幼少期⑥ ~兆候~
家を出て、「はじめて」外の社会に出た時に、人は己の価値をうっすら察することができると思う。
それはとても漠然としていて、輪郭こそはっきりしない。けど、端から端までよどみなく広がり、ストンと腑に落ち、理解に至る。
悟ってしまうものなのだ。
自分は生まれもったものや、魅力や能力に欠ける、劣等種なのだと。
黄色いマイクロバスに乗り込んで、幼稚園に通う生活がやってきた。
父親は相変わらず私との付き合い方が下手糞で、母親もプライベートでは一切ニコリともしない。
そんな陰湿な環境で自分を元気づけたもののひとつに、幼稚園や小学校といった「家とは切り離された環境」があった。
特に友達付き合いには積極的で、自分の考えていることやしたいことを共有できる、気の置けない間柄の「他人」は私にとって必要不可欠なものであった。精神的にも、暗くふさぎ込みがちだった家の中とは大違いだった。
他人と行動を共にするということは、嫌でも「比較」してしまう、されてしまう段階に入ったということでもある。
よく「落ち着きが無い」「静かにしない」と怒られた記憶がある。
ひと際「怖い」と恐れられていた年配の保母に居残りで長々と叱られ、送迎バスの時間まで泣かされたこともあった。
あの時も確か自分に落ち着きが無く、目に余ったからだと思われる。
他人の目を引こうとふざけて、ウレタン製の積み木のブロックを力いっぱい投げ上げた。
と、それがたまたま近くを通りがかった保母の顔面に直撃し、蛇のような目で睨まれ、ものすごい剣幕で怒鳴られたこともあった。
しばらく卒園アルバムで彼女の顔を直視できなかったぐらい、心の奥底に深く刻まれた出来事でもある。
この他人には見られない、社会性を乱すような行動は、「私」という人間らしさが最も出ており、悪癖のように小学校、中学校と続いていくのである。その後の人生を思わせるような「兆候」が、もう既に幼稚園の段階で露わになっていた。
しかし他人の迷惑など気にならなかったぐらいには、友達と遊ぶのは楽しかった。家のことを忘れられること、心の中に一切の曇りを残さないことはこの上なく気持ちよく、清々しい。
何なら親友になってくれた人の名前なら、しっかり言える。
私のような「大人になれなかった大人」は、いつまでも過去の美しい思い出に浸り、いつでも思い出すことで、心の拠り所にすることができるのだ。
もう今となってはほとんど思い出すのも困難になってしまった幼稚園時代だが、一時的に精神が安定し、何の不安もなく生きていけた良い時期だと思っている。
たかだが40年の人生だが、自分にとって非常に貴重な「生きてて楽だった頃」とも言えた。
【続く】




