閑話4 幼馴染たち
「はー、楽しかったー。やっぱ海はいいよねー」
車の中で、楽しそうに声を上げたのは、姉の朱里だ。
まあ実際、海はとても楽しかった。
「まあ、和樹の最初の顔は……悪いが傑作だったな」
「私にすら秘密だったのは酷いよ、誠さん」
姉夫婦――誠と朱里の二人がこの海水浴に混じってくるのは、雪奈も知らなかった。
確かにうっかり海水浴の話をしたのは雪奈だ。
白雪が一緒かと聞かれたので、それも話してしまい、女の子だけでは危ないから都合つけて一緒に行こうかと言われたから、引率として和樹がいるのも伝えてしまった。
姉が引率にならないだろうというのもあったが。
「まあごめん。まさか和樹の名前がそこで出るとは思わなくて、直後の夫婦会議で即決だった」
「それ、私にも秘密だった理由にはならないよね」
「そんなことないわ。サプライズよ。驚いたでしょ?」
「そんな驚き要らない……」
姉夫婦はこういうところがある。
迷惑が掛からない範囲の面白さを無駄に追及するのだ。
「まあでも、色々楽しかったし、それに和樹君と白雪ちゃんの関係が気になるのは、雪奈も一緒でしょう?」
「それは……そうだけどさ」
「実際、学校ではそういう……気配とかあったの?」
「姫様、私生活は結構謎なんだよね。だからこの間のショッピングモールで姫様がうっかり月下さんの名前呼ばなかったら、私も分からなかったと思う」
未だに彼女の家の場所は教えてもらってないし、おそらく白雪も教えるつもりはないのだろう。
それは当然『玖条家』のものになるわけで、おいそれと行っていい場所ではない可能性もある。
「すごいお嬢様なんだっけ?」
「うん。玖条家のお嬢様だってことは分かってるけど、本家は京都っぽいのに、どうしてここまで越境してきたのかも知らないし。中学までは京都らしいのに」
「俺も気になって調べたけど、玖条家ってマジでガチの名家っていうか、名家中の名家だな。家系図が軽く千年は遡れるくらいだ。世が世なら、ホンモノのお姫様だよ」
「そんな超お嬢様と和樹君か……まあ和樹君も謎なんだけどねぇ」
「前に電話でちょっとだけ聞いたけど……」
少なくとも見た限りは、優しそうな普通の青年に見える。
職業が普通の会社員ではないとはいえ、それも昨今色々な働き方があるとされているし、そこまで不思議というほどではないだろう。
「あまり自分のことは話さないタイプだからな。そのくせ、付き合ってるとこいつは信頼できるって、なんか思わされるんだ。まあ素直な性格してるってのもあるけど」
「褒めてるのか貶してるのか分からない感じなんだけど」
「褒めてるさ。なあ、朱里」
「うん。和樹君と友人になったのが、大学での一番の収穫だって言えるくらいには、ね。友人って一生モノよ」
「……それはまたすごい」
ある意味では最上級の評価だ。
「実家が長野ってことは聞いてて、あとは家族については妹さんがいるらしいけど、私たちは会ったことがないんだよねぇ。多少年が離れてるらしいし」
「あいつ、家に家族写真とか飾るタイプじゃないからな」
「要するに、細かい事情が全然分からない二人ってことだね」
そもそも、あの白雪が、なぜあそこまで和樹を受け入れているのかが不思議だ。
彼女の警戒心の強さは、雪奈が一番よく知っている。
にもかかわらず、和樹だけがその内側にあっさりと踏み込んでしまっている。
交通事故から助けてくれたというだけでは、説明がつかない。
ただ、誠の話の通りなら、彼のそういう人柄を白雪も信頼したのだろうか。
「姫様が月下さんに、少なくとも家庭教師やただの友人以上の気持ちを持ってるのは確実だとは思うんだけどなぁ」
「うん、それは確か。なんていうか、無条件の信頼を寄せているって感じだったね」
