三章 アランと王子の関係9
魔術の光に全身を包まれた時には、自身の死も覚悟したが、光は強烈に目に刺さっただけだった。閉じてしまった瞳は痛みで開けられず、瞼の裏は赤なのか緑なのか妙な色で染まる。
視界を奪われて焦燥にかられているうちに、部屋の中は悲鳴や怒号で満ちる。聴覚も奪われる形で混乱していると、誰かの腕が肩にかかった。咄嗟にその手首を掴んで捻り上げようとしたが、その時、レックスのよく通る声が響いた。
「全員動くな! 大人しく投降すれば乱暴する気はない」
その言葉に、彼らは目が見えているのだろう、と思った。あらかじめ閃光を放つことを知っていれば、咄嗟に目を覆って避けられるはずだ。
そんなことを考えているうちに、アランは肩を押さえていた人物に床に押し付けられる。もう抵抗する気はなかったが、先ほどやり返そうとしたことに気づいているのだろう。背中をかなり強く押さえられて、息も苦しいほどだった。
なんとか目を開けて顔を上げると、すでに立っている軍人はいないように見えた。バタバタと外から潜んでいた兵士たちがやってくるような音もしていたが、将軍や部隊長が押さえつけられて人質になっている状況では、大人しく武器を置くしかなかったはずだ。
部屋の外側から聞こえていた騒がしい声や足音も、すぐに消える。この短時間でこの建物の制圧まで完了したのだろう。あまりに鮮やかな動きに舌を巻いているうちに、腰の剣を取り上げられ、後ろ手に手首を拘束された。代わりに背中を押さえていた肘だか膝だかもなくなって、アランはレックスのいた方向を見上げる。
そこには両脇を剣を構えた男に挟まれ、両膝をつかされた将軍の姿があった。
「どういうつもりだ?」
「本物の殿下でなくて、申し訳ないな。でも将軍も最初から僕のこと偽者だと疑っていたでしょう?」
「……ヘンレッティの手先か?」
「うん。ごめんね」
悪びれた様子もなく言ったレックスは、真剣な顔をして将軍を見た。
「カエルム地方を国の直轄地になんてされたら、ここと同じで偉い人たちに食い荒らされるだけだと思うから」
その言葉に、レックスは無理やりヘンレッティに従っているわけではない、と分かった。先ほど語っていたのも、レックス本人の思いなのだろう。
「ヘンレッティほどの名家が、穢れた魔術師や偽物を使うとは……。公爵家も地に落ちたな」
「偽物を使っているのは王家も同様だけどね。魔術を使える人達だって、別にあなた達と何も変わらないよ。誰にも虐げる権利などある訳がない」
ぞくりとするような黒い瞳を向けられて、将軍が口を閉ざすのが見える。レックスは部屋の中を見回してから、窓の外を見た。
「出来れば兵士たち共々、投降して欲しいな。外でも副将軍は今ごろ捕えられてるはずだ。将軍の名前を使って呼び出したからね」
「……私たちを捕らえれば、北軍全体を掌握できるとでも?」
「将軍と副将軍、それから一部隊長とここにいるのは大隊長たちの半分と中隊長が少しといったところかな。現場は中隊長でも動かせると思うけど、こっちの状況が分からないと、何をしていいか分からないんじゃない? 今も待機してろって指示してるから、大半はただ待ってるみたいだしね」
そうレックスは言ったが、外は先ほどより騒がしくなっているようにも聞こえる。遠くではあるが、微かに争うような声もしているから、こちらの窮地に気づいている兵士たちもいるのかもしれない。そう思っていると、レックスは窓を開けて窓枠に手をかけた。冷たい空気と一緒に、表の喧騒も流れてくる。
「危ないですよ、レックス」
「弓兵に狙われるかな?」
「というより、レックスの顔を知らない魔術師もいますから」
そう言ったのは、レックスの側近に見えていた、貴族風の男性だ。物腰も雰囲気もヘンレッティ家の配下の貴族だろうか、と思わせる男性だが、聞き間違いでなければ彼こそが先ほど魔術を使った声に思える。
そういえばレックスは魔術師達に拐われたと言っていた。そしてレックスをヘンレッティ家が手に入れたということであれば、彼らが魔術師を擁している可能性も考慮しておくべきだったのだろう。相手が単なる自衛軍ではなく、内に魔術師がいるのだとすれば、攻略に対する対処法もだいぶ変わる。
