第65話 文化祭終わって
「お疲れ様でしたーっ」
全員の紙コップが掲げられ、乾杯の言葉が唱和した。
青蘭祭が終わった翌週。
すでに授業は平常通りになっているが、文化祭実行委員、および生徒会は、最後の仕事として、後片付けから会計収支などの最終確認を終え――無事今年の青蘭祭も大きな問題はなく、本当に終了となった。
そして、特別棟の会議室でささやかな打ち上げを行っているのだ。
四月からずっと活動を続けてきた青蘭祭実行委員も、今日で解散となる。
この場にいるのは各クラスの実行委員と生徒会役員、それに顧問の先生たちだ。
並んでいるのはお菓子やパン、お弁当など。学校出入りの業者の寄付が主である。
この打ち上げは実行委員や生徒会の特権であり、この打ち上げパーティがやりたいからと、三年連続で実行委員を務めたような人もいるらしい。
各クラスから二人が実行委員として選出されており、一学年八クラス、三学年となると生徒会役員と補佐委員も足すと生徒だけで合計五十五人――三年生は実行委員はクラス一人のこともある――、教員も足すと六十人ほどにもなるが、全員青蘭祭を無事終えられた、という達成感を共有していて、和気あいあいと楽しくしている。
あくまで主役は実行委員であり、白雪たち生徒会はサポート役、というのが建前だが、毎年結局生徒会の貢献は小さいのものではなく、無論今年も皆に感謝されていた。
「玖条会長、お疲れ様でした。最大のイベントも無事終わりましたね」
「ありがとうございます。でも、文化祭最大の功労者はやはり皆さんです。本当にお疲れ様でした」
この文化祭が終われば、学内における大きなイベントは、年度内はほとんどない。
残る大きなイベントは、三年生卒業式の直前に行う予餞会――卒業生の送別会――と、来年度、次の生徒会長を選出する選挙、それへの引き継ぎつつ行う体育祭くらいだ。
ただ、学内はこれで終わるが、他校との交流行事はもう少しある。
そのうちの一つが、白雪にとっては少し気が重いが。
「会長、どうかされました?」
先のことを考えて少し沈んだ顔になっていたらしい。
実行委員の一人に声をかけられて、大丈夫です、と微笑む。
と、その生徒が――女性なのだが――真っ赤になって慌てて去って行った。
「姫様、むやみに姫様スマイルばらまかない方がいいかと」
「なんですか、その怪しげな商品みたいな名前は」
横合いから現れた雪奈に、不満そうに反論する。
「いや、私たちや二年生以上はそろそろ耐性あるけど、一年生の子たちはまだねぇ」
「ゲームのバッドステータスじゃないんですから……」
「あれ。姫様、ゲームのこととか分かるんだ」
う、と言葉に詰まる。
実は最近、和樹の家にいる際、いる時間が延びたことによって暇な時間が出来ており、暇ならやってみるかとゲーム機を渡されたら……これが面白くて結構ハマっていた。
白雪はストーリーのあるゲームが好みだ。
「ま、まあ、多少は私もやりますよ」
「結構意外……それはともかく、さっき先生から聞いたから、先に。烏丸先輩の件。あとでちゃんと連絡来ると思うけど」
体温がわずかに下がった気がした。
あれは本当に怖かった。
あの場に和樹がいなければどうなったのかと思うが、あの事件はあれで終わらなかったのだ。
よりによって、烏丸良一本人が暴力を受けたと騒ぎ立て――結局警察沙汰になってしまっている。
幸い、烏丸が騒ぎ立てたのが学外であったこともあり、生徒たちが知る事態にはなってない。
警察も配慮してくれたのか、学校に制服警官を派遣するという対応はとらなかったので、気付いている生徒はほぼいないだろう。
「結論だけ言うと、烏丸先輩が全面的に悪かったと認めたみたい。突然態度が変わって、すぐ訴えを取り下げたって」
理由の推測はつく。
烏丸家は玖条家ほどではないが、この学校に『家柄』の条件で入ることができる程度の家格の家だ。
それだけに――玖条家の令嬢である白雪に暴行を働いた、などという事実が知られれば、彼らにとっては非常にまずいことになる。
そうならないように、すべて表沙汰にしない、というようにしたのだろう。
それでも白雪が訴えたらどうしようもないが、その場合実際に烏丸は怪我をしてしまっているので、傷害罪で訴えられる可能性がある。玖条家としてもそんな些事で名前を出されたくはないだろう。
この手の争いでは『なかったこと』にできるのであれば、その方が家に疵がつかないため、その方法を優先するのが一般的らしい。
烏丸家から玖条家に、何かしらの謝罪は行われた可能性は高いが、それは白雪の預かり知らぬところだ。正直に言えば、もう二度と関わり合いになりたくない。
白雪も、正当防衛は成立できるとしても、和樹を警察に連れて行くなどしたくもないので、『なかったこと』にできるのであれば、拒否する理由はない。
