四章 クリスの居場所2
「クリスは魔術師としては一流だと思いますよ」
エイベルがそう言って、クリスはそうなのか、と驚いた。
なにせ魔術師といえば死んだ母しか知らないし、その母親でさえ魔術を使っているところをほとんど見たことはない。魔術師であると言うことを隠していたから当然と言えば当然だが、自身が使える魔術がどの程度などかは考えたこともなかった。
エイベルが魔術を使っているところを見て感動してしまったくらいで、彼はそれよりクリスが使った精霊の方が強いのですが、と言って笑っていた。
「クリスのお母様が聖教のリリー家と聞いています。そちらも、かつては有力な魔術師の血筋でしたから」
それもクリスの知らなかった話だ。母が聖職者としてロイズ家と並ぶほどのリリー家の出身ということは知っていたが、それが魔術師の血筋であるなど聞いたことはない。父も知らなかっただろう。
ウィンストンは首を傾げる。
「エイベルとどちらが強い?」
「才能自体はクリスの方があると思いますよ」
「使いこなせるかは別、ということか?」
「さすがに負けはしませんが、ウィンストン様やレックスの護衛にということなら念の為の配置には十分すぎると思いますけど。私も出ますし、クリスも一応は剣も使えるのでしょう?」
そう言ってエイベルがクリスを見たので、クリスはぶんぶんと首を縦に振った。
「レックスが良ければ、私は別に構いませんけど」
「僕も別に構わないよ」
あっさりとレックスが頷いたので、クリスは少し驚いた。これまではクリスが護衛としてレックスの近くにいることを、彼は嫌がっていたのだ。これまでもアランなど護衛たちが彼を守って怪我をしたり命を落としたりしたのだろうし、クリスを危険に巻き込みたくないのだと彼は常に言っていた。
「クリスもレックスと同じで、いるだけでそれなりに目立つからな。今回の随員としては悪くない。危険はないと思ってるが」
「僕もそう思う」
ウィンストンとレックスが北軍の兵士たちの前に出ると言ったので、クリスも一緒に行きたいと言ったのだ。彼らは危険がないと言ったが、もしも暴動など起きようものなら大変なことだ。
国軍だった北軍の兵士たちが、北軍の将軍や部隊長等を捕えられた状態で、今後、国が派遣してくるはずの軍の兵士たちと戦ってくれるのか。いくら上官の命令が絶対とはいえ、上の首が全て挿げ替えられた後に自国の軍と戦うなんてクリスには全く信じられなかったし、なんなら内側から暴発されかねない。
「クリスにあう軍服を準備させるから、着替えてきてくれ。こちらの準備も完了し次第、声をかける」
そう言われて、クリスは与えられていた部屋に戻る。
ここはウィンストンの屋敷ではなく、カエルム地方の自衛軍の陣営だった。ウィンストンが自衛軍を率いて北軍に派兵した時に、クリスも一緒に連れてきてもらったのだ。
本当はレックスと一緒に行きたかったのだが、さすがにそこはレックスに拒絶された。王子の格好をしてわずか数十名で北軍のど真ん中に入っていくなんて、と気が気ではなかったのだが、ウィンストンからの依頼というよりもレックス本人の希望というところが大きかったようで、止められなかったのだ。
だがクリスたちが到着した時にはレックスはあっさりと北軍の一部と二部隊を降伏させていたし、どんな魔法を使ったのか、三部と四部もあっさり取り込んだ。なるべく被害を出さずに北軍を取り込みたいと言っていたから、本当にレックスの希望どおりになったのだろう。それだけ王家の威光というものがあったのかもしれないが、改めてレックスの力をクリスは思い知った。
そもそもウィンストンの側近というところも、非公式ながらすでに周囲に認められている。クリスも雑用として側で会話を聞いていることが多いから、ウィンストンはレックスの意見を参考にしているのが分かるし、周囲も急にやってきたレックスに対して悪意を持っていないのが分かるのだ。
「軍服をお届けに参りました。着替えが済んだらこのままお連れするようにと言われておりますので、部屋の外で待たせていただいてもよろしいでしょうか」
そうやって来たのは自衛軍の若者だろう。年も変わらないと思うが、どこか初々しく緊張しながら言った兵士に、クリスは笑顔でお礼を言った。
久しぶりに袖を通す軍服は真新しいものでとても硬いし、襟元が苦しいのだが、自然と背筋が伸びる感覚がある。それが自衛軍の彼が来ている制服ではなく、先日までクリスが身につけていた国軍の軍服であるのは作為的なのだろうか。単に小柄なクリスに合う制服が準備できなかったという可能性もあるが、ウィンストンはクリスも目立つから好都合だと言っていた。北軍の兵士の前に出るにあたって、同じ軍服を着ている人間をそばに置きたかったという意図もあるのかもしれない。
部屋の外で待機していた兵士に連れられて向かったのは建物の出口で、そのまま外に出る。晴天の空の下で太陽が眩しいほどだったが、それを仰ぐ前にウィンストンとレックスの姿が見えてクリスは慌ててそちらに向かった。