「武器庫や厩舎はもう制圧してるみたいだよ」
「さすが、早かったですね」
「厩舎は押さえたし、外にあった馬や馬車は最初に押さえてる。増援を呼ぶことも、王宮に知らせに行くことも難しいと思うな」
その言葉は側近に対してではなく、この場にいる軍人達に向けたものだろう。絶望的な状況を伝えて、戦意を削ぐつもりなのだ。
「……お前達の増援も見えなかったぞ」
「そうだね。今はせいぜい最初にやってきた人数しかいないよ。あとは最初から軍に潜ってくれていた人達かな」
兵士の中にも協力者がいたということだろう。隊長クラスに協力者を潜り込ませるのは難しいかもしれないが、徴兵されるような人間に紛れるのは容易にやれる。それが全体のほんの一部だとしても、外にも強力な魔術師がいたのだとすれば、その人数でも厩舎などを押さえることは可能なはずだ。
敵は、三部と四部隊を掌握してから北軍の本陣に対抗するつもりだと思っていたが、彼らの狙いははじめからこちらだったのだろう。彼らにとっては、奇襲をかけられるチャンスは一度だけだ。それであれば、一気に北軍のトップを狙うのが一番効率がいい。
「だけど、じきに向かってくるよ。それまでに隊員達の武装解除を命じてもらえないかな。正面衝突になれば、お互いに不利益しかない」
窓を閉めてから少し離れたレックスを、将軍は睨みつけるようにする。
「ここにいるのがお前達だけなら、そんなことに応じる必要があるか? 命じるなら一斉攻撃だ。いくら魔術師がいようが、兵士たちの数には勝てん」
「自分達の命は捨ててでもって? それで外の兵士たちが助かるならいいけど、全員で無駄な血を流し合うのは嫌だな」
千人以上の兵士がいる軍の駐屯地のど真ん中に数少ない仲間だけでいようと、自身より何倍も生きている将軍に睨まれようと、レックスには全く動じる様子はない。
「将軍が出ないなら、僕が兵の前に出るだけだ」
「偽の王子に何ができる。お前達の仲間が外で暴れてるなら、正体はすでに知れてるはずだ」
「そうかな? 僕は万が一にも本物だったらどうしよう、って思わせれば良いだけだからね。九割は偽者と思ってても、なかなか剣は向けられないよ。——将軍もそうだったでしょう」
余裕の表情で言ったレックスに対し、将軍は顔全体に怒りを浮かべる。たしかに偽者の可能性は十分に考えていて、そしてアランが偽者だと伝えてもなお、先ほどの将軍に迷いは見えたのだ。
それだけレックスがあまりに本物に見えたということで、疑われていても泰然として全く動じていなかったということだ。千人の敵兵を前にしてもきっと、堂々と武装解除を命じられるのだろう。アランが知っているレックスも、かなり出来た子供ではあったが、その頃とは比べものにならないほどに大物に見える。
「予定より少し早いけど出ようか」
「そうですね。あちらは盾が副将軍だけだと苦しいかもしれない。レックスにはご足労をかけますが」
「とんでもない」
そう言ってぶんぶんと頭を振ったレックスは、先ほどまでの王子然とした雰囲気とは全然違う。レックスと呼びかける人間もどこか親しげで、アランはなんともいえない気分になる。
レックスの名前を知っていたところで、アランはその名を呼ぶことは許されていなかったし、あそこでレックスの名前を呼ぶ人間などいないように見えていた。それを思うと、他人の名前ではなく自分の名前で、自分の言葉で話が出来ているように見えるレックスを見て感慨深いものはあるのだが、アランは拘束されて床に転がされているような状況だ。
これから彼らがこの軍と自分達をどうしようとしているのか分からないが、立場としては敵であることには間違いない。
軽い足取りで外に出ていくレックスを見ていると、彼は何故かドアの近くで振り返った。
「ごめんね」
そんなことを言ったレックスの困ったような瞳が、アランを真っ直ぐに見ているような気がして、どきりと心臓が跳ねた。レックスがアランのことを覚えていたのだと思うと、なんだか泣きたい気持ちになった。