幼少期① ~愛情は確かに在ったんです~
両親が共に22歳になる年の初夏。
ちょうど、これを執筆している数日後にあたる日付だ。
火曜日の午後に私は誕生したと聞いている。
両親は共に関東地方の某市の生まれで、私も母方の家に近い大病院で生まれた。
特に母方の祖父母や叔母たちには大変可愛がられたようで、当時の話は誰からも「過ぎた思い出話」としてよく聞かされた。
注目していただきたいのは、祖母が当時40歳だったということだ。
今ぐらいの自分の歳に、自分のような孫を持ったのだ。当然ながらその感覚はいくら想像しようとしても、なかなか出来ないものである。
だから「おばあちゃん」ではなく「かあちゃん」と呼ぶように教えられ、今もそう呼ぶと思っている。
当然ながら叔母たちも高校生、小学生といった有様であり「叔母さん」なんて呼ぼうものなら怒られた。
2歳の頃、特に言葉を発するようになってからが特別可愛がられていた時期だった。
事実、家におもちゃや絵本は沢山あったし、写真も多く残っていた。
若い祖母が自分を抱く写真。市内のテーマパークに連れていってもらった写真。
「小さい頃のお前は本当に、可愛がってもらったんだよ」
3歳になっても幼稚園になっても、小学生になっても。
……大人になって実家に帰ってきても、よく言われた台詞である
それは確かにそうだ、と思っている。
当然記憶は無いが、確かに2歳の頃ぐらいには母親に抱かれ、目と目を合わせ、キスもしてもらったはずだ。
感覚が――母親に対する自分の無意識が、そう語ってくれるのだ。
でも――。
その「事実」が、後々のしょっぱい人生において、多大な、強大な、「凶悪な」影響を及ぼしてくるとは全く思っていなかった。
3歳になると、母は豹変した。
抱き着かれるのも、話しかけるのも嫌がられ、突き放された。
しつけの一環なのだろうが、きちんと「お片付け」が出来ていないと目の前で雑誌(「めばえ」「おともだち」といったもの)を思い切り破いてみせた。
当時の生活を思い浮かべてみても、いつもキツい、緊張感の張り詰めたような横顔をしていたと思う。
何か粗相をしてしまえば手が出てきて、特にこの頃はまず第一に頬を叩かれたと思う。
どうして、こうなってしまったのか?
当然私にはまったくわからないし、理不尽のあまり「やめて」と言った覚えもある。
それに対してはさも当然のように、ツンとした口調でこう突き放すだ。
「3歳になったからもういいでしょ」「可愛くなくなったから」。
【続く】
みなさんは「何時まで親から可愛がられていたか」という質問にハッキリ答えられるだろうか?
私の場合は2歳までだ。
そんなことを大人になって覚えているわけがないだろう、と思うかもしれない。
今の母にだってその話をしたら「覚えていない」「そんなはずはない」と一笑に付すだろう。
それなら、この私の中にしっかりと、明確なカタチとして残り続けるこの記憶はなんなのか?
誰にも理解されないまま、自分一人で抱えて死ななくてはならないのか?
このシリーズでは私の中に消えて無くならない苦痛の数々を、年代ごとに追って振り返っていく。
他人と比較することも、比較されることも望まない。
とりあえず、書いてみる。
そんな思いで、マイペースに更新していきますのでご興味あれば目を通していただけたら幸いです。




