はじめに ~決して不幸ではないのだが、~
「俺はなんて不幸なんだ」
つい、そういうことを口走ってしまうことは誰にだってあると思う。
ひどく打ちのめされたとき。あまりにも事が上手く進まなかったとき。
深刻な背景や理由などなくても、つい放ってしまう言葉のひとつだ。
しかし、その呟きを横で見ていた知人はこう吐き捨てた。
「自分が不幸なんて思わないことですよ。他人の不幸を知らないだけだ」
――彼は、阪神大震災の被災者で家を失い、何とか登校してみたらクラスメートが数人居なくなっていたという同年代だった。
「目が覚めたら天井が無かった」なんて語られてしまえば、自分の軽はずみな発言にいたたまれなくさせられた。
そういう体験があってから、決して私は自分を「不幸な人間」と呼ぶことはしなくなった。
40を迎えた今でも両親は健在であり、半分以上は奨学金とは言え、私学に行くお金も出してくれた人たちだ。
何が言いたいかというと、特段悲惨な背景事情や、離婚死別といったきっかけもなく、平穏無事に育てていただいた立場であるということである。なおさら不幸でも何でもなく、むしろ恵まれていた方だと言わざるを得ないし、ときに立場をわきまえなくてはならないことも重々承知している。
そんな男が、この度結婚を断念いたしました。
就労こそすれど年収は400万円程度。最低限の投資のすえ貯金も無い。
髪は徐々に白くなり、日に日に体力も集中力も低下している。
40代になるまでにしっかりしよう、と思って頑張ってきたのがこのザマだ。
そしてこの話をすると大袈裟にびっくりされるのだが――、
私は今日まで誰一人とも異性との交際経験が無い。
もちろん私の恋愛の対象となりうる相手は女性に限られるし、そういった不一致でもなく単に「交際経験が無い」。
もう結婚どころの騒ぎではなく、異常弱者男性そのものだ。
どうしてこんなになるまで放っておいたんだと言われると、ぐうの音も出ない。
いくらにもやりようがあっただけに、こればかりは愛着障害だのなんだの、自己主張自己弁護をする気も起こらない。
「自己責任」。自分の中で、十分すぎるぐらい理解していること。
「自己責任」。自分がこれから墓場まで背負って、持っていくもの。
ところが、いくら考えても理解できないことがある。
「どうしてこんなにも悲しいのか?」。
不思議なものである。
先ほど挙げたように、事実のみを羅列すれば自分ひとりがどう見ても悪いのであって、他人のせいにし、悲観に暮れる資格など本来無いはずなのだ。
それなのに。悲しい。
「愛されないこと」が辛い。
「与えられないこと」が辛い。
「取り上げられること」が辛い。
40歳が近づいてくるにつれて、段々とその感情が膨れ上がり……。ついには制御できない事態となってしまった。
3LDKのアパート――まだ荷物の届いていないからっぽのリビングの端っこで、両膝を抱えてすすり泣いてしまった。
そんな自分が先日、「愛着障害」という言葉を知った。
衝撃だった。今日まで抱いてきた両親に対する鬱屈した気持ちと、いま現在の無力感・絶望感があまりにも綺麗に一本の線で繋がったからだ。
そして、今日までぐるぐると頭の中をめぐり、悩ませ、人生を停滞させてきたものに決着を付けたいと思った。
「愛着障害」というものに、答えがあるかもしれない。
歯を食いしばって自己責任を抱え込むより、正直な所、自分にとって大きな「救済」となりえるものだった。
そこで、自分のこれまでを振り返りながら「正しい自分の扱い方」について考えをまとめておこうと思い立ったのが、今回のシリーズである。
もちろん明確に自分の自業自得である事や「罪状」についても、逃げる事はせず、お話できるものはしていこうと考えている。
「それは自責か、他責か」。
今後、今以上に自分が狂ってしまう前に。
まだ自分の頭で考えることができるうちに、ここに残しておこうと思う。
これはいわば私の「遺書」なのだ。
こういうやり方でしか、私は両親に復讐することができないのだ……。
【続く】