四章 クリスの居場所3
「北軍三部隊の皆さん、集まってもらってありがとう。不自由な思いをさせて本当に申し訳ない。いくつか話をさせてもらいたいが、少し時間をもらえるだろうか」
指揮台に上がって急にそんなことを言い出したレックスのことを、いったい兵士たちは何者だと思っているのだろう。一部と二部隊の前には王子として姿を見せたのだと聞いているが、三部隊はアランが説得して武装解除させたと聞くから、レックスは出ていないはずだ。
彼の良く通る声は、さすがに端までは届かないかもしれないが、それでも多くには聞こえているだろう。身につけている衣服は立派なもので、多くの兵士を前にしても堂々とした態度はまさに王者の風格ではあるが、それでも明らかに十代の若者だ。
「まず最初に、ここはすでにオリファント陛下の統べる国ではなく、ヘンレッティ領主の配下であるカエルム国の一部になっている。そのため、北軍はカエルムの自衛軍に組み込まれることになる」
強い口調で述べられた事実に、さすがに兵士たちは驚いたようだった。北軍全体が制圧されたことは知っていても、そのままカエルム地方のヘンレッティ公爵が国から独立するなんてことは兵士にとっては寝耳に水のはずだ。
「不安はあると思うが、なるべく皆の負担になるようなことは避けたいと思っている。家族や家がこの国に無いという者については、軍を離れて家族のもとに帰ってもらって構わないし、もともと強制労働に充てられていた者については、全ての権利をお返しした上で、働きにあった正当な報酬を与えたい。また、この荒れた土地をカエルム地方のような豊かな土地にするために、喜んで我々と一緒に戦ってくれるという同志がいれば、今以上の報酬を約束しよう」
そんなレックスの言葉に、ざわつきが広がる。
強制労働に充てられて、死ぬまで無報酬で働かされる奴隷のような兵士が、北軍には多く在籍いるとも聞いていた。彼らにとってそれが撤回されて正当な権利が戻るのは悲願であるはずだ。
レックスは彼らがふたたび静まるのを待ってから、今度は柔らかな口調で続ける。
「この地方やカエルム地方が国に納めている金銭は莫大だからね。カエルムが国として独立したということは、当然だがその資金が不要になったということだ。ヘンレッティ公爵はそれを強制労働の撤廃に使うつもりだし、次にこの北軍の兵士たちの待遇改善に使うと言ってくれている。実際にカエルムの自衛軍がどのような待遇にあるのかが知りたければ、四部隊にいた元同僚たちに聞いてみたら良い。今は兵舎で君たちの監視にあたっているけれど、話はなるべく聞くようにと指示してある」
レックスはそう言ってから、集められた兵士たちの外にいる、武装した集団の方に目をやる。あちらがカエルムの自衛軍ということだろう。
「自衛軍の待遇だけでなく、カエルム地方の様子や家族たちがどのように暮らしているのか、ありのままを話してくれるはずだ。もしかしたら、良い話ばかりではないかもしれないけれど、それはそれで判断材料になるはずだから」
彼はそう言ってから、レックスは少し瞳を翳らせる。
「彼らはあまりここでいい思いはしてなかったみたいだけど、それでもヘンレッティ家に対する心からの忠誠を糧に耐えてくれていた。それもひとえにカエルムの国を守るため、それから自分たちの生活を守るため、だと思っている」
北軍に取り込まれたカエルムの自衛軍は、名目上は四部隊として組み込まれていたが、リーダーたちはずっと投獄されているような扱いだったらしいし、兵士たちもかなり虐げられていたらしい。三部隊と四部隊の元に、カエルムの自衛軍の仲間が到着した時に、人目を気にせず泣き崩れる兵士たちが多くいたと聞くから、本当に限界だったのだろう。
「君たちにも忠誠を誓えというつもりは全くないけれど、もしも自分の手で何かを変えたいと思う人がいれば、手を貸して欲しい。僕で良ければなるべく近くで話を聞きたいし、ヘンレッティ家の方々もそれを無下にするようなことはならさないから」
