閑話5 家族という距離感
「はー。ホントに美味しかったね……白雪ちゃんの料理」
「ホントに。姫様があんなに料理上手だとは……お弁当ちょっと分けてもらった時とか、調理実習の手際の良さでなんとなくは察してはいたけど」
「そういえば姫様、調理実習の時とかは、味付けとかはあえて手を出さずに、いつも私や雪奈ちゃんに任せてましたけど、さりげなくフォローして失敗しないようにしてくれてましたよね」
「あの料理スキルは高校生のレベルじゃないな。ホントにプロ並だ」
帰りの車の中。
車に乗っているのは誠、朱里、雪奈、佳織の四人だ。
佳織の家は多少離れてはいるが、少し遠回りするだけでいいので、一緒に送っているのである。
「それにしても……あの二人、やっぱり付き合ってたりしないのかなぁ」
朱里はなおもその説を捨てられないらしい。
だが、誠の考えは違った。
「ないな。少なくともあの二人に付き合っているとか恋人だって認識はないだろう」
「断言するね、誠ちゃん」
「まあな」
大学に入ってからの付き合いといっても、もう七年目だ。
和樹の為人はそれなりに理解できている。ああいう場面でそこまで嘘で塗り固めるようなことはしないだろう。
ただ。
「まあ、だからと言って普通の友人かというと、それも違うけどな」
「どういうことです?」
佳織の質問は、他の二人も同様らしい。
「簡単に言えば、あの二人は『付き合う』という段階をあっさり通過してんだよ」
「……ああ、なるほどね」
「わかんないんだけど、誠さん」
朱里は納得したようだが、さすがに雪奈は分からないらしい。佳織も首を傾げているのが、バックミラーで見えた。
「そうだな……俺と朱里は今は夫婦だ。結婚して家族になってる。ただ、最初からそうだったわけじゃない」
「そりゃそうだけど……?」
「最初は血縁を除けば、誰だって赤の他人だ。俺と朱里の場合、そこから幼馴染の友人という関係を経て、付き合って恋人になって、そして結婚して家族になった。赤の他人が家族になるには、普通はそういう段階を踏んで、時間をかけて少しずつ関係が変わっていく」
そうやって長い時間をかけてお互いを信頼し、家族になる。
もちろん、誰もがそれほど時間をかけるわけではない。それを短時間で構築するのが『恋人』という関係でもある。
だが、あの二人の場合――。
「あの二人の場合、その段階すっとばして、いきなりお互いを家族だと認識しているってこと?」
「そういうこと。まあ、俺と朱里みたいに、恋人や夫婦という関係になってるわけではないから……年齢考えたら兄と妹、くらいの感じだろうけど」
雪奈と佳織も理解できたらしい。
実際、相当なスピードで信頼関係が構築されている。
無論相性もあったのだろうが、それでも警戒心が極めて強いと思えるあの二人で、このスピードは驚異的だ。
「まあ、どちらかというと、両親の再婚で義理の兄妹になるってケースの方が近いかもな。いきなり家族という形を突きつけられても、実際に家族のようになるのには、当然だが時間がかかるもんだろ?」
「確かに」
佳織も納得したらしい。雪奈も隣で頷いている。
「ところが、あの二人は完全に赤の他人であるはずなのに、少なくとも『家族』という距離をすんなり受け入れて信頼しあっている。こないだ和樹が『家族みたいなもの』と言ってたが、玖条さんも同じだとすると、互いに『家族』というある意味最大の信頼を置く関係にあるという事になる。そういう関係になるのに必然性のある『形』がなかったにもかかわらず、だ。しかも話を聞く限り、そうなるのに二ヶ月もかかってない」
「そうなんですか?」
「ああ。事故に遭いそうになった玖条さんを助けた後、しばらく接触がなくて、一月ちょっと後に偶然再会してから家庭教師を始めたと言っていた。事故のタイミングは和樹が怪我してたタイミングだから、去年の九月中頃で間違いない。つまり家庭教師を始めたのは、おそらく十一月の上旬から中旬頃だ。なのに、クリスマスではもうあれで、初詣も一緒に行っている」
雪奈と佳織が指折り何かを数えている。