「和樹は家族みたいなもんだって言ってたな」
誠の言葉に、二人が「それは納得できる」と異口同音に言う。
「確かに家族ってのはかなり的を射た関係かもだね」
「だからかなぁ。家族に会えなかったら寂しくて調子狂っちゃうよね」
「何の話?」
「七月ごろ、姫様すごい調子悪かったの。で、今から考えてみたら、その時期ってものすごく生徒会が忙しくて、多分だけど姫様、ほとんど月下さんに会えていなかったんじゃないかなぁ、って。家庭教師やってもらってたはずだけど、多分あの時期は中止されてたと思うから」
あの頃は生徒会の仕事が忙しくて、帰るのが非常に遅かった。
土曜日もほとんど学校に行っていたほどだ。
おそらく家庭教師をやってもらう時間は、確保できていなかったと思う。
あのあたりは高級マンションが多く、エントランスから呼び出すタイプのマンションばかり。示し合わせない限りは、会う時間を作るのは難しいはずだ。少なくとも《《同じマンションでない限り》》、偶然会うことはそうそうないだろう。
「その後白雪ちゃんは回復したの?」
「うん。なんか急に復調した感じ。だからその時に月下さんに会ってたとかかなぁ」
「……徹底的に聞き出したい」
「はいはい。朱里、さすがに踏み込む幅を間違えないようにな」
「ぶー。分かってるよ、もう」
この夫婦は本当に仲がいいと思わされる。
子供の頃、誠に憧れていたことがないとは言わないが、姉の代わりになれることを考えたことは、一度もない。そして姉の隣にいる誠が、一番好きだ。
「和樹君が白雪ちゃんを大切に思ってるのは確かだけど……」
「あれは少なくとも現時点では恋愛対象って感じじゃないな」
「そうなの?」
雪奈の言葉に、誠ははっきりと頷いた。
「断言はできないけど、多分そうだ。まあ、あいつが女性を好きになるの、見たことないんだがな」
「まあねぇ。こう言っちゃ何だけど、和樹君って学生時代かなりモテてたんだけどね。ナチュラルにあらゆるアプローチをスルーしてたけど。私もかなり相談されたけど、打つ手なしだったわよ」
「そのあたり、友哉に通じる部分あったよな。ま、友哉が女性のアプローチを全スルーするのは仕方ないんだが」
「え?! なんか理由あるの!?」
「あれ。雪奈知らないの?」
「そういえば、別に言ったことはないんじゃないか?」
今日一番気になる情報だった。
「まあ……教えちゃってもいいかなぁ。誠ちゃん」
「いいんじゃないか? 言ってないだけで、隠してるつもりは……ああでも、和樹も知らん気がするな」
「あー、確かに。まあでも、雪奈ならいいんじゃないかな。ある意味幼馴染みたいなもんだし」
「ま、いいか。あのな、友哉は――」
「えー!?」
車の中に、今日一番の雪奈の叫びが響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいま」
「……お邪魔、します」
和樹に送ってもらった佳織と俊夫は、二人とも同じ家に入っていった。
表札には『唐木』とある。
「なんでお母さん、よりによってこのタイミングで……」
「それはうちの親もだ。仕方ないだろう」
むすっとした俊夫に、佳織は不機嫌さを隠さなかった。
普通に家に帰ろうとしたら、インターホンを鳴らしても誰も出ない。
そしてふと気づくと、佳織のスマホに母親からのメッセージが来ていたのだ。
『今日は唐木さんとお出かけします。食事は唐木さんの家に置いてあるからそれを食べてください』
食事前に帰ると言ってたのに、と思うが、たまにあることではある。
唐木家と藤原家はお向かい同士で、お互い引っ越してきたタイミングがほぼ同じだった。
そして、これは本当に偶然だが、それぞれに二人いる子供の年齢が、どちらも全く同じだったのだ。
