第24話 白雪の理由
十三時きっかりに、白雪は再び和樹の家にやってきた。
すでに仕事に区切りをつけていた和樹は、白雪を家に上げると、とりあえずリビングに案内する。
白雪の服装は朝とは異なっており、髪なども整っていることから、おそらく風呂にも入ったのだろうとはわかる。顔色も、朝よりさらによくなっている。
かすかにいい匂いがして、むしろ少し戸惑うくらいだ。
「お昼は食べた?」
「……いえ、まだです。どうするのかお聞きしてから、と思って……」
「うん。ちょうど蕎麦を茹でるところだから、どうかな」
「あ……じゃあ、いただきます」
年越しのとは違う蕎麦だがそれなりにいい蕎麦に、買っておいた適当な総菜を合わせる。
今日は温かい蕎麦にした。
「先に食べようか。話はそのあとで。俺もお腹すいてるから」
「はい」
二人で手を合わせて食べ始める。
「温かくて……美味しいです」
「それは何より。とりあえず元気になったようで良かった」
「すみません……その、いろいろ……」
「まあそれは後で聞こう。伸びると美味しくないしね」
「はい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食事はほどなく終わり、洗い物はとりあえず洗い桶に入れて水に浸した。
そのままダイニングテーブルで向かい合う。
「さて、と……何を説明してもらうか、というところなんだけど……まあ正直、話せないこともあると思うし、それはいいのだけど……」
どう訊こうか迷ったが、とりあえず回りくどい言い方はやめることにした。
「正直、玖条さんがなぜ俺を……その、信用してるのか、不思議なんだ」
「え?」
その言葉に対する白雪の反応は予想外だった。
なぜそんなことを、と言いたげなようにも見える。
「いや、こう言っては何だけど、確かに最初に君が事故に遭うのを助けた。けど、それだけだ。でもそのあとの……玖条さんの俺に対する警戒心のなさは、逆に俺が注意すべきではないかと思うくらいで……何か理由があるのかと思ってね」
白雪は黙ったままだ。
ただ、何を言うべきか考えているようにも見える。
「明確な理由がないなら……君が警戒心があまりない子、ということでもいいけど……それはそれで心配になるが」
「いえ、理由はある……のですが。その、怒らないでしょうか」
「え?」
信用される理由が、怒られるような理由ということだろうか。
「怒られるような理由って、思いつかないんだが……」
「その……月下さんのことを、父の様だと、思っているんです」
あまりに予想外の答えだった。
きっかけはともかく、家族というのはあり得るかと思ってたので、兄などはあるかと思っていた。それが父親というのは、さすがに予想外過ぎる。
「いや、俺がいくら年上でも、君の父親というほどは……いや、違うか。そうか。君が記憶してる父親と、今の俺の年齢はそう離れてないのか」
白雪が驚いて目を丸くしていた。
「なんとなくだけど、君のご両親がもういらっしゃらないというのは、推測してたんだ。それも、かなり小さいころに、とね」
「はい。おっしゃる通りです。私の両親は、八年前に交通事故で」
「八年……てことは、君が八歳の時、か」
「はい……あ、いえ。私は早生まれなので当時はまだ七歳でしたが……」
「どちらにせよ小学校の……二年生、か」
まだ子供だとはっきり言える年齢だ。
自分がそんな年齢で親を突然失ったらと考えても、想像できない。
だが、目の前の少女にとっては、それが現実だったのだ。
「当時、父は二十七でした。なので、月下さんが父に見えたんです。あ、同年代なら誰でも、というわけではなく……覚えてますか。初めて食事を食べていただいた時」
「ああ……うん、あまりのおいしさに驚いたので、よく覚えてるよ」
「あの時月下さんが言った言葉……『美味しい食事は活力の源』って……」
「ああ、言ったっけ。普段あまり気にしないんだけど、本当に美味しい食事に出会ったらいつもそう思ってたから」
「あれ、父の口癖だったんです」
「そういう、ことか」
偶然同じような言葉を紡いだ。それだけといえばそれだけなのだろうが、幼なかった白雪にとってそれは大切な思い出なのだろう。
「それと……両親が事故に遭った時、私も同じ車に乗っていたんです。でも、父が私を守ってくれて……私は、ほとんど怪我らしい怪我もしなかった。それが……月下さんと被った、というのも多分、あります」
事故に遭いかけたという衝撃。それに年齢や言葉。それらの複合が、幼い頃に喪った父親を思い出し――自分と結びついてしまったということか。
