四章 クリスの居場所1
「お久しぶりです。クリスティアナ様」
そう言って頭を下げた男性を、クリスは首を傾げて見た。
短髪で長身で鍛えられていて、雰囲気は完全に軍人であるし、礼も軍隊式のものだ。すっとした姿勢からも明らかに腕が立ちそうで、出自も良いのか品格もある。一兵卒ということはないだろう。二十代前半に見える彼は、確かにどこかで見たことがある気はしたが、どこで会ったのか思い出せない。クリスの近衛の同僚だったのか、士官学校で会ったのかと考えていると、レックスが笑いながら言った。
「名乗らないのは、クリスを試してるの?」
「名乗っても誰だと言われると思ってますので、レックスからの紹介待ちです」
「本当? それは気が利かなくてごめんね」
そんな楽しげなやりとりに、クリスがますます混乱していると、レックスはクリスを見ながら言った。
「アランだよ、覚えてる? 一時期、僕の護衛をしてもらってた」
そんなことを言われて、クリスは目を瞬かせた。
子供の頃にレックスの屋敷を訪れていた時に、親身に対応してくれていた男性だろう。一見すると怖そうにも見えるのだが、優しげに見下ろす瞳に見覚えがある。子供の頃だったので随分と大人に見えていたが、そこまで年が離れているわけではないはずだ。
「アラン=クリフォードです。クリスティアナ様にお会いしたのはもう八年も前ですので、お覚えではないかもしれませんが」
「クリスティアナ=ロイズです。もちろん覚えております。まさか、こんなところでお会いできるなんて……」
彼がレックスの護衛をしていたのなら、クリスと同じで中央軍の近衛兵だったはずだ。その国軍の兵士が、北軍と北方の領地を奪って王家に宣戦布告をしている、カエルム地方の自衛軍の陣営にいるというのは、普通では考えづらい。
「直近では、北軍の三部隊に配属されておりましたので。今は他の隊長達と、こちらに身柄を拘束されている状況です」
「そう、なのですね」
拘束と言いながらも彼はレックスと二人で現れたし、さほど警戒されているようには見えない。レックスと旧知の仲だということで信用されて、自由にさせられているのだろうか。
だが、クリスは仮にも軍に属しているので、色々な隊員を知っているし、軍の考えも少しは分かる。アランは自身が所属している北軍を地方の領主に奪われたことを、果たしてすんなり受け入れられたのだろうか。軍人がレックスの近くにいることにヒヤリとしてしまって、クリスは注意深く二人を見る。目の前の誠実そうな彼が悪人に見えるということではもちろんないのだが、誠実だからこそ、彼は軍人としての責任感や使命感で行動する可能性がある。
「拘束してるつもりはないけれど。北軍の三部隊を全員投降させたのはアランだしね」
「でもウィンストン様に信用いただいてはいないでしょう。レックスに近づいても何も言われませんが、北軍の人間には近づかせてくれない」
「それだけウィンストンがアランのことを脅威に考えているんだと思うな。単独で僕を人質に取ることに意味はないけど、隊を持たせたら集団で何かしでかしそうだって」
「そうした配慮をいただくほど、たいそうな人間ではないですけどね」
和やかに笑いながら進められた会話に、クリスは密かに安堵する。クリスなどが心配するまでもなく、ウィンストンはちゃんと考えているのだろうし、ウィンストンさえ信用していなかったレックスが、頭からアランを信用するはずもない。
そんなことを考えていると、急にアランがクリスに向かって片膝をついた。
「レックスとクリスティアナ様にはかつて命を救っていただきました。随分と遅くなりましたが、ありがとうございます。長らく礼も言えずにいたご無礼をお許しください」
そんな言葉に、クリスはどきりとする。
すっかり忘れていたが、大怪我をして意識のないアランに、レックスから頼まれて魔術を使ったのだ。今は魔術師であることがバレればすぐに処刑されてしまうし、当時でも他人に知られることはかなりリスクがあった。それでも魔術を使ったのは、レックスに頼まれたということもあるが、クリス自身も彼を助けたかったし、何より気づかれないだろうと思っていたところが大きい。
レックスもそう思っていたのだろう。彼も驚いたような顔をする。
「クリスのこと気づいてたの?」
「はい。朦朧とはしていましたが、ところどころ声は聞こえていましたので」
「そうなんだ。黙っててくれてありがとう」
「今も周囲に黙っておられるのですか? エイベル様は我々の前でも盛大にぶっ放してましたけど」
エイベルは王子に扮したレックスの側近として北軍に潜り込んでいた。レックスはどこからどう見ても本物の王子だし、エイベルもヘンレッティ家に仕える本物の貴族だから、側近として同行しても全く違和感はないのだ。そこでエイベルが魔術を使ったのだろう。
「最近までウィンストンにも黙っていたのですが、エイベルさんには気づかれてしまいました。ついつい視線が追ってしまって」
そう笑ってから、クリスは窓辺にふわふわと浮いている風の民を眺める。
ウィンストンは魔術師に知り合いがいると言っていたが、まさかそれが彼に一番近しい側近であるエイベル=スペンサーだとは予想もしていなかった。スペンサー家は代々、ヘンレッティ家の忠臣でありながら、国とも繋がる間諜でもあり、何よりヘンレッティ家が抱える魔術師の家系であったらしい。ウィンストンが魔術師達のことを高く評価しているのは、それだけエイベルが出来た人間であるからだろう。
クリスは周りに自分以外の魔術師がいなかったのであまり気にしていなかったのだが、じっと精霊を見ているのは、自分が魔術師だと白状しているようなものだ。普通の人間は特に何も思わないだろうが、相手にも精霊の姿が見えていればすぐにバレる。エイベルに「可愛い水の民ですね」と話しかけられた時には、飛び上がるほど驚いたのだ。
「いまはウィンストンもご存知ですので、アランを入れれば知られているのは四名ですね」
「承知しました。今のこの場以外で他人に口外する気はありませんが」
「ありがとうございます」
「いえ」
そう言ったアランは、ゆっくりと首を横に振ってから口を開く。
「私の所属は今は北軍の三部隊ですが、それまでは中央軍の三部隊でした。中央に近い町や村に隠れていた魔術師達を何名も捕らえています」
急にそんなことを言われて、クリスは戸惑う。
彼が中央軍の兵士だったというのなら、それはあり得ることだろう。魔術師が探し出されて処刑されている、という話は聞いていたし、軍部がそれを行なっていたという話も聞いている。
「はい」
「だからどうと言うつもりはありませんが、お伝えだけさせてください。困らせてしまってすみません」
アランはそう言うと、また頭を下げた。
彼はそれを良心の呵責にかられているのだろうか。
そう言われたところでクリスに彼を責めることはできないし、もちろん殺されただろう誰かの代わりに許すこともできないが、それを望んでいるわけでもないだろう。ただ、それを隠して、魔術師であるクリスに近づくことはできないと思ったのかもしれない。そこには彼の誠実な人柄があるのだろう。
「いえ。……私もここに来るまでは近衛に所属しておりましたので」
クリスの言葉に、アランは少し驚いたような顔をした。
むしろクリスは、魔術師達が軍の兵士たちに捕えられ処刑されていることを知りながら、魔術師であることを隠して軍に所属していたのだ。クリスが彼と同じように上に命じられてそれを行ったかどうかは分からないが、どちらにせよクリスもアランと同罪には違いない。
アランは「そうですか」と言ったが、それ以上は敢えて何も触れないでくれた。