第70話 和樹の帰省
「おはよう、白雪。ふわぁ……さすがに眠いな」
「ですね……おはようございます、和樹さん」
時刻は朝の五時半。
元旦のこの時間は、さすがにまだ真っ暗である。
昨日結局、去年同様白雪は日替わり直後に帰宅。
そして今回は和樹も帰省のため、朝から東京駅に向かう。
なので、折角だからと、白雪も東京駅までは一緒に行くことになった。
白雪の場合、目的地は京都だから新横浜駅でもいいのだが、東京からでも乗れるし、新横浜駅は若干接続が悪いのは否めないため、東京駅でも確かに問題はないだろう。
一方の和樹は北陸新幹線なので、東京駅に向かうしかない。
「和樹さんの電車は何時なんですか?」
「七時半頃だ。美幸との待ち合わせは六時半に東京だがな。あいつが遅れてくるのは織り込む必要があるから」
「そうなんですか?」
「遅れてこなかったことがほぼない。まあここまで朝早いなら、逆に安全かもだが」
あるいは昼までねこけるか、だ。
いずれも過去に実績がある。
二人で電車に乗ると、早朝であるにも関わらず人がそれなりに多い。
さすが元旦だ。
三十分ほどで目的地の東京に着く。
とりあえず美幸との待ち合わせの場所まで移動した。
「ここまでですね。では和樹さん。また正月後に」
「ああ。気を付けて。頑張れ、というと違う気はするが、あまり気を張らないようにな」
「はい。帰りの新幹線に乗ったら連絡しますね」
「ああ。じゃあな」
白雪は何回か振り返りつつ、キャリーケースを引っ張って去って行った。
去年のことを考えると、多分また大変な思いをすることになるのだろうが、こればかりはどうにもならない。
彼女が帰ってきてから、気が休まる環境を作ってあげることが、和樹にできるせめてものことだろう。
そんなことを考えていると、美幸が近づいてくるのに気が付いた。
時計を見ると、なんと約束の時間よりむしろ少し早い。
「……今日は雪か」
実際雪になる確率は低くないので笑えない。
その美幸はなにやら興奮気味に、なかば駆け足で近づいてくる。
「兄さん、なんかちょっとびっくり!」
前に会ったのは、美雪がこっちに来る時、日用品を買うのに付き合った時以来だから、九カ月ぶり。
ただ、美雪の様子が、一年前、受験のために和樹の家に来た時に近いテンションに思える。確かあの時は――。
「落ち着け。なんだ一体」
「あのさ、私が受験で兄さんの家に行った時に、すごい美少女がいたって話、覚えてる?」
「ああ、なんか言ってたな」
この上なくよく覚えているが。
「なんと、その子さっき見たの! もうびっくり。あんな可愛い子滅多にいないから絶対間違いないと思う。うわー、なんかテンション上がりまくり。っていうか時間的に、兄さん同じ電車に乗ってたんじゃない?」
同じ電車に乗っていたというか一緒に来たのだが、それを言うつもりはもちろんない。
美幸が遅くなると思っていたから、ニアミスする可能性はないと踏んでいたのだが、なんと今回もニアミスしたらしい。
というか、白雪と別れるのがあと五分遅かったら、一緒にいるところを見られていたことになる。
美幸は白雪と接触しやすいのだろうか、と疑いたくなった。
「あのマンションに住んでるはずだから、どっか旅行に行くのかな。でも、親御さんとかいなくて一人っぽかったけど。うーん、わかんない」
一人で勝手に推測している。
確かにあのマンションの四階に住んでいる以上、普通は一人暮らしとは思わない。家族で住んでいると判断するのは当然だろう。
そうなると、確かに一人でいる理由が不明になるだろうが、分かるはずもない。
「その辺にしておけ。いくぞ。しかし、よく起きれたな、美幸。ほぼ確実に遅れてくると思ったんだが」
昨夜友人とどこかはわからないが初詣に行っていたというなら、寝たのはどう早くても深夜一時は回っているはずだ。
朝寝坊することが多い美幸がこんな早朝に来れたのは、奇跡という気がする。
その兄の評価に、しかし美幸は傷ついた風もなく、あっけらかんとしていた。
「あ、それは簡単。寝てないもん」
「なに?」
「寝たら寝坊する自信があったから、徹夜したの。なので眠い……電車で寝るから起こしてね」
自分のことをよくわかっている。
その手があったかとは思うが、さすがに呆れた。
こちらで初詣に行くのと元旦に帰省する予定を合わせると、これしかなかったのだろうが。
別に学生なのだから、初詣は正月後に行けばいいのにと思うが、そこは人それぞれだろう。
「まあいい。少し早いが待ち合わせ室まで行くぞ」
「あ、お土産買う時間ある?」
「そのくらいは十分にあるぞ。……そうか、そういえば買っていくべきか」
「兄さんそういうところの気配りできないよねぇ。身内に対しては特に」
「お前に言われたくはないがな」
「私はちゃんとお土産のことを言ったもん」
言ったから買ってくるとは限らない。
美幸の場合はその上で忘れることがあるのだ。時々将来が不安になる。
「とりあえず、適当なものを買っていくとしようか」
