第42話 墓参り
「あの、和樹さん。来週の土曜日って空いてますか」
食事が終わって、片付けをしている和樹に白雪が声をかけてきた。
白雪が再び和樹の家に来るようになって、十日ほどが過ぎている。
学校は先日夏休みに入っており、白雪は生徒会の都合でそこそこ学校には行く必要はあるとはいえ、基本的にはそれほど忙しくはないらしい。
白雪はあれから、二日から三日に一回は和樹の家に来て、夕食を共にするようになった。
以前と比較するなら、その頻度は二倍から三倍である。
しばらくは反動で頻度が一時的に増えているだけだと思っていたが、どうやら白雪の中ではこの頻度で平常運転らしい。
とはいえ、一度言った以上は制限するのもためらわれ、さらに言えば文句なしに美味しい食事を提供してもらえる以上、むしろ歓迎すべきことと言える。
ちゃんと前日には連絡をくれるので、特に問題はないといえばない。
さすがに、和樹が家にいない時に勝手にあがりこむということは、まだやってないようで、今のところ渡した鍵の出番はないらしい。
ただ、以前と異なり、食事の片付けは基本的に和樹がやるようになった。
一方的に作ってもらうばかりではさすがに申し訳ない、という理由だ。
「来週の土曜日……どうだったかな……基本、仕事は入れてないはずだが」
洗い物の手を止めて、スマホを取り出して予定を確認する。
「ああ、いや、午前中に少し打ち合わせが入ってるか。といっても、オンラインだし、遅くとも十一時には終わるが」
「でしたら……すみません、その後でよろしいのですが、一緒に出掛けてもらえないでしょうか。ちょっと距離があるのですが」
白雪から外出の誘いは珍しい。
買い物などは基本的に白雪が学校の帰りにしてきてくれてしまうか、昼間のうちに和樹がしてしまうので、実は外で一緒に出歩くことは稀だ。
遠出となると、初詣以来になる。
「構わないが……何か用事でもあるのか?」
「はい。その日が、父と母の命日なんです。それで、お墓参りに行きたくて」
洗い物を再開しようとした手が、思わず止まる。
白雪が七歳の時、つまり今から九年前のその日が、白雪の両親が事故で亡くなった日、という事か。
「……俺が行っていいのか?」
「はい、是非。今は大丈夫だって、報告してあげたいので」
「わかった」
「ありがとうございます」
その日のそれに関する会話は、それで終わりだった。
その後数回白雪は和樹の家に来たが、両親のことを話題に出すことはなく――当日を迎えることになる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こんにちは、白雪」
今回は和樹が終わる時間が読めなかったので、珍しく和樹が白雪を迎えに行った。
時間は十時半過ぎ。
思ったより早く打ち合わせが終わったので、白雪に連絡すると、すぐに来てくれていいとのことだったので、着替えて彼女の家に来たのである。
「お待たせしました」
出てきた白雪は、当然だが制服だった。
こういう時、学生のあらゆる場所に制服で問題なしというのは、羨ましくもある。
「和樹さんのそういうお姿、初めて見ます」
「まあ、普段スーツなんて着ないからなぁ」
和樹が着ているのは礼服だ。
墓参りはそこまで気にしなくてもいいのが通例だが、初めて行く以上、礼を尽くすべきだろうと思ったのだ。
「四月に誠の結婚式で使って以来だ。まあ、礼服は一着は持ってないといざという時困るから、作ったのはだいぶ前だったがな」
「そういうものですか」
「学生のうちは制服が万能だからな。ちょっとうらやましい」
そういわれると思っていなかったのか、白雪はクスクスと笑う。
「和樹さんの制服姿って、なんか想像できないです。見てみたいかも」
「男の制服姿なんぞ見ても面白くないと思うがな……ま、じゃあ行くか。といっても、俺は場所を知らないが……そもそも、今から行くと遅くならないか?」
「いえ。この近くなんです。一時間ちょっとかと」
