第58話 帰宅
飛行機の加速が、身体に荷重をかける。
聖華高校二年生全員と、その他教職員を乗せた飛行機は、石垣島を午後一時に離陸した。
帰りは一気に東京まで戻る。
「終わっちゃいましたねー、修学旅行」
「まだですよ、佳織さん。無事帰るまでが旅行です」
「それはそうですが……でも、楽しかったですね。疲れましたけど」
クラス全体、学年全体の様子も、どちらかというと疲労が全面に出ている感じだ。
実際、白雪も体力的には回復しているはずなのに、『疲れた』という感覚がある。
早く家に帰って一息つきたいところだ。
(帰ってから夕食のこと考えないといけないのが……さすがに憂鬱ですね……)
こればかりはどうしようもない。
しかも食材もほとんどないから、まず買ってくる必要がある。
帰りに買い物をしようかとも思ったが、どう考えても荷物が多いので、一度帰宅してからとなるだろう。
それがさらに億劫だが。
フライトはとても順調で、ほぼ予定通りに到着した。
なお、着陸時には、往路であったような拍手はほとんど起きなかった。
やはり全員疲れているのだろう。
無事荷物を受け取って、空港で解散。
とりあえず、和樹に無事空港まで到着した旨をメッセージアプリで連絡して、白雪も帰路を急いだ。
といっても、大半の生徒は同じ電車なので、当然雪奈たちと一緒である。
「それじゃあ皆さん、お疲れ様でした」
「またね、姫様。また学校で」
「お疲れ様でした、姫様」
電車を降りるのが一番早いのは白雪だった。
ここからは五分程度ではあるが、少しきつい上り坂があり、キャリーケースを引っ張るのが少し億劫だと思えるが、仕方ない。
とりあえずスマホで時間を確認しようとして――メッセージが来ていることを示すアイコンに気付いた。
帰りの電車の中では雪奈たちと話していたので、気付かなかったらしい。
差出人は和樹だった。
到着の返信だろうか、と開くと――。
『多分疲れてるだろうけど、うちに来るつもりだったよな。なら、十九時頃にうちに来るといい。食事の準備をしておく。要らないなら早めに連絡をくれると助かる』
思わず飛び上がりそうなほど――疲れてるのでできるとは思えないが――嬉しく思えた。
こういうことに気を配ってくれるのが、本当に嬉しい。
すぐに『ぜひお願いします』と返信を出すと、家路を急ぐ。
先ほどまで疲労困憊という感じだったのが、なぜか足が軽い。
とりあえずマンションに入り、自宅に戻る。
時刻は五時過ぎ。
和樹との約束までは二時間ある。
まずお風呂を入れることにした。
出発前にきれいにしてあったので、軽くすすいでスイッチを入れる。
それから、洗濯すべき衣類についてはさっさと洗濯機に放り込み、すぐに回し始めた。
こういうのは早くやるに限る。
そうしているうちにお湯張りが終わったことを知らせるアラームが鳴ったので、お風呂に入る。
修学旅行中、唯一不満だったのが、三日間いずれもシャワーだったので、お風呂に入りたかった、というのがあったのだ。
「んーっ。やっぱりお風呂はいいですね……」
普段この家の広さ自体は無駄だと思っているが、唯一いいと思っているのはこの風呂の大きさだった。
足を思いっきり延ばすことができるのは、この家ならではだろう。
ただ、このマンションは元々お風呂スペースを大きめにしているのか、湯船の大きさ自体は、和樹の家も確かほぼ同じである。
お風呂から上がると、とりあえず着替えた。
暑い沖縄から一気に戻ってきたので、寒暖差にまだ体が少し戸惑っている気がする。
時間が時間なので、少し肌寒い。
とりあえず少し厚手のブラウスにジャンパースカートを着る。
沖縄ではあまりしっかりケアできなかったので、髪のケアも念入りにした。
気づくと、もう七時まで後少しだ。
「あ、そうだ、お土産」
まだ全部片づけてないキャリケースを開ける。
お土産を手に取ると、そのまま玄関に向かった。
エレベーターを一つ下りるだけで到着する。
この近さは本当にありがたい。
スマホを見ると、時間ピッタリだった。
インターホンを鳴らすと、ほどなく和樹が出てきてくれた。
「お久しぶりです、和樹さん」
「いや、お久しぶりってことは……ない気もするんだが。とにかく、いらっしゃい」
確かによく考えたら、日曜日に食事を一緒にして以来だから、まだ一週間も経ってない。
なのだが、最近は三日に一度は来ていたので、ずいぶん時間が空いてしまった、という気がしていた。
「お邪魔します、和樹さん」
慣れた家に入る。
夏以前より時間はむしろ空いてないはずが――やはり久しぶりだと思えてしまった。
沖縄まで行っていたからだろうか。
「先に。これ、お土産です」
「お。ありがとう。開けても?」
「もちろんです」
渡したのは沖縄銘菓のセット――少ない量で何種類か入ってるというのがあった――と、珊瑚染めの名刺入れである。
「へえ。これは……いいな」
革製の名刺入れの表面を珊瑚の模様で染めたもので、沖縄ならではだと思って購入した。
本当は珊瑚をあしらったネクタイピンなども考えたのだが、普段スーツを着ない和樹では、あまり使ってもらえそうにないと思い、これにしたのだ。
「名刺入れはよく使うからな。ありがとう、白雪」
「はい。気に入っていただけて良かったです」
選択は大正解だったらしい。
「じゃ、ごはんにしようか」
そういうと、和樹はダイニングテーブルに食事を並べる。
出てきたのはやや少なめの温かい蕎麦と、それにおにぎりと卵焼きだった。
蕎麦は山菜が乗っている。
「これは……」
「多分帰ってきて食事作る気力はあまりないだろうと思ってね。でも白雪はあまり外食という選択をすることがないだろうし、それなら、と。あとはまあ、普段食べ慣れているのが食べたくなるかなぁ、と」
疲れてるのは本当だったので、とてもありがたかった。
「俺も沖縄から帰ってきた時、普通の食事が逆にありがたかった記憶があってね。白雪もそうじゃないかと思って」
「本当に嬉しいです。ありがとうございます」
「さ、伸びる前に。山菜は実家がこないだ送ってきたやつだから、美味しいと思うよ」
「はい」
二人で手を合わせる。
蕎麦はとても優しい味がした。
続いて卵焼きを食べると――。
「あれ、これ……なんか私の味に、近い?」
「お。上手くいったか。色々試行錯誤していたんだが」
「そうなんですか。なんか、嬉しいです」
コクのある味わいは胡麻油と出汁の味。
焼き加減も絶妙で、自分と比べても遜色ない。
「どうだった、沖縄は」
「はい。とても楽しかったです。これだけ楽しい修学旅行は、初めてでした」
「俺も沖縄は良かったと今でも思ってる。なかなかいけないけどな」
「海も空も、すごくきれいでした。また……いつか行けるといいのですが」
「そうか」
危うく、和樹と一緒に、と言いそうになった。
電話ではああは言ったが、実際にはそれはないだろう。
家族のように思っていても、彼が家族ではない以上――それは無理だ。
それでも。
もし叶うなら、あの星空を一緒に見たいと――白雪は願わずにはいられなかった。