そう言って、レックスはその場に跪いた。
そんなレックスに対して、もったいつけるようにゆっくりと出て行ったのはウィンストンだった。レックスが王子であった時には、側でウィンストンが頭を下げることでレックスに箔がついていたが、今回は完全に逆を狙ったのだろう。先ほどまで堂々と人々に語りかけていたレックスが膝を折ることで、ウィンストンを立てたのだ。
効果は絶大だったはずで、兵士たちの表情が引き締まるように変わったのが分かる。
レックスが兵士たちに対して少し親しげな雰囲気にしていたのに対して、ウィンストンは鋭い視線で兵士たちを見下ろした。
「ウィンストン=ヘンレッティだ」
ヘンレッティという名前もさきほどレックスがさんざん印象付けていたから、兵士たちが一斉に息を呑むようにした。
「父であるヘンレッティ公爵の名代でここにいる。正式な即位式はまだだが、いずれはカエルム国の国王陛下となられる方だ」
ヘンレッティ公爵が国王になれば、今度はウィンストンが王子になるのか——と、クリスはなんとなくそんなことを考えてしまう。
「話は先ほどレックスからあった通りだ。幸いにもここは中央から距離がある。国が大規模な軍勢を派兵するのは難しいと考えているが、それでも戦いを回避できない可能性は大いにある」
ウィンストンはそう言ってから、ゆっくりと兵士たちを見回す。
「我々の望みは、ここを自由で争いのない豊かな国とすることだ。強制労働などという制度は撤廃するし、魔術師だろうと誰だろうと排除されることはない。餓死者や貧困者をできる限り減らして、なるべく戦死者を出さないことが理想ではある。が、そのためにもオリファント王家の支配下からの独立は必須だ」
兵士たちはじっと固唾を飲むようにしてウィンストンを見上げている。
「——そして、もちろん君たちの協力も」
ウィンストンは言葉を止めてから、やはり兵士たちを見回す。ひとりひとりに語りかけるようにゆっくりと、言葉を紡いだ。
「戦ってくれる兵士たちがいなければ、いくら有能な将を揃えても意味がない。もともと強制的に徴兵されたという兵士もいると聞いている。軍にいたくないものについては解放したいと思っているが、可能であればここが完全に安全な場所になるまでは、共に戦って欲しい」
そう言うと、彼はレックスの名前を呼んでからあっさりと指揮台を降りた。
レックスは立ち上がってから、改めて兵士たちに向き直る。
「じきに兵舎にひとりひとりの意向を確認する役人を派遣するつもりだが、別にすぐに決断してくれと言うわけでもない。希望があれば伝えてくれれば良いし、迷っているならそれでもいい。聞きたいことがあれば聞いてくれても良いし、僕と話がしたい兵士がいれば僕が話をしにこよう」
彼はそう言ってから、僅かに笑むように目を細めた。
「僕は名乗れる家名も持っていないのだけど、レックスと呼んでもらえれば。新しくできるこのカエルムの国に仕える者だ」
レックスはそう言ってから、兵士たちに対しても膝を折って礼をした。そして指揮台を降りる。
そこまでを聞いても人々に動きがなかったことに、クリスはほっと安堵した。周囲で顔を見合わせたりひそひそと話すような者は見えても、少なくとも目に見えて反発している者はいない。
兵士たちはレックスやウィンストンの話をどう聞いたのだろう。クリスは改めて、レックスが新しい国に希望を持っていることと、人々に対して本当に寄り添おうとしていることについて感動していた。兵士たちにそれが伝わったかは分からないが、レックスの言葉は届いただろうし、少なくともウィンストンが新しい施政者であることは伝わったはずだ。
同じようなことをあと一部隊と二部隊に向けてそれぞれ実施すると聞いている。一度、三部隊を撤収させてからまた新しい部隊をこの場に準備するのに少し時間はかかるから、ウィンストン達は馬車で待機する手筈になっていた。
そちらに向かおうとしていると、急に兵士たちの間から一人の男性が出てきて周囲がざわついた。