幸い、東京駅でお土産を買うのに困ることはない。
「そういえば、兄さんはいつまでいるの?」
「三日には帰る。仕事があるからな」
「じゃあ帰りは一緒じゃないかー」
「美幸はいつまで居るんだ?」
「十日かなぁ。実家で堕落するー」
ほどほどにしとけよ、とは思うが、本人の問題だから気にするのはやめておく。
お土産の購入は、美幸が色々こだわり始めたので結構時間がかかったが、逆にいい感じに時間を潰せて、新幹線のホームに移動すると、ちょうど乗車する新幹線が来ていた。
指定席なので特に焦る必要はない。美幸は乗ってすぐに爆睡した。
もっとも、新幹線に乗ってるのは一時間ほど。
そこから在来線で少し移動して最寄り駅に到着する。
実は、両親がかつて住んでいた場所と、現在住んでいる場所は異なる。
美幸の大学進学と共に、両親はかつて住んでいた家から引っ越しているのだ。
なので、和樹は実は初めて行く。美幸はギリギリ数日だけ新居で過ごしたらしい。
最寄り駅で降りると――。
「わかっちゃいたが、寒いな」
「うん、寒い~」
本来夏の避暑地とされている地域だ。
なので真冬である今は、当然だがとても寒い。
道路には雪はないが、植え込みには積雪が残っている。
「おーい、和樹、美幸~」
駅の北口を出たところで、駅前のロータリーの一角に見覚えのある姿があった。
「お父さ~ん、久しぶり~」
「父さん。久しぶり」
月下祐樹。和樹と美幸の父親だ。
今年で五十四歳。背は和樹より低いが、百七十ほど。やや太ったかという気もするが、あまり変わってない気がする。ただ、頭に白い色は増えているようだ。
元々先祖代々受け継いだ土地があったらしく、それを元に不動産業を営んでいた。
商才があったのか、今ではかなりの資産家になっているが、和樹らからすればどこにでもいる普通の父親である。
とはいえ、いくつかの不動産の管理を行う条件に譲渡してくれたものがあり、それが今の生計を担う一部になってるのは感謝している。
「美幸は夏に帰ってきて以来だが、和樹はいつ以来だ。全然帰ってこんな。ここなら、気兼ねなく帰ってきてくれると思ったのに」
「すまない。ただ夏はちょっと色々あったからな。普段はいくら会社勤めじゃないとはいえ、そうそう長期空けるわけいにはいかないから。まあこれからは帰る頻度は考えるよ。夏はいいしな」
「そうするといい。さあ、乗りなさい」
父親の運転する車は、市街地を抜けて森が豊かな場所に入っていく。
やがてそのうちの一角に入っていった。
「ここが今の私たちの家だ」
二階建てのログハウス風の外観を持つ建物だ。
これは普通の家というより――。
「別荘だな、これ」
「ああ。元々別荘として運用されていたものだ。多少改築したがな」
中に入ると、外の寒さもあってか、かなり暖かく感じる。
これだけ暖房を――と思ったら、普通の家にはまずないものがあった。
「暖炉かよ」
「うむ。これが一番気に入った理由だ」
薪ストーブではなく、完全な暖炉だ。
そういえば、家の外観に細長いのが出ていたが、あれが煙突という事か。
「風情はあるな」
「お兄ちゃんも気に入った? 私もすごくいいなぁって思う」
「あらあら。和樹久しぶり。お帰りさない」
「ただいま、母さん」
普段メッセージはよく交わすが、直接話すのは、あの美幸が受験で来ると言われた電話以来か。
母の優月は四十八歳。こちらは美幸同様やや小柄で、若い頃は美幸によく似ていたらしい。うっかりなところまで遺伝されているが。
軽く家の説明をしてくれたところによると、基本オール電化で、暖房は暖炉がメイン。家自体はなんと四部屋もある上にリビングも白雪の家の三分の一程度はある、かなりゆとりのある家だった。
「これ、二人暮らしには過剰じゃないか?」
「そういうな。暖炉があるのが気に入ったからな。月に二回ほどハウスキーパーの人に掃除してもらったりしてるんだ」
「なるほど」
これ以上の広さを一人で維持している白雪が別格過ぎるだけだろう。
戸建てとマンションの違いもあるが。
「和樹は二階の一番奥を使え。ちなみにデッキに窯があってな。パンやピザを焼くこともできる」
もはや老後のスローライフを楽しむ気満々らしい。
両親はまだまだ現役だと思っていたのだが。
「楽しんでるなぁ。まあ、息子からすると何よりだと思えるけど。とりあえず俺は荷物を置いてくる」
とりあえずあてがわれた部屋に行くと、比較的暖かくなっていた。
どうやら空調を入れてくれていたらしい。
二泊三日の短期滞在ではあるし、どちらかというと『実家』ではなく知らない家ではあるが――両親と妹がいることで、やはり安心できる空気があった。
同時に。
これを失っている白雪の孤独感を、改めて思わされてしまう。
「実家で神経すり減らしていなければいいが……」
時計を見ると現在時刻は十時前。
時間通りなら、もう実家に着く頃か。
「和樹、美幸、おせち食べましょう~」
母親の声が階下から響いてくる。
和樹は分かったと返事だけすると、階下に降りて行った。