「だから、それで……月下さんが、お父さんに……」
「玖条さん?」
白雪が俯いて、何かをこらえるような顔になっていた。
おそらく、両親のことを思い出していたのだろう。
「な、なんでもない、です……」
時々あったあの顔だ。
それが泣き出すのをこらえている顔だと、和樹にも分かる。
正月に何があったのかはわからないが、少なくとも彼女にとって安らげる時間ではなかったのは確かだ。
そういった精神的疲労も彼女の心をすり減らしていたであろうことは、容易に想像ができる。
どうしていいかは分からなくても――どうすべきかは分かった。
彼女が自分を父親のように感じている、というのであれば――。
「いいよ、泣いて」
席を立ち、彼女の横に立つと白雪をそのまま抱き寄せた。
座っている白雪の顔が、和樹のお腹の辺りに当たる。
「え……」
「気になってたんだ。時々、何かを思い出して泣きそうになってただろう? 俺ではお父さんの代わりにはならないだろうけど、泣くのを我慢することはない」
返事はなかった。
代わりにしがみつくように腕を回すと――白雪の瞳から涙があふれる。
「お父さん……お父さん……」
堪えていた悲しみが堰を切って溢れ出したかのように、白雪は泣き続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ありがとうございます……」
泣きはらした目がまだ赤いが、むしろその表情は落ち着いていた。
白雪が泣いていたのは多分五分程度だったが、その後もそのまましがみついていて、結局二十分はその体勢だった。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
「いや、まあ迷惑とかではないし、こういう時に支えられるなら、大人の甲斐性というものだろうから」
さすがに恥ずかしいのか頬が紅く染まっているが、それが年相応の愛らしさを感じさせた。
とりあえず落ち着いたようなので、再びダイニングテーブルで向かい合っている。
「なんか……泣いたらすっきりしました。本当にありがとうございます。父親だと思ってるというので、気を悪くされるかと……ずっと思ってて」
そういう白雪の笑顔は花が咲いたようにも思える。
多分これが、本来の彼女の笑顔なのだろう。
「まあ、別にそのくらいはいいよ。父親は予想外だったし、俺が玖条さんを娘だと思うというのは、さすがに無理があるが、妹みたいなもの、とは……まあ俺もちょっと思えてたし」
距離感に戸惑うことはあったが、彼女の認識がそういう事であれば、家族のようなものだと思えば、今の距離感は和樹としても納得できる。
「いいのですか?」
「構わないよ、そのくらい。まあ、お父さんと呼ぶのは勘弁してほしいが」
「さすがにそれは。でも、でしたら一つ……お願いしてもいいでしょうか」
ためらいがちに、白雪が切り出してきた。
「うん? まあ、俺にできることで無理のない範囲なら構わないけど」
「その……名前で、呼んでいただけないでしょうか」
そう来るとは思わなくて、少し面食らった。
が、すぐに納得する。
「ああ……確かに家族を苗字で呼ぶってことは……ないな、確かに。わかった。白雪さん」
「あ……できればそのままで。その、月下さんの方が年上ですし、さん付けされるとなんかくすぐったくて……」
「そういうものか」
和樹は仕事柄、相手のほとんどは自分の年齢と関係なしにさん付けで呼ぶようにしている。
元々和樹より年上の相手ばかりなので、他人の名前を呼ぶときは、学生時代の友人を除けばすべて敬称を付けるようにしているのだが、考えてみたらその場合は姓で呼ぶ。名前を呼び合うのは親しい友人だけだ。
彼女がそう望むなら、その方がいいのだろう。
「わかったよ、白雪。ただそれなら、俺のことも和樹でいいよ。家族は名前で呼ぶものだろう?」
「え……あ、は、はい。わかりました。その、和樹……さん」
「まあ、いいか」
さすがに高校生が年上を敬称なしで呼ぶというのは、抵抗もあるだろう。
「あ、そうだ。家族のこと、ということで一つ聞きたいのだけど」
「はい? なんでしょう?」
「さっき、早生まれって言ってたよな。ということは、誕生日はそろそろなのかな、と。家族の誕生日くらいは祝わせてもらいたいと思って」
「あ……その……誕生日、ですか……」
白雪は少し言いよどんでいたが、和樹がなおも促すと観念したようにつぶやいた。
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というわけで、やっとお互いに名前で呼ぶように。