第74話 白雪の覚悟
深く一回だけ深呼吸をして、それからもう一度、白雪は自分の装いを確認した。
お気に入りのロングコートを羽織り、上着はハイネックのセーター、それにフレアスカートを合わせた。
マフラーは、実はクリスマスに和樹に送った物と同じ糸で作った自作のもの。
さすがに寒いので素足ではなくタイツを着用している。
髪は風が吹いても邪魔にならないように、ハーフアップ。
気持ち薄く化粧を乗せているが、あくまで自然になっているはずだ。
もちろん、和樹にもらった腕時計もつけている。
(去年……より緊張しますね)
その違いが、好意の自覚の有無であることはわかっている。
思えば、去年から和樹に対して明確な好意があったのだと、今ならわかる。
その上で、あのような行動を無自覚に取っていたのだから、自分で自分に呆れるが――そのおかげで、好意を前提にした行動でも、和樹に自分の気持ちを気付かれる可能性は低い。
腕時計を確認すると、ちょうど九時。
白雪がインターホンのボタンを押すと、すぐに返事があった。
そこから十秒も待たずに扉が開く。
和樹はいつものスラックスに襟付きのシャツ、それに白雪がかつて送ったジャケットを着ていた。その上にチェスターコートを羽織っている。
首に巻かれたマフラーは、期待してはいたがやはりクリスマスに贈った、手編みのもの。それだけで、とても嬉しい。
和樹の服装は基本的にいつもほとんど同じだ。家の中ではさすがにラフな格好をしているが、出かけるときは季節を問わずかなりきっちりした格好をしている。
羽織るものも基本的にスーツに近いデザインのジャケットだ。
そういえば、初対面のあの事故の時はパーカーを羽織っていたが、あれ以後見たことはない。
スーツではないだけで、フォーマルに近い服装が多い。
今日に関してもほぼ同じだ。
「おはようございます、和樹さん」
「おはよう、白雪。それじゃ、行こうか」
「はい」
駅まではほんの十分程度。
あっという間についてしまうが、いくら平日でも人は多かった。
いつものことではあるが、すれ違う人から注目を浴びてしまう。
「白雪」
和樹が手を差し出してくれた。
一緒に居ることをアピールするため、という去年使った同じ方法。
去年までなら、何も迷わずにとれた手。
「ありがとうございます、和樹さん」
その手を握り返す。
本当は――往来であろうが構わず、抱き着いてしまいたいほどの衝動を抑えて。
「寒いのか? 結構顔が赤いが……」
「あ、いえ。多分大丈夫です。風邪とかはひいてないですから」
慌てて深呼吸する。
ただ手を繋いでいるだけだというのに、それだけで心が浮き立つ。
こんな調子であと一年を過ごせるのかと、不安にすらなってくるが――。
あと一年余りを家族として過ごす。
そう、決めたのだ。
高校卒業と同時に、白雪は京都に戻ることになるだろう。
最後の抵抗で、大学はこちらの学校を受験するつもりだが、あまり期待はできない。無理矢理京都の大学に入学させられる可能性の方が高い。
あるいは、そもそも大学に行かせてくれないという可能性すらある。
いずれにせよ、おそらく二度と和樹に会うことはできなくなるだろう。
だから、それまでの間に、その先で生きていくための思い出を、できるだけ心にためる。
両親との想い出だけを糧に、中学までやってこれたのだ。
意図して思い出をためていけば、残りの人生がどれだけ空虚であったとしても――きっと大丈夫。
「大丈夫か、白雪。なんか深刻そうな表情にも見えるが」
「あ、いえ。ちょっと……年末にあった中間考査のことを急に思い出して。あの問題間違えてたかもなぁって」
「白雪は真面目だな。俺なんて試験終わったら、とりあえず返ってくるまでは忘れることにしてたぞ」
「私も普段はそんなことしないんですが、急に思い出してしまって。ありません? そういうこと」
適当な言い訳で誤魔化す。
和樹は「確かにそういうことはあるか」と笑っていた。
このやり取りも、きっと大切な思い出になるのだろう。
そうしている間に電車は鎌倉駅に到着した。
「一年ぶりですね」
「そうだな。カメラ小僧には気を付けたいところだが」
「遠距離で撮られたらどうしようもないですけどね……」
去年、和樹と二人で鶴岡八幡宮に来た時に、いつの間にか写真に撮られていて、それが二人が一緒に初詣に行ったのを、雪奈や佳織らに知られる原因になった。
あの写真自体は、初詣客を適当に撮影した一枚だったのだろうが。
実際観光名所でもあるここは、当然カメラを持っている人は多いし、スマホで撮影している人もたくさんいる。そこに偶然映り込んでしまうのまでは防ぎようがない。
「まあ、正面から撮影するようなやつは、さすがにいないだろう」
実際今も注目こそ集めてはいるが、和樹が横にいて、手を繋いでいることで、少なくとも余計なちょっかいをかけてくる人はいないらしい。
(実際、和樹さんもかなり容姿整ってますしね)
傍から見れば、お似合いに見えるのだろうか、と思うと嬉しくなる。
仕事柄、オンとオフの区別があまりないのもあるためか、彼はプライベートでもあまりだらしない恰好をすることがない。
