第22話 万魔殿の宴
「もう、無理……」
ドレスのまま白雪はソファに沈み込んだ。
忍耐がもう限界に近かった。
現在時刻は一月三日の午後四時。
この後、五時から最後の晩餐会がある。
だがすでに、白雪の精神力は限界を超えていた。
これまで六回、よくわからない宴に参加させられている。
いや、目的はわかっている。
いわゆる旧貴族系の家同士の交流の場だ。
ただ、そこにいる白雪はというと――いわば値踏みされるために参加してるようなものだった。
いわゆる上流階級という意識に染まった人々に、結婚相手としてどうかとみられる場ともいえる。
同様の立場の人間は無論他にもいるが、白雪の注目度は圧倒的だった。
自分の容姿が人に好まれることは理解している。
母譲りの美しい黒髪は自慢だし、子供の頃、両親にお互いのいいところを集めたような美少女と言われたのも、自慢だった。
だが、同じ誉め言葉でもここまで――明け透けに言うなら、気持ち悪いと思えるのはなぜだろうと思う。
そしてそれを自分の事のように言う伯父も、嫌悪の対象だった。
彼らが見ているのは白雪ではない。
白雪を構成する外側と、さらにその外側の『玖条家』だけを見ている。中身には一切興味がない。
その状態で言われた美辞麗句など、もはや理解不能な異国の言葉に等しかった。
昔読んだ本で、魔物だらけの城を万魔殿と書いている小説があったが、ここはまさにその万魔殿だ。
そんな宴が六回も続けば、精神が疲弊するのも当然だった。
「まだ、中学生まではマシだったのですね……」
九月に伯父に連れられて参加した時も同じようなものだったが、あれはあの一回だけだったのでまだ耐えられた。
三日連続で幾度もこのようなことがあると――もう食事すらする気にならない。
実際宴と言いつつ、食事を食べる余裕などほとんどなく、体は空腹を訴えているはずだが、それでも食欲が全くわかない。
あと一回で終わると思っても、その一回が終わった後に、伯父と顔を合わせる時間は確実にある。しかしもう気力すらないと思えた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
完全に突っ伏している白雪に、紗江がお茶を持ってきてくれた。
甘さマシマシのミルクティ―だ。
「ありがとう……紗江さん。あと一つ……と思っても、ちょっと……きつい、です……」
「こればかりはお手伝いできませんので……ただ、疲れてるのは旦那様もわかっていらっしゃるのか、今日の夜は食事は一人でもいいとおっしゃってます」
「ホント!?」
思わずがば、と跳ね起きた。
ならば、この後始まるパーティさえ乗り切れば終わる。
食事はどうせ喉を通る気がしなかったので、したくもない。
体は悲鳴を上げているが。
ただそれでも、明日の朝にはそういうわけにはいかないが――。
白雪はふと思いついて、スマホを手に取った。
素早く検索し、それから予定を確認する。
「……紗江さん、帰り支度、しておいてもらえますか」
「え?」
「パーティが終わるのが遅くとも夜八時半。そこから急いで着替えれば、九時前には出発できます。最後の新幹線に間に合うんです」
「ちょ、ちょっと待ってください。いくら何でもそれは……」
高校生が出歩いていい時間ではないだろう。
そんなことはわかっている。
だが、一分一秒でも早く帰りたかった。
「それに今からでは、席をお取りすることはできません」
本来の帰りの新幹線は四日の夕方の予定だ。
通常であれば予約の振替ができるが、この時期、新幹線の指定席は確実にすべて埋まっているだろう。キャンセルが期待はできないのはわかり切っている。
「問題ないです。自由席なら入れます」
「それは……」
紗江は以前の白雪のこともある程度知っている。
なので、白雪が普通のお嬢様とは違うこともわかっていた。
「お願い、紗江さん」
「……わかりました。でしたら、タクシーも手配しておきますし、キャンセルもあるかもですから、出来るだけチケットも取れないか私の方で手配してみます。それくらいは、よろしいですね?」
「ありがとう、紗江さん!」
白雪は思わず抱き着いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、当然といえば当然だが、指定席のキャンセルは取れなかった。
あるいは、伯父に頼めば玖条家の権力を使って、強引に一つくらいは開けられたかもしれないが、もちろん伯父にそんなことを頼むつもりはない。
パーティが終わったのが八時過ぎ。
終わった後に何人かが声をかけてきた気がしたが、白雪はそれこそ全力で控室に向かっていた。
無視する行為自体非常に失礼だとは理解しているが、それも気にする余裕がないほど疲労していたともいえる。
そしてほとんど一瞬で着替えると、紗江が手配してくれていたタクシーで京都駅に直行。自由席に乗り込んだのは東京行の終電の一つ前だった。
当然だが席は空いておらず、最寄り駅である新横浜まではずっと立ちっぱなし。疲労は限界だったが、さすがに高校生一人でこの時間は目立つ。
うっかり座り込んで眠るわけにもいかず、何とか頑張って起きていた。
新横浜に着いたのが夜十一時過ぎ。
さすがにここから電車は厳しかったので、タクシーを利用し、マンションに着いたのはもう日替わり近い時間だった。
支払いを終えると、マンションに入る。
どうしようもないほど疲労しているのに、なぜか和樹に会いたくなった。
一人でいることが、どうしようもなく寂しく――不安になる。
気付けば、三〇一の扉の前にいて――インターホンのボタンを押していた。
一体何をやっているのかという警鐘が、頭のどこかで響き渡っている気がするが、それすらも煩わしい、と思える。
扉が開いた。
どうやらとても驚いているようだが――それでも和樹に会えたことで安心できる。
とたん、全身の力が抜け、倒れそうになるのを、和樹が支えてくれた。
そのぬくもりが心地よい。
「一緒にいて、ください……」
それだけかろうじて言うと――白雪の意識は眠りに落ちていた。