず緊張してしまう。
「い、いやいや。俺は真奈美一筋だから」
「まあいいけどね。目を奪われるのは仕方ないって私ですら思うし。俊夫は佳織ちゃん一筋みたいだけど」
「姉さん!?」
「真奈美さん!?」
とても楽しそうにしているのがよくわかる。
どうやら姉にとっても、あそこはからかい甲斐があるらしい。
佳織と俊夫が真っ赤になりながら、お互いの兄姉と言い合っている。
こちらはこちらで、邪魔しては悪い気がした。
「私たちはこの後予定もあるので、デートの邪魔はしませんよ。俊夫ならあげてもいいですけど」
「おい、人をモノみたいに」
「そういいながら俊夫がついてこないと佳織ちゃん、寂しそうにするじゃない」
「しーまーせーんー」
「佳織はツンデレだからな」
「お兄ちゃん!?」
ここまでくると、文字通りラブコメのコントを見せられている気分になってきた。
白雪の方を見ると、どうやら同じ感想らしい。
「あらためて。唐木俊夫の姉、真奈美です。月下さんと玖条さん……ですね。お話は弟から聞いてます。というか……玖条さん、本当に美人でびっくりです」
「同じく、藤原佳織の兄、浩一です。大学での専攻が情報工学なので、月下さんの話を聞いた時は、ぜひ一度お会いしたいと思ってました」
それはどうも、と和樹は軽く会釈をする。
さすがに今日は時間がないが、あるいはそのうち会う機会もあるだろう。
軽く話を聞くと、どうやら就職後はこちらに戻ってくるようだ。
その一方で、白雪が不思議そうに浩一と佳織を見比べていた。
「どうした、白雪」
「あ、いえ……あとで。それよりそろそろ……」
「ああ、そういえばそうか」
予想外の遭遇で時間をつぶしてしまった。
「では姫様、デート楽しんでください」
「違いますって……もういいです。そちらも楽しんでくださいね?」
「俊夫は関係ありません~」
だが和樹の目から見ても、説得力は欠片もなかった。
視線をずらすと、それぞれの兄姉がやれやれ、という感じに肩をすくめている。
「では会長、また新学期に」
「姫様、またです」
「はい。また新学期に」
四人と別れて、鶴岡八幡宮を出る。
目的の高徳院は歩いて大体三十分くらいだ。
「まさかここで知り合いと会うとは思わなかったな」
「さすがにびっくりしました。なんかもう一組くらい、遭遇しそうで怖いですね」
「それはないと思いたいところだが……わからんな」
高徳院への道はスマホ頼りだ。
指示された道を二人で歩いていくと、何度もトンネルを通ることになった。
「こうやって歩くと、本当に山に囲まれている地形だってわかりますね」
「だなぁ。現代だからトンネルを造れているが、かつては迂回するしかなかっただろうしな。……そういえば、なんか藤原兄妹を不思議そうに見てたが、気になることでもあったのか?」
白雪は少し首を傾げてから、ああ、と頷いた。
「いえ、お兄さんが和樹さん同様にプログラムとかのプロの道に行くような人なのに、なんで佳織さんあそこまでプログラミングとか苦手なんだろうな、と」
「前に話は聞いたが、そんなに苦手なのか、あの子は」
「そうですね……和樹さんに教えてもらう前の私よりさらに、です。正直、あれさえなければ学校の成績、私と同じくらいですよ。強いて言えば理数系はやや苦手というくらいでしょうか」
「唐木君は得意だと聞いたが」
「彼はすごいですね。情報系であれば間違いなく学年トップです。もしかしたら先生より詳しいかも、というくらいで。文系がやや苦手ですが、成績は佳織さんとほぼ同じくらい。前に聞いた時に、佳織さんのお兄さんに最初に手ほどきされたって言ってたので、多分あの方のことでしょう」
「そういう意味でも、あそこも家族ぐるみで仲がいいんだな」
「そうですね。ちょっと……羨ましいです」
雪奈にせよ佳織にせよ、幼い頃から家族ぐるみで仲がいい友人がいるというのは、白雪には羨ましいのだろう。
それに関しては和樹も少しだけ分かる。
いや、そこまでではなくても、昔から親しかった友人がいなかったわけではなかったが――今となっては縁遠い相手になってしまっただけだ。
そうなったのは、自分に起因する理由のせいだから、仕方がないのだが。
「和樹さん?」
「ああ、いや、何でもない。っと、着いたな」
いつの間にか高徳院に着いていた。
拝観料を払って中に入る。
「これはこれで――風情がありますね」
今日は文字通り雲一つない快晴のおかげで、青空の下の大仏、という光景はなかなかに美しいと思えた。
「奈良の大仏を見た時も大きいとは思いましたが、こちらもほとんど変わらない感じですね。ただ、青空の下、というのがなんとも言えない雰囲気です」
「俺は奈良の大仏見たことがないからな……違いは分からんが、でも、これは確かに厳粛な気持ちにさせられるな」
建立された時期は記載によると五百年ほど違う。
ただ、そこに込められた平和と繁栄の願いは、きっと変わらないのだろう。
和樹自身は神頼みという事はあまりしないというか、特に宗教を信じてはいないが、かといって無神論者というほどではない。
世の中、少なくとも現時点の科学で解明できないことはいくらでもあると思っているし、神の存在もその一つだろう。
「考えてみたら、初詣って別に一社だけ、という条件ないですよね」
「確かにな。数祈ればいいってもんではないだろうが、二つくらいはありか」
二人で境内に上がり、同様に参拝した。
神社と寺で少し違うだろうが、根本は同じだろう。
先ほどの八幡宮でもそうだったが、白雪は驚くほど真剣に祈っている。
「願いは……去年と同じか?」
「そうですね。おおむね同じですね。和樹さんは?」
「俺もだいたいは同じだが……少しは違うところもあるが、内緒だ」
去年と違う願いは一つ。
白雪が幸せであってほしい、という願い。
去年は特にそういう願いはしなかった。
しかしこの一年で彼女のことを知り、彼女が報われてほしいという願いが、今の和樹には何にもまして強くなっている。
さすがに本人に言うのは恥ずかしいが。
「さて、じゃあ次は……江ノ電乗って水族館だな」
「はいっ」
ただ、実際には途中の腰越で降りた。
その地名で、白雪が『腰越状』について思い出して、そのゆかりの寺を見てみたい、と言ったためだ。
意外に白雪が歴史好きであることが判明したともいう。
その後昼食を海沿いの店でとってから、予定通り水族館へ行き、神秘的なクラゲの展示やイルカのショーなどを見学。
実は白雪は、水族館も初めてだったという。
そして暗くなってから、再びイルミネーションを堪能して――結局去年同様、夜ご飯も外で食べて、最寄り駅に着いたのは二十二時近く。
「なんか……初詣はこれが定番になってしまったな」
「私はものすごく楽しかったです。来年……はちょっと厳しいですが」
「さすがに受験生は無理だろう。初詣で合格祈願はありだろうが」
「そうですね。せめてそれだけでも」
来年。
あと一年あまりで白雪の高校生活が終わる。
その時には、否応なしに白雪の環境は変化するだろう。
それが、できるなら彼女が望むような方向になってくれることを、和樹は願わずにはいられなかった。