第62話 推薦の理由
「さて、とりあえず……図書館から行ってみるか」
大学ならともかく、高校で図書館というのは、さすがに多くはないと思う。普通は、規模の大小はあれど、図書室として校舎内にあるものだ。
それが分離した建物として存在するのは、さすがに興味を惹かれる。
図書館のある場所は校舎から少し離れた場所だった。
一応屋根のついた通路が通じているが、ほぼ完全に独立した建物だ。
パンフレットによると、図書館の入場、閲覧は自由らしい。
二階建ての建物で、二階の一角には小劇場もあるらしく、今日も催し物があるようだ。
その図書館の入り口まで来たところで、見知った顔を見つけた。
「あ、月下さん」
「確か……唐木君、だったかな」
「はい。お久しぶりです」
海水浴の時に会ったっきりだが、さすがに覚えている。
唐木俊夫。現生徒会副会長で、白雪が頼りにしている人物だ。
ただ、その隣にいる人物は知らない。
すらりとした背丈は、和樹と比べても気持ち低いかというくらい。
貴公子然とした佇まいで、少しだけ色の落ちた髪が逆に非常に似合っている。
誠らと比べても遜色ないほどの容姿だ。
「西恩寺先輩、こちらは月下さん。生徒会長の家庭教師をされている方です」
「ああ、貴方が。初めまして。西恩寺征人です。前の生徒会長を務めてました」
そういって、一礼する。
応じて、和樹も一礼した。
「月下和樹だ。今日は楽しい催しに招待してもらって、楽しくさせてもらってる」
「貴方が今噂の王子様ですか」
「は?」
「失礼。玖条さんが……白雪姫が連れてきた男性、ということで今朝から生徒の間でそう呼ばれている人物がいると噂がありまして」
思わず頭を抱えたくなった。
この場合、驚くべきは白雪の影響力か。
「またどういう話になってるのやら……確かに、多少彼女とは親しくしてるが、そもそも王子というなら君の方がしっくりきそうだが……」
そこまで言ってから、ふと以前あった疑問を思い出した。
そして、それを聞くにはちょうどいい二人がここにいる。
「部外者からの非常に不躾な質問かも知れないが……もしよければ、一ついいだろうか」
「なんでしょう? 私に答えられることなら」
「なぜ玖条さんを会長に指名したのだろうか」
白雪が生徒会長になったのは、この前会長の指名があったからだ。
もし指名がなければ、そもそも彼女は生徒会長になろうとすら思わなかっただろう。
そして通例ならば、今一緒にいる俊夫が生徒会長に就任していたはずだ。
別に彼女が生徒会長になったことの是非は、彼女自身でしか判断できない。
これまでの様子を見る限り、それを後悔している様子はなく、むしろやりがいを感じているのは分かっているが、彼女自身、なぜ指名されたのかはいまだに分からないと漏らしていたのだ。
「確かに……部外者にあまり話すようなことではないですが、玖条さんに近しい貴方なら……あるいはありでしょう。これを玖条さんに伝えるかどうかは貴方の判断でいいでしょうし」
そういうと、征人は少しだけ居住まいを正す。
「まず、私は最初、この唐木君を指名するつもりでした。が、彼が指名を拒否した。理由は……君から言えるかい?」
「あ、はい。一言で言えば、向いていないからです」
「またずいぶんな自己評価だな。話を聞いてる限り、君は去年も今年も副会長としての責務を十全に果たしていると思うが」
「はい。『副』会長なら、できます。でも、会長は向いてません。誰かのサポートは得意でも、先頭に立って誰かを引っ張ることはできるタイプではない、というのが僕の自己分析です」
「……なるほど」
いわゆるリーダータイプとサポートタイプ、というやつだ。
和樹も実際、仕事でもこのタイプは結構はっきりと違うというのを見てきている。
しかしこの年齢でそこまでしっかり自己分析できているというのは、なかなかすごい。
「この自己分析はとても正確だと私は思いました。なので、彼の指名はしなかった。で、指名なしにしようかと思ったのですが――彼女ならあるいは、と思いまして」
「彼女はなぜ指名されたのか分からないと言っていたが……」
「そうですね……唐木君。すまないが先にいって準備しておいてくれないか?」
征人は突然話を変えたのか、俊夫に声をかけた。
一瞬だけ虚を突かれたようになった俊夫は、だがその意図を察したのか、「では先に行ってます」というと図書館に消える。
「……彼には聞かせられない話、ということか」
「ええ。ことは玖条さんのプライベートにも一部関わるので」
「俺が聞いていいことか?」
「もちろん。むしろ……おそらく貴方は聞くべきでしょう。このような場に彼女が呼ぶほどの人物なら」
征人の意図が理解できず、和樹はむしろ警戒心を強くした。
今の言葉は、征人が、和樹と白雪の関係を『ただの家庭教師』とは見ていないという事でもある。
そして、征人の持つ尺度は和樹の持つそれと相容れない、という気がしたのだ。
「さて……玖条さんを指名した理由はシンプルで、彼女が玖条家の人間であり、また、北上雪恵の娘だからでもあります」
思わず瞠目した。
玖条家の人間であることはともかく、彼女の母親の、それも旧姓を知っているというのは普通はあり得ない。
「そう警戒しないで下さい。怖いですよ。ちゃんと説明します。私は西恩寺家の人間なんです。貴方も、多少ならご存じなのでは?」
西恩寺家。
玖条家とも並ぶ古くからある名家の一つだ。
玖条家について軽く調べた時に見た記憶がある。
つまりそちら側の人間という事か。
