第20話 二人の年越し
大晦日の十八時。
時間ぴったりに白雪はインターホンのボタンを押した。
ほどなくして、スピーカーから『いらっしゃい。入ってくれていいよ』という声が響き、ロックが解除されたことを示す音が鳴る。
扉を開けるとキッチンから人の気配がする。
もう準備を始めてるのかと思い、キッチンに向かうと、普段あまり使わない大鍋に水が満たされていて、その前に和樹が立っていた。
「これでお蕎麦を?」
「ああ。蕎麦はたっぷりの水でゆでる方がいいからね」
見ると、蕎麦は準備済みのようだ。
ただ、そのパッケージは見たことがなかった。
「このお蕎麦、どこで?」
「ああ、買ったものじゃなくて、実家から送ってもらったんだ。せっかくだし、と思ってね」
「実家、ですか?」
「うん。実家は長野でね」
「ああ……」
長野といえば確かに蕎麦が美味しいことでよく知られている。
「いつ頃まで住んでいたのですか?」
「中学まではあっちだったんだ。そのあと……事情があってこっちに引っ越して、俺が大学入るタイミングで親と妹は戻った。まあせっかくだから送って……あ」
「どうされました?」
「いや……その、冬ではあるんだけど、普通に冷たい蕎麦のつもりでいたが、問題ないか?」
そういえば、蕎麦は基本はざるなどで、冷えたものを食べるのが基本だと聞いたことがある。地域差はあるようだが。
「問題ないです。私もどちらも好きですし」
そう答えてから、先ほどの問答で気になるところがあったのを思い出す。
一つは『事情があって』という時の和樹の少しだけ複雑そうな表情。だがこれは、立ち入るべきではないという気がするので、置いておく。
ただ、もう一つの方が今は気になる。
「妹さん、いらっしゃるのですか?」
「ああ、言ってなかったか。うん。少し年が離れてるけど、妹がいる。今……高三だったはずだ」
「どんな方……と聞くのは失礼でしょうか」
「さあ……ただ、俺もあまり最近は会ってないからな。俺が一人暮らしを始めたのが六年ほど前だから、当時美幸はまだ小学生で、そこから会う頻度は激減してる」
「みゆきさんとおっしゃるのですね」
「ああ、美しいに幸い、と書いて美幸だ。そういえば今年受験のはずだが……何も聞いてないな。地元に進学するのかな」
「ちょっとうらやましいです。私は一人っ子なので」
「まあ、面倒なこともあるけどな……。そういえば、ここ三年くらいはほとんど会ってないな」
「え」
「大学四年の時は、進路どうするかいろいろ試行錯誤してたからな……結局夏も正月も帰ってない。仕事始めてからは、むしろ混雑する正月に帰るのが面倒でね。正月に帰省したのは、大学三年の時が最後だから、もう三年前だ。もちろん別のタイミングでは帰省しているんだが、あっちは学校だったからほとんど顔合わせなくてさ」
そういえば、この人はフリーのエンジニアだから、カレンダーが普通の人とは異なる。
何も混雑する普通の会社員などが休みの時期に帰省する必要はないのだ。
「妹さん、寂しがってるんじゃないですか?」
「どうかなぁ。そこまで懐かれていたとは思わないが」
そうしている間に湯が沸いた。
和樹は手早く蕎麦を入れると鍋を見ている。
その作業には迷いがない。
「お蕎麦はお任せしますね」
蕎麦の本格的な茹で方は白雪もよく知らないのだが、和樹はどうやらわかっているようなので、任せることにした。
お皿をいくつか出して、持ってきた天ぷらをダイニングテーブルの上に広げる。
そうしている間に、和樹は蕎麦を上げて水で冷やしていた。
五分もすると、ざる二つに山盛りの蕎麦が現れる。
続けて、準備済みだったらしい薬味が並ぶ。
「天ぷらもつくと本当に豪華に思えるな。全部君が?」
「はい。といっても、本当に揚げただけですが」
カボチャ、インゲン、海老、いくつかのキノコ類、ジャガイモの天ぷら。それに食べやすさを重視して小さめにしたかき揚げを並べる。
そばつゆは蕎麦についていたらしい。
「結構ボリュームある夕食になりましたね」
「まあそうだな。じゃ、せっかくなんで食べようか。テレビつける?」
「あ、はい。でしたら、あの歌番組で」
「若い子はあまり見ない印象だったけど……」