学校での白雪の様子を思い返しているのだろう。
「考えてみたら、その頃に姫様の情報の成績上がってますしね。時期は符合します」
「うん、確かに」
「まあ、家庭教師の頻度にもよるけどな。毎日だったら……」
「あ、それ私聞いた。一週間に一回だけだったって」
朱里の言葉に全員唖然となる。
ちょうど車が赤信号で止まっていたので、思わず全員で顔を見合せていた。
「てことは……せいぜい五回、六回会っただけでその距離感……?」
雪奈が声に出して言う。
音として認識されると、さらに異様さが浮き彫りになる。
いくら授業だけでなくその後食事を一緒にしているとはいえ、それでも早すぎる。
家庭教師を一日に何時間もやっているとは思えず、食事の時間を入れても、一日三時間から四時間程度のはずだ。
相性がいいとかいう言葉では片づけられない。
「すげぇ距離感バグってんな、あの二人」
「ホントに……私と誠ちゃんくらいの距離感だよね、あれは。関係の名前が『夫婦』とか『恋人』じゃないだけで」
誠の半ば以上呆れたような言葉に、朱里が追従する。
朱里の言葉は、誠にはとても納得できた。
あの食事会でのやり取りを見ても、少なくともただの友人という雰囲気ではなかったと思う。
あの二人の距離感は、自分と朱里に近い気がする。
一方、雪奈は何やら指折り数えていた。
「どうしたの、雪奈」
「ねえ誠さん。月下さんが怪我をしたのって、姫様を助けたからだよね?」
「そう聞いてるな」
「で、それが九月中旬?」
「中旬っていうか、正確には連休のちょっと前辺りかな」
連休で会う約束をしていたのがなしになって、その際の理由が『数日前に足を派手に挫いたから今回はちょっとなしで』という事だった。
多少挫いた程度では和樹もそこまで言わないだろうから、かなり派手にやったのだろう。まさか交通事故に遭いかけたのだとは思わなかった。
事故になってないということは、車との接触はなかったのだろうが。
それだけ聞くと、また雪奈は黙る。
「雪奈ちゃん?」
「ねえ佳織。姫様が私たちのことを名前で呼んでくれるようになったの、正確にいつか覚えてる?」
「えっと……確か……。前期の期末考査の後……くらいだったのでは」
「だよね」
「それがどうしたの、雪奈」
「姫様が私たちと今みたいに親しくなったのって、月下さんに会った後からかもしれない」
「……あ。確かにそうですね」
「えっと……つまり?」
朱里が首を傾げる。
「時期が符合するってだけなのかもしれないけど、姫様が私たちと仲良くしてくれるようになったの、言い換えれば少し歩み寄ってくれるようになったのって、月下さんに会ったことがきっかけだったんじゃないかな、と思ったの」
「ああ……納得するわ」
「そうね。和樹君ならあるいは」
人の警戒を、なぜか解いていく和樹。
その彼との、おそらくほんの一瞬の邂逅が、白雪の中の何かを変えたのかもしれない。
もっとも、あれほど強い警戒心を持つ白雪は、自分たち以上にそう簡単に他人を踏み込ませたりしないタイプに思えるから、よほど強いきっかけがあったのかもしれないが。
「機会あったらちょっと確認しよう、うん」
「姫様、まだ何か言ってないことがありそうですね」
「まあ、程々にしてやれよ。押してダメなら引いてみろ、じゃないが」
「はーい」
二人の返事を聞きつつ、誠は信号が青になったのでアクセルを踏み込む。
(まあ、いつまでも同じはずはないんだが)
今は白雪が高校生だから、そういうことにブレーキがかかっているのもあるだろう。和樹はそういう良識が、人一番強い。
だが、白雪が高校生でいるのはあと一年半ほどだ。
彼女が大学生、さらに社会人になったら、八年という年齢差でも別に恋人同士でおかしいとは言えなくなる。
そこまであの二人が同じ関係を保っているかは分からないにせよ――。
「まあ、しばらくは様子見だな」
「誠ちゃん?」
「あんまり急かさない方がいいんじゃないかってことさ」
ただ。
あの二人にそんな時間が残されていないことを、この時の誠が知る由もなかった。