そのため、家族ぐるみで仲良くなり――現在に至る。
俊夫の姉真奈美と、佳織の兄浩一も幼馴染として仲が良く、今は二人とも大学生で地方にある同じ大学に通って、一緒に住んでいる。
おそらく遠からず結婚するだろう。
俊夫と佳織は、それこそ物心つく前から一緒にいた間柄だ。
ここに引っ越してきたのは、お互いが生まれてすぐの頃で、おそらく一緒に寝てただろうし、おむつも一緒に交換されていたくらいは、普通にある。
ただその後、思春期に入って佳織は俊夫といるのが気恥ずかしくなり、思い切って受験して少し離れたランクの高い私立に進学した。
もっとも、他にも理由はありはしたのだが。
それで、お互い会う頻度は激減したのだが――。
高校でまさかの再会となる。
しかも、小学校の頃はどちらかというと勉強はあまりできない方だったはずの俊夫は、佳織すら凌ぐほどの学力で新入生次席となって同じ高校に来たのだ。
その差は現時点でも変わっていない。
先日、白雪が調子を崩して成績を落とした中間考査では、俊夫はほぼ一年振りに一位を奪還している。佳織は相変わらず、情報実習が足を引っ張って六位だった。
俊夫が嫌いになったのかと言われたら、多分違う。
中学で学校を変えたのは、本当に衝動的だった。
ただその後、再び高校で再会した時に、彼に挑戦的に『勉強でもお前にはもう負けない』と言われたのが――悔しかったのだ。
ちなみに運動はどちらも苦手であるが、それも実のところ佳織の方が苦手の度合いは強い。
さらに小学生の頃は佳織の方が背が高かったのが、いつの間にか追い抜かれていた。
佳織が小さいのもあって、頭半分ほど俊夫の方が背が高い。
何もかも負けてしまっている、というのがとても悔しくて、いつも彼には食って掛かってしまう。
本当はそんなことはしたくない、と思っているのに。
どちらかというと、素直で可愛いと言われるように振舞っているはずが、俊夫が関わるととたんに天邪鬼な性格が表出する。
多分その理由も分かっているのだが――素直になれないまま、すでに一年以上が過ぎていた。
白雪の頼みを引き受けて生徒会に所属したのは、俊夫との関係が改善できないかというのを期待したのが、実は一番の理由だ。
「とりあえず、食事にするか」
「……うん」
かつて知ったる唐木家に上がると、荷物をリビングに置いた。
ダイニングテーブルの上には二人分の料理がすでに置かれていて、一部冷蔵庫にあるとメモがあった。
いくつか電子レンジに入れて温め、席に座る。
「いただきます」
さすがにこれはそろえて言う。
そのまま無言で食べ始めた。
「まあ、今日は楽しかった、よ」
どのくらい経ってからか。
俊夫がぼそり、と呟くように言ってきた。
「何、急に。まあ、姫様の素敵な水着姿見れたのですから、そりゃあ眼福だったでしょうけど」
「……まあ、それは……あるけど。でも、お前も可愛かったと、思う」
「よ、余計なお世話、です」
同じ生徒会に属するようになってから、さすがに俊夫と話す頻度は増えた。
そうしたら、それまで挑戦的に思えていた彼の言葉が、別にそうではなく――たまにこういう誉め言葉も出ていたと気付いたのだ。
学校では恥ずかしさから態度を全く変えてないが、こうやって二人だけの時や、今日のような時に言われると、なぜかとても――嬉しくて、悔しい。
「俊夫の癖に生意気です。私が可愛いのは今更なんですから」
「……言ってろ」
そう言って、お互い笑う。
小学生の頃と全く同じ関係には、おそらくもう戻れない。
お互い、そのくらい気持ちが一度離れてしまったのだろう。
ただ、再会して、一緒に過ごして一年と数ヶ月。
幼馴染である上に重ねる新しい関係を――二人はまだ、模索中だった。