もっとも、烏丸良一本人が今後どうなるかはわかったものではないが、それこそ白雪の知ったことではない。
「わかりました。無難なところですね」
「実際でも、姫様大丈夫だったの?」
「はい、それはまあ……危なかったといえば危なかったのですが……和樹さんが助けてくれたので」
「ホントに王子様だったんだね、あの人」
「王子様?」
「あれ、姫様知らないの? 姫様が招待した人だって知られてて、あの人あの日、『王子様』って呼ばれてたらしいんだけど」
「……初耳です」
白雪姫といえば、確かに王子様がつきものだが、その呼び方はいくら何でもない。
「和樹さん、この話ご存じなのでしょうか……」
「さあ。本人に正面切って言う人はいないと思うから……どうかなぁ」
とはいえ、そのように呼ばれていたのは白雪にとっても恥ずかしい。
「でも、月下さんが姫様の恋人じゃないかって話はもうずっと燻ってるよ?」
「正直そっちは諦めてます。そのうち沈静化するでしょうし」
そもそも一緒に学校をめぐってる。
自分でもあれは客観的に見て、相当に仲がいいと思われても仕方ないと思っていた。
ただ、烏丸のような件もあることを考えると、結果としては正解だった気はする。
交際しているかと正面切って聞いてくる人はおそらくほぼいない――雪奈たちを別にして――以上、否定も肯定もしなければ、今後告白してくるような人は減ってくれるだろうという狙いがなかったとは言えない。
受付の記録はすべて生徒会が保管しているし、彼個人のことを知るのはこの学校でもごく一部のはずだ。彼らが和樹のことを吹聴して回ることはないだろう。
(それにしても、恋人同士に見えたってことでしょうかね……)
そう思うと、少し嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
「ところで姫様」
雪奈がなにやらあらたまったように口を開いた。
そして顔を近付け、声を細めて――。
「事件の後、結構ながーく月下さんと抱き合ってたけど、何もなかったの?」
「え!?」
思わず出た大きな声に、部屋中の人が白雪に注目した。
慌てて「なんでもないです」と言ってから、雪奈に向き直る。
自分でも、急速に顔が赤くなっているのが自覚できた。
「み、見てたんですか」
「うん。あ、別にのぞき見にするつもりがあったわけじゃなくて、姫様探してたら偶然見えただけだけど」
雪奈の視力は両目ともに極めていいらしい。昔、視力を矯正して落としたことがあると言っていたくらいである。
見通しが悪い庭とはいえ、全く見えないわけではない。
とはいえ恐るべき視力だ。
「な、何もないです。ただ、すごく怖かったから、その、抱き着いちゃっただけで」
「うん、それはなんとなく分かるし、でも、なにかなかったのかなぁ、とかちょっとは邪推したくなるわけで」
「な、何かって何ですか」
「キスとか?」
「あ……あるわけないでしょうっ」
危うく大声になりそうなところをかろうじて自制した。
あの状況でキスをするというのは、さすがにない。
「それに……あの人は本当に、私を守ってくれただけですから」
あの時、少しだけ悔しく思えたのは事実だ。
和樹はただ自分を守ろうとしてくれて、あの時抱き締めてくれたのも、家族として、不安を取り除いてくれるためだったのだろう。
(私――家族以上を望んでいるんでしょうか)
あってはならないと思っているし、その考えは変わらない。
ただもしそうなら……それはやはりダメだ。
「姫様?」
「あ、いえ。なんでもないです」
自分でも自制心は強いと思っている。
もしそうだとしても――彼に迷惑をかけてはならない。
それだけは絶対。
(どちらにせよ――あと一年ちょっと、ですしね)
高校卒業までが、自分に許された猶予期間だ。
婚姻が可能になり、成人として認められる十八歳になれば、おそらく伯父は白雪を誰かと婚約させるだろう。
大学に行かせてくれる可能性はあると思うが、それすら確実とは言えない。
生徒会を引き受けた理由の一つに、自分自身の価値を認めさせるというのがあったが、多分その程度の価値は伯父には意味がないのも、どこかで分かっていた。
そしてこの決められた未来を外れた道を選ぶだけの勇気は、今の白雪にはない。なにより、そんなことをすれば、最も失いたくないものを失うことになる。
あるいは――父と母のような情熱があれば、と思うが、あのすべてを失った時、そういう情熱すら失ったと思っている。
(あと、一年と少し――)
白雪が、白雪としていられる時間。
せめてその間だけは、自分が好きだと今思えてる人達と過ごしたい。
それが、今の白雪の望みだった。
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次は登場人物紹介2です。
明日アップしてその翌日には続きなので、更新ペースは変わらないですが。