数十年前からやってる、年末恒例の歌番組。
どちらかというと、両親が好きで毎年見ていた。
だから白雪もこれだけは毎年見ているのだ。
「そうですか? でも、若いって言ったら月下さんもそう変わらないのでは」
「君より五割増しは、若いかどうかは微妙な気がするけどね」
そういわれると思っていなかった白雪は、思わず笑ってしまう。
実は父親のように思ってる、と言ったらどう反応するだろう、と思うがさすがにそれは言わなかった。
とりあえず蕎麦をつゆにくぐらせて一口。
「……美味しいですね。蕎麦の味が濃いです」
食感が普段の蕎麦と違って、とても切れやすい感じで、白雪がよく知るのど越しを楽しむ蕎麦とは違う。
ただ、蕎麦の味が本当に強くそれがとても美味しく感じた。
「いわゆる十割蕎麦だからね。食感より味を重視してるやつなんだ。俺はこれが好きなんだけど」
「私も美味しいと思います。お蕎麦は好きですし」
「天ぷらも美味い。今年最後にこれだけ美味しいものを食べられると、来年につながる活力を得られてる気がするよ」
一瞬、言葉に詰まる。
ほとんど同じ言葉を聞いたことがある。
まだ、両親がいた頃に――。
「玖条さん?」
一瞬呆けていたらしい。慌てて「なんでもないです」と言って、蕎麦をすすった。
「今日に関しては、月下さんのお蕎麦のおかげも大きいですよ。本当に美味しいです」
「それは何より」
和樹が笑う。その笑みが思い出とかぶる。
顔も声も似てるわけではない。
にもかかわらず、なぜか――思い出してしまう。
少し目が潤みそうになっているのに気付いて、白雪は一度目を閉じて、それからテレビの方に向き直った。
ちょうど、今年ブレイクしたアイドルグループが、派手なパフォーマンスをしているところだった。
「……派手ですね、最近ってホント」
「まあ昔からだった気はするが、こういう動くパフォーマンスは若手ならではだよな」
とりあえず誤魔化せた。
三十分もすると二人とも食べ終わった。
軽く片付けると――和樹が後で洗うから置いておいてくれと言われた――二人でソファに並んで座り、なんとなくテレビを見続けている。
最後の歌手の歌も終わり、エンディングパフォーマンスが終わったところだ。
「そういえば、玖条さんは年始早々帰省と言ってたけど、時間は?」
「えと……明日の朝一、ですね」
本当は年内に戻ってこいと言われていたが、できるなら帰省したくないと思ってるくらいだ。
出来るだけ滞在を短くしたいので、明日の朝の新幹線で帰ることにしている。
「え。いや、それはもう寝たほうがいいのでは」
「せっかくですから、このまま年越しまではダメですか? あと十分ほどですし」
すでにテレビでは、除夜の鐘を鳴らす寺の中継映像が流れている。
「……まあ、君がいいならいいけど」
そうしている間に――テレビがカウントダウンを開始した。
なんとなく、テレビのアナウンサーの声に合わせて、カウントダウンしてしまう。
そして――。
『明けましておめでとうございます!』
テレビから流れるその言葉を横にいる人物にも贈る。
「明けましておめでとうございます、月下さん」
「明けましておめでとう、玖条さん」
お互い深々と頭を下げ――その光景になぜか面白さを感じて、お互いに吹き出した。
「なんか不思議です。こんな風に年始の挨拶してるなんて」
「まったくだ。まあでも、そろそろ帰りなさい」
「はい。お邪魔しました」
さすがにすぐに帰って寝ないとまずい。
明日は五時過ぎには起きる必要がある。
風呂は済ませてあるから、帰ったら着替えて寝るだけだ。
玄関の前に立って、もう一度振り返る。
「それでは失礼いたします」
「ああ、気を付けて……という距離ではないけどね」
「はい。あ。月下さん」
「ん?」
「今年も、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる。
今年も――できればずっと一緒にいてほしい。そんな願いを込めて。
「ああ……うん。こちらこそよろしく、玖条さん」
それが伝わっているのかはわからない。
ただ、それでもその言葉は、白雪には嬉しかった。