そこにはすでに二十名ほどの人物が揃っていた。ほとんど護衛と思われる軍服を着た男性だが、そんな中でウィンストンとレックスがかなり目立っていた。エイベルも貴族に相応しい家紋付きの衣服を着ているが、彼が屈強な護衛たちに埋もれているように見えるのに対し、ウィンストンは明らかに彼らの主といった貫禄と威厳がある。衣服も貴族としての正装に近いもので豪華だし、赤を基調としているため黒い軍服が多い中で非常に目出つのだ。
レックスも似たような赤を身につけているが、さすがにウィンストンほどに豪華ではない。が、彼がかっちりとした格好をすると、どうしても王子を演じていた頃のように見えてしまってどきりとした。そうでなくとも、内側から放たれるような、圧倒的な存在感があるのだ。そして前髪を流して額を見せているせいか、ぐっと大人っぽく見える。
彼はクリスの顔を見ると、にっこりと大きな瞳を笑みの形に変えた。
「すみません、お待たせしてしまいましたか」
「いや。我々も今出たところだし、待たせたのはこちらだろう」
確かにクリスは軍服が届くや否や、急いで着替えて出て来たのだからどうしようもなかったのだが、それでもクリスの準備待ちであったのなら申し訳ない。護衛の支度を主人が待つなどということが許されるのは、この場だけに違いない。
恐縮したまま、促されて馬車に乗せられた。馬車の中にいるのはウィンストンとレックスとクリスだけで、あとは馬で周囲を警戒しながら向かうのだろう。彼らと一緒に同じ馬車に乗る時点で、もはやクリスは護衛という位置付けで考えられていないような気はしたが、これはこれで中央にいた頃から同じだった。同じようなことを考えたのか、ウィンストンが言う。
「三人でこうして馬車に乗るのも久しぶりだな」
「……最後は、聖堂で殺されかけた時ですからね」
クリスの言葉にウィンストンはなんとも言えない顔をしたが、レックスは少し笑う。
「あの時もクリスに助けてもらったな」
「クリスがそれだけの魔術師だと最初から知っていれば、多少は安心できたのですけれどね」
「でも人前で万が一にもそれを使うわけにはいかないよ。殺されちゃうもの」
「本当に万が一の場合であったなら、そこは私がなんとかしますよ。目撃者を全員始末してでも証拠を隠滅します」
「……それは心強いですね」
さらりと言ったウィンストンに、クリスは苦笑する。
本気ではないだろうが、それだけ彼も中央にいた頃からレックスなのかクリスなのかの身を案じてくれていたということだろう。
「だが、今のこの状況なら、別にいつでも使ってもらっていい。じきに魔術師たちがこちらに逃げ込んでくるからな」
「サスの魔術師が合流するのですか?」
「もう向かっているはずだ」
「もともと魔術師たちは軍の監視下に置かれていたと聞いていますが」
「大隊や中隊が近くにいたところで、サスの数百の魔術師が本気になれば、簡単に追い払える。そしてサスを見張っていたのは北軍の隊だから、異常があったと逃げ帰ったところで、本隊はすでにこちらの監視下だ。すぐに確保できる」
そうしてこちらに取り込もうというのだろう。捕虜であれば増えれば増えるほど手を焼くから、なんとか北軍の兵士たちには、自発的に寝返らせたいのだ。そのためにも、今回、ウィンストンが自ら出向いて説得するのだと聞いている。
レックスが聞いた。
「中央の動きは?」
「まだ無さそうですね。ちょうどアルビオンを魔術師たちが陥したと聞くので、中央からするとこんな地方より
、距離的にもそちらの方がよほど脅威でしょう」
「だけど、だからと言って彼らが何も言ってこないわけはないよね。もう公爵は外に向けてカエルム国として独立したって公言してるんでしょう?」
「ですね。そちらの方が動きやすい。兵士たちも、既成事実を作った方が諦めもつくでしょうし」
「もともと兵士たちの大半は北方の生まれと聞くしね。強制的に徴兵されているような兵士も多いから、さほど国軍に対する忠誠心はないと思うのだけど」
そんなことを言っていると、すぐに馬車が止まった。もともと自衛軍の陣営は北軍の兵舎の近くに構えていたから、さほど移動する必要もないのだ。
馬車から降りて向かった先は、演習場のような広場だ。そこに多くの兵士たちが集められていて、その光景にクリスは思わず息を呑む。何百人いるのだろう。一部隊ごとに集めると言っていたから、当然だがこれが北軍の全てでもない。
たくさんの兵士たちを前に、クリスの体が緊張で強張るのを感じる。
王子としてレックスと一緒に外に出て、これだけの民衆に囲まれたことはあるが、相手が民衆か軍人かでこれほど圧が違うのか、と思った。彼らは武器は持っていないとはいえ、戦うために鍛えられた人間の集団だ。それに民衆たちの前に出る時には、頑丈な城壁などの上から見下ろすことが多かったが、今回は演習場を見下ろせる指揮台のような場所しかない。兵士たちが手を伸ばせば簡単に引き摺り下ろされるだろう。
だが、緊張しているのは相手も同じに違いない。ウィンストンたちが姿を見せると、しん、と異様なほど静まりかえった。だが、指揮台の上に人が登ると今度はわずかにざわりとする気配が伝わってくる。クリスは注意深くそれを見回しながら、ちらりと上に登った人物を見る。
そこにいたのは、ウィンストンではなくレックスだった。