第17話 クリスマス・イブ2
相変わらず時間ピッタリに白雪は和樹の家を訪れた。
「いらっしゃい。玖条さん」
「お邪魔します、月下さん」
白雪は一つだけバッグを持っていた。中身は追加の食材らしい。
昼の買い物分は、白雪が家に置くための物を除いてすべて和樹がすでに受け取っている。
白雪はそのまま下ごしらえを開始するらしい。早速エプロンを着けて髪を後ろでくくると、キッチンに入った。しばらくすると包丁がまな板を叩く音が響いている。
その様子からは、過去の翳りのようなものは見えない。
ごく普通の――むしろとんでもなく美人な――女子高生だ。
(まあ、俺が踏み込んでいい領域じゃないだろうしな)
白雪が何かしら訳ありなのは確かだろうが、しょせん和樹との関係はせいぜい家庭教師と生徒だ。食事を作ってもらったりしているが、それは一応報酬の代わりということになってるし、実際それ以上に踏み込むべきではないだろう。
白雪の悩みが何であれ、それを解決するのに協力すべきは彼女の今の保護者であったり、学校の先生だろう。
臆病だと言われようが、実際女子高生の悩みに関われるとは思えない。
彼女が相談してきた場合は、人生の先輩として出来る限りは応じるつもりだが、和樹とてそうアドバイスできるほど人生経験を積んでいるわけではない。
キッチンを見ると、白雪が楽しそうに料理をしているのが見える。
その様子は、料理を楽しんでいる女子高生以上の何者でもない。
手伝おうかとも考えるが、キッチンはそれほど広いわけではなく、二人並んで作業すると不必要な接触を繰り返すことにもなりかねない。
結局、和樹は年始にやろうと思っていた作業を開始して、暇を紛らわせることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「メリークリスマス」
「メリークリスマス」
いつもよりやや短い授業が終わり――早めの夕食となった。
ダイニングテーブルの上には、所狭しとクリスマスのための料理が並んでいる。
ローストビーフにローストチキン。
アボカドと生ハムのサラダ。
ベーコンとブロッコリーと舞茸のアヒージョ。
オニオングラタンスープ。
色鮮やかな具材の入ったピラフを使ってのチーズドリア。
さらに手作りのケーキ――これが追加で持ち込んだ分だった――があるという。
せっかくだからとパソコンからクリスマスソングを流しているが、このテーブルの上だけで十分クリスマスの雰囲気だ。
「……すごいな、本当に。正直本職にしていいと思うレベルだ」
「おほめに預かり光栄です。味も大丈夫だと思います」
「見た目で十分美味しそうだからね。……うん、美味しい」
とりあえずサラダから食べたが、文句のつけようのない味付けだ。
「しかし……ローストビーフとかって家でも作れるんだなぁ」
「できますし……むしろ簡単ですよ。月下さん、電気圧力鍋お持ちでしたし」
「ああ……カレーとか作るのに便利だからって買ってたけど……あれ、ローストビーフも作れるの?」
「買った時にレシピ本とか付属してませんでした?」
「……カレーとか作るのにしか使ってなかったからなぁ」
言われてみれば、レシピ本がついてたような気がする。
ただ、どちらにせよ一人でローストビーフを作っても、というのが正直なところなので、見てもスルーしてただろう。
「他もすごく美味しい。というか、こんな豪華なクリスマスは初めてかもだ」
子供の頃にクリスマスパーティを家でやった記憶はあるが、ここまでの料理は並ばなかった。少なくとも味は間違いなくこちらの方が上だ。
「将来、料理人になっても通じるレベルだと思うよ、本当に」
もしそうなれば、そんな人の料理をほとんど無料で食べられていることになる。とんでもなく幸運な気がしてきた。
「言いすぎです。でも、ありがとうございます」
「美味しいのは本当だしね。これまでも本当に感謝してる。正直、最近は毎週楽しみにしていた」
週に一度の金曜日の夕食は、今や和樹の楽しみになっていた。
正直に言えば、ずっと続けてほしいと思うくらいだが、実のところ遠からず白雪の家庭教師は必要なくなると思っている。