「彼女が詳しく話していないようですから、あまり詳しくは言えないですが、彼女の立場はかなり危うい状態にある。ただ、ここの生徒会長というのはかなりのステータスになる。それを全うすることは、彼女にとっても意味があると思ったのが一つ」
征人はそこで言葉を切る。
和樹も、その理由は納得ができた。
その実績は、玖条家における白雪の立場を強化する一助になる可能性がある。
「もう一つは、ある種伝説とされてる十八年前の生徒会長、北上雪恵の娘というのは、実績以上に期待させられたんです。なので、正直ダメ元で頼んでみたら、引き受けてくれた、というのが実際のところです」
「伝説?」
「ええ、伝説です。まあ良くも悪くも、なのですが……とはいえ一年間に何度も遠距離の交流会を開催したり、そのほかにもイベントをいくつも新たに創設したりと生徒会活動の実績もあって、その活躍はは今でも語り草になります。あとは、卒業後が鮮烈ですから」
「……なるほど」
「ああ、さすがに『それ』を知るのはごく一部ですよ。普通の生徒はまず知りません。もちろん、玖条白雪と北上雪恵の関係を知る人は、多分この学校では私一人です。教員ですら、多分知らないでしょう」
白雪の両親は高校卒業と同時に駆け落ちしている。
当時、良家の子女が通うこの学校では、それなりに噂になったわけだが、さすがに十八年も前のことになると知る者はいないのだろう。
まして、姓も違う白雪と結びつける者がいるはずもない。
「もちろん、それだけではないです。去年の青蘭祭の実行委員だった彼女の実績や、無論学業等も鑑みて、です。と言っても、正直引き受けてくれるのは予想外でした。ただ、間違ってなかったとは確信してます。正直、経験なしでここまでちゃんと運営出来ているのはすごいと思う」
この半年ほどの成果それ自体が実績ということらしい。
「ここの生徒会は権限が大きいのは、おそらく玖条さんから聞いてるでしょうが、それゆえに上手く回せないでいくつかのイベントを失敗させてしまうことはよくあるんです。幸い、私は上手く行きましたが、唐木君のサポートがあるとはいえ、彼女がそれを出来ているのは、掛け値なしにすごいと思ってます」
「ずいぶん高く評価しているのだな」
「ええ。それはもう。そしてこういう評価は、玖条家における彼女の立場の補強にもなる。それができるかどうかは彼女自身の努力次第でしたが、今のところは文句なしでしょう」
西恩寺《あちら側》と名乗ったことで警戒したが、どうやら要らぬ心配だったように思える。
七歳も年下の高校生を警戒するのはそれはそれで大人げないが、名家という得体のしれないものがバックにいる相手を無条件で信頼できるほど、和樹は能天気にはなれない。
ただ、少なくともこの征人は、ある程度は信頼できる気がした。
「一応これで全部です。質問いただいたことに関しては、隠していることもありません。信じていただければ幸いです」
「……質問してないことについては話してないこともある、という事だな」
「ご想像に……いえ、そうですね。ありますね」
どうやら向こうもこちらをある程度信用したらしい。
秘密にしていることをそのまま話すことはなくても、秘密にしていることがある、という事実は隠さないでもいいと判断したようだ。
「最後に聞きたい。君は彼女の味方か?」
ひどく曖昧な質問だというのは、自分でもわかっていた。
どの範囲で、どういう意味で、というのすら相手に丸投げした質問だ。
ただ、前生徒会長という肩書や西恩寺家という立ち位置で彼女の味方であると言えるのなら、それは白雪にとっては援けになる。
彼女の保護者を自認する和樹としては、そうであれば心強い。
「そうですね……。現状、味方でありたいと思ってます。彼女ほどではないですが、私も現状を良しとするほど、できた人間ではないので」
「そうか。ありがとう」
「……今のが一番分からなかったですね。貴方にお礼を言われる話ではないように思えるのですが」
「気にするな。俺の都合だ」
少し緊張していたと自覚していた表情を緩めると、和樹から手を差し出した。
それを征人は迷うことなく握る。
「会えてよかったです。色々な意味で、ですが」
「君も色々含む言い方をするな……まあ、構わんけどな」
握手を交わして――征人がふと気付いたように首を傾げた。
「……ところで長々と立ち話をしましたが、図書館に御用で?」
「ああ、独立した図書館なんて高校では珍しいと思ったから来たのと、なんか小劇場があるらしいのでそこの出し物を見ようかと」
すると征人が嬉しそうな顔になった。
初めて、七歳年下の高校生らしいと思える。
「なら、是非。これから有志で演劇やるんです。私も出演しますから」
「……それはぜひ見せてもらおう」
こう言うところは普通に子供に思えた。
それと先ほどの――西恩寺家の人間としての顔。
高校生というのは大人であり子供ある存在だとは思っていたが、これほど極端に違うのは、和樹も見たことがなかった。
ある意味末恐ろしいと思える一方、現状白雪の味方であろうとしてくれることには、頼もしく思える。
なお、演劇それ自体は短いながらも高校生離れしたクオリティで、和樹はとても楽しめた。
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ちなみに、この『独立した図書館』は私の母校にもあったりします。
普通の公立高校でしたけどね。
やや珍しいとは思いますが、あるとこにはあるのだとは思います。