それゆえに、今日の様にある程度しっかりした格好をするときでも、ごく自然なので、顔以上に仕草や雰囲気がとても様になっている。
(いままで付き合った女性とか、いなかったのでしょうか)
考えてみたら、和樹のことはあまり詳しくは知らない。
そもそも普通に考えて、あのマンションで一人で暮らしている時点で、白雪は例外としても相当に裕福だ。
実際仕事は多くこなしているし、それ以外にも何かしているらしいが、詳しく聞いたことはない。
それに、中学までは長野で、高校はこちらだったらしいが、和樹が高校を出てすぐ、両親と妹は長野に戻ったという。
それだけを聞くと、和樹がこちらの高校に行くために長野を出ていたとも思える。
和樹の大学時代の話は朱里たちから聞いているが、それ以前の話となると本当に全く知らなかった。
和樹も普段話すことはまずないし、白雪も機会がないので、あえて訊ねたりはしたことがない。
現時点で恋人などがいないのは確実だが、この容姿に加えて気配りも出来て穏やかな彼であれば、人気があったのではないかとも思えるし、実際大学時代は人気があったと聞いているが――。
「今度はどうした? っと、段差あるぞ、白雪」
ずっと和樹を見上げていたので、足元への注意がおろそかになって、危うく段差に躓くところだった。和樹が手を引いて支えてくれる。
「すみません、ちょっと考え事をしてて。……一年ぶりですね」
さすがに平日の午前中だけあって、人が少ないとは言わないが、混雑しているというほどではない。
二人はあの有名な階段を上って、境内に入ると、去年同様参拝を行った。
(思えば――去年の願いは、私どこかで気づいていたのでしょうか)
去年願ったのは、健康と平和。そしてこれからも和樹と家族の様に過ごせること。
その願いは――今年もほぼ同じだ。
ただ、おそらく『家族』の意味は――その本当に願うところは少し違っている。
少なくともそれを、今年は自覚して願う。
叶わないとわかっていても、神様に願うくらいは、と思ってしまう。
「さて、とりあえず初詣は終わったわけだが……行きたいところはピックアップしたんだっけか」
「はい。去年はすぐ江ノ島方面向かったのですが……ここにも大仏があると聞いたので、それは見てみたいのと、去年行けなかった水族館に行ってみたいと思ってます」
「了解だ。あとは有名どころの寺をいくつか……あれ。なんか人だかりがあるな」
言われてから見てみると、先ほどはなかった人の集団がある。
「なんでしょう、あれ」
「……ああ、あれ、結婚式か」
「こんなところでできるんですか?」
「話は聞いたことはあったが、俺も実際に見るのは初めてだ。せっかくだし、見物していくか」
確かに新郎新婦と思われる人が二人歩いていて、周りに多くの人がいる。
いわゆる神前式の式なのだろう。
実際の式場は別の様だが、境内を歩くのも含めての儀式なのか。
(私が結婚させられる場合も神前式なんでしょうね……)
両親は結婚式はしていない。
入籍だけだ。
写真だけは撮ったらしく、幼い頃に見せてもらったことがある。
ただ、両親の死後、どこにいったか分からなくなっていた。
ふと横にいる和樹を見る。
いつか彼も、自分以外の誰かを隣にして、あのように歩くのだろうかと思うと、その想像は、心を軋ませた。
そこに自分が立っている可能性はないとわかっていても、それが辛い。
「女の子的には、ああいうのに憧れたりはするものか?」
「え、ええ……そ、そうですね。すごく素敵だと思います」
突然話を振られて、白雪はややどもってしまった。
「ただ……どういう形式であれ、好きな人が一緒に居てくれることが、一番嬉しいとは思います」
「そうか。父親としては、いつか紹介してくれ、というべきところかな」
「どうでしょう……とても若い父親で驚かれそうです」
紹介するまでもないというのが理想だが、それができないことはわかっている。
「さて、とりあえず大仏のある高徳院だが……歩いても遠くはないか」
「時間もありますし、歩いていきましょう。途中、何か発見があるかもしれませんし」
「そうだな……ん?」
もう一度、結婚式の行列を見ていた和樹が怪訝そうな顔になる。
見ているのはその手前の見物客の一角。
何事かと思って白雪もそちらを見て――その行列を見ている人の一人と目が合った。
目が合ったというか、お互いに目を丸くした状態になってしまった。
「え、姫様ー!?」
「佳織さん!?」
大きくはないが響いたその声に、その周囲の人間が振り返ると――。
「……なんでここに……」
そこにいたのは、佳織と俊夫、さらに知らない男女がもう一組。
さすがにこれは、白雪も唖然とするしかなかった。
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結構有名ですが、鶴岡八幡宮の結婚式はホントにできます。
相方の安産祈願に夫婦で行った時に、私もちょうど遭遇しました。
一般参道も通るので目立つ目立つ。
費用もそこまでではないので、一生に一度!と思えば悪くはないと思います。
大変そうではありますが。