強いて言えば白雪はパソコンをまだ持ってないが、何なら今渡しているものを譲ってもいい。もともと使ってなかったのだ。予備はいるとしても新しいマシンにしておいても悪いことはない。
「よろしければ、ずっと続けたいです。私もまだまだ、教えていただきたいことはありますし」
白雪の言葉は嬉しいが、彼女が二年生になるころにはこの関係も終わるだろう。
無論、二年生になってさらに高度化する可能性もあるが、白雪の成績はおそらく相当に良い。パソコンの使い方も最初こそ戸惑っていたが、今では全く問題はないし、プログラムも基本を身に着けた後の習熟は早かった。
遠からず、和樹の手助けは必要としなくなるだろう。
それはそれで一抹の寂しさがなくはないが、本来関わるはずのなかった相手だ。
以前に戻るだけである。
「月下さん?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事をしてた」
食事はほぼ終わりつつあった。
品数の割には量は二人でほぼ食べきれる量で、白雪の料理のセンスには驚かされる。
白雪は手早くテーブルを片付けると、小さなケーキを持ってきた。
ブッシュ・ド・ノエル――切り株のケーキ。フランスの定番のクリスマスケーキだ。
「これ、手作り?」
「はい。思った以上にうまくできましたので、美味しいと思います」
いまさら味の心配は全くしていない。
通常店などで見るそれよりやや小ぶりで、二人で食べることを考慮したサイズなのだろう。
クリスマス用の飾りもされていて、否が応でもクリスマス気分を盛り上げてくれる。白雪がケーキを切り分けてくれて、目の前に置かれる。
それを見て、和樹がコーヒーを用意した。
今回和樹がやった唯一の作業は、コーヒーを淹れたことだけだ。
「それでは、いただくね」
小さく切って一口。その味に、思わず目を見開いた。
チョコレートの苦みと甘みが程よいバランスで、これなら誰でも美味しい、と言えるほどに絶品だった。
「なんか本当にすごいな……料理人はともかく、将来本当に素敵なお嫁さんになりそう……ってのは最近はあまり言われないかな。……玖条さん?」
なぜか白雪が呆けている。
「あ、いえ。何でもないです。結婚とかは……あまり考えないので、なんかそう言われると思わなくて」
その言い回しにどこか違和感があったが、その前に思い出したことがあった。
「そうそう、忘れるところだった」
パソコンの横に行くと、きれいにラッピングされた包みを取り出す。
「メリークリスマス。サンタさんからではないけど、クリスマスプレゼントってことで」
「えっ……その……」
「まあせっかくのイブだし、食事のお礼ってことでもあるので」
「あ、ありがとうございます……。その、開けても?」
「もちろん」
白雪は丁寧に包みを開く。
中にあるのは縦長で厚さ三センチほどの箱。
開くと――。
「ボールペン……?」
「高校生の女の子に贈るなんてほぼ経験なくてね。持っていてもいいかな、と思うところで、かつ玖条さんが持ってなさそうなもの……と思って。こういうボールペンは一つ持っておくのはいいと思うし」
といっても何万もするような高級ブランドではない。
それでも、こういう道具にお金をかける高校生はまずいないが、同時に使える場面は確実にあるものだ。
「ありがとうございます。確かにこういうのは持ってなかったので、すごく嬉しいです」
ケースに入ったボールペンを抱き寄せるようにして、微笑む。
その表情が驚くほど魅力的に見えて、和樹は顔が少し熱くなるのを自覚し、視線をそらした。
「うん、まあ、その、気に入ってもらえたなら何よりだ」
すると白雪もごそごそと荷物を取り出してきた。
「あの、私も……せっかくクリスマスなので、ということで」
自分が用意した以上あり得るとは思っていたが、それでも驚いた。
包みを開くと、お茶の詰め合わせとティーポットのセットだった。
「主にティーパックで淹れられてますが、お茶を直接入れるタイプのティーポットをお持ちではなかったようなので……邪魔にはならない、と思うのですが」
「確かにいちいちティーパックに入れてやってたからな……ありがとう、とても嬉しい」
その言葉に、白雪が嬉しそうに笑う。
その、年相応にも、あるいはずっと大人にも見える笑みが、とても美しく思えた。