白雪の両親の墓となれば、京都にあるのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「さすがに、京都にあるのであれば、事前にちゃんとご説明しますよ」
「そりゃそうか」
一応、新幹線で日帰りするくらいは覚悟していたのだが、どうやら空振りだったらしい。
もう真夏と言っていい季節なので礼服はかなり暑いが、こればかりは仕方ない。
幸い駅までは歩いても五分程度であり、汗で気持ち悪くなるよりも先に、空調が効いた駅に入ることができた。
駅にある花屋で花を買ってから電車に乗る。
一度乗り換えて、一時間ほどで目的の駅に着いた。
そこからタクシーを拾うと、ある寺の名前を言って――二十分足らずで到着する。
山間にあるお寺で、それなりに由来は古そうだ。
少し風が出て来たようで、木々の間を抜けてきたそれは、少しだけ涼しさを感じさせてくれた。
「ここか」
「はい。私も一年ぶりです」
先に本堂に入って短く参拝を済ませたのち、線香を購入すると、墓地に入る。
入口にある水場で手を洗った後、水の入った桶を和樹が持つと、白雪は軽く会釈だけして、墓地を進んでいく。和樹は無言で後に続いた。
ほどなく、一つの墓石の前で立ち止まる。
そこには『玖条白哉』と『玖条雪恵』という名が刻まれていた。
手入れが行き届いてる墓地なのか、汚れた様子はほとんどなかったが、二人はまず墓の周りを軽く清掃し、それから桶から水をかけて、墓石を掃除した。
掃除を終えたら、線香を供え、花を飾る。
その後、白雪はカバンからタッパーに入った何かを墓前に置くと、手を合わせた。
「お父さん、お母さん。久しぶりです」
和樹もそれに倣う。
目を閉じ、冥福を祈り終えてから目を開けると、白雪が少し嬉しそうに和樹を見ていた。
ふと墓石の前を見ると、タッパーに入っていたのは小さなハンバーグらしい。
「ご両親はハンバーグが好きだったのか」
「はい……そうですね。私に教えてくれたのも両親で……特別な時はいつもハンバーグでした。だから、お供え物ならこれかなって」
「そうか」
少し涼しさを感じさせる風が吹き抜けた。
線香の煙が、風に乗って空へと舞う。
「……聞かないんですね」
「何をだ?」
「ここに、両親のお墓がある理由、です」
確かにそれは不思議に思っていた。
白雪の実家というべきものは、京都にあるらしい。
彼女の家が、いわゆる名家に属するのはおそらく間違いない。そしておそらくは、父親がその家の出身なのだろう。
だとすれば、普通はその家の墓に入るはずだし、その墓は彼女の実家があると思われる京都にあるはずだ。
何より、周囲を見ても、他に『玖条家』という文字が刻まれた墓はない。
「気にならないといえば嘘になるが……白雪が話していいと思うまで、無理に聞くつもりはないよ」
「本当に……優しいですね、和樹さんは」
そういうと、白雪は両親の墓に向き直り――少し屈みこむ。
「お父さん、お母さん。少なくとも今は、私は大丈夫です。この人が……和樹さんがいてくれるから」
そうやって報告されるのは、なんとも面映ゆい。
ただ、そう紹介されて無視するわけにもいかなかった。
和樹は白雪のすぐ横に立つと、小さく一礼する。
「初めまして。月下和樹です。俺ごときが、とお思いかもしれませんが……彼女のことは、できる限りで支えていきます。ご安心ください」
そういってから白雪を見ると、なぜか真っ赤になっていた。
「どうした?」
「ど、どうしたって……その、私、和樹さんと結婚するみたいじゃないですか」
「……あ」
そのつもりは全くなかったが、確かにそうとしか受け取れない文言だった。
「すまん、そういうつもりはなかったのだが」
「わ、分かってます。……でも、嬉しいです」
そう言って少し微笑んだ後、白雪は数歩、ゆっくりと歩いてから、顔を上げると空に視線を向けた。
夏の日差しが雲に遮られ、地上に濃い影を落とす。
その影が、白雪の表情も隠した。
「和樹さん、聞いていただいていいですか。私と……玖条家のことを」
うるさいくらいのはずの蝉の声が、ほんの少しだけ小さくなった気がした。