幼少期⑤ ~しつけ以上、虐待未満~
父親にぶたれる、叩かれる、殴られることを特に恐れた私は、母親にこう言われるとたちまち恐怖した。
「お父ちゃんに言いつけるからね」
何か粗相をしてしまい、そう母親に宣告させるだけで、その日はガクガクと震えながら夜を待つ羽目になる。
彼が会社から帰宅して空気が一変すると、このまま何事もなく一日が終わるよう、必死に祈りながら部屋の片隅で縮こまっていた。
しかし母親も性格の悪い人で、数日経ってから思い出したように私の悪事を父親に、唐突に明かすようなことをし始めた。
つまり、家での安息が一切無くなってしまったのである。
家にいるときは毎日のように、いつ父親に手を出されるか怯えたものだった。
それも「しつけ」だけではなく、「いじめ」でも手を出すような人だ。
気は沈み、頭は重くなり、四六時中、胸の内は詰まっていて苦しいままになってしまう。
――この憂鬱な体調が、メンタルが、いつしか自分の「標準状態」となっていた。
何か自分が悪いことをしても、反省するより先に「隠すこと」「嘘をつくこと」に走った。
父親にバレて殴られたところで、何も得る物はない。恐怖に縛り付けるようなしつけは、私を自衛に走らせた。
当然そのような態度が許されるはずもない。母親は「お前は本当に言うことを聞かない」「嘘ばかりつく」となおさら怒り、よりきつい体罰を父親に許可するのである。
この時も、恐らくそういった過程を経てそんなことになったのだろう。
私に何か原因があったのは確かだが、「ケツを出せ」と言われても絶対に嫌だと泣き叫ぶしかない。
「お前が悪いんだろう?」と正論を言われても許してと喚くしかない。
あまりにも嫌で苦痛で、納得がいかなくて、私はついに「許されない事」を言ってしまった。
「お父ちゃんは僕が可愛くないんだ。可愛くないからそういうことをするんだ」
すると父は大きく震えて、私を隣の寝室に投げ飛ばし、馬乗りになって強い平手打ちを数発食らわせた。
さらに投げ飛ばして体を起こすと、拳を握って私の頬をひたすら殴り続けた。
――――これも、7歳の頃の出来事である。
暗い寝室に静寂が下りる。父親もさすがにやり過ぎたと思ったのか、私を抱き上げて母親のところに連れていった。
母親は、心から嫌そうにこう声を荒げた。
「何してんのよ。学校に虐待と思われるでしょ??? 怪我『は』させないでよ!」
その時の顔はあまり覚えてないが、間違いなく頬や唇は腫れ、あちこち切っていたはずだ。
父は私を抱き上げると廊下に出て、一緒に外の景色を見ようと窓を開ける。
「お父ちゃんが悪かった。ほら、雪が綺麗だな」
夜の街頭に照らされる雪、その中を走る神奈中バスの後ろ姿。
今もなお脳裏に焼き付いている景色である。
父親は一生懸命、私に謝罪していた。
彼は100パーセント悪人ではなく、本当は責任感のある真面目な人間なのだ。
私との関係がうまく行ってないことを、気にしていないはずがない男だった。
と、これが一応私の持っている数少ない父との思い出であり、大事件である。
父親の辛そうな声を聞きながら、当の私は何を思っていたのかというと――、
「やっと終わってくれたか」「ああやって言ってやれば、ちょっと殴られて終わりだな」「学校で何か言われるの格好悪いな」
「それにしても何一つ、心に響いてこない言葉だな…………」
【続く】




