三章 アランと王子の関係8
豪華かつ丈夫で立派な馬車の群に、仰々しいと思えるほどの多くの随員とともにやってきた集団は、表からは誰がどうみても本物の王子の御一行様だった。
馬車を先導しているのも一見すると軍人でしかないし、周囲についている従者や役人も本物の貴族にしか見えない。アランは一度、レックスが王子として外に出る場に同行したことはあるが、その時よりもずっと立派だ。まさか本物の王太子殿下がやってきたのだろうか、と思うほどで、そうだったら良い、とアランは内心で祈るような気持ちでいた。
本当にレジナルド王太子殿下が気まぐれに軍の駐屯地に慰問に訪れたというだけなら、すべては杞憂に終わる。
王子様御一行の到着に、陣営は一気に張り詰めたような雰囲気になる。しん、として誰の咳払いの音も聞こえないほどだ。実際、軍の兵の大半は、少し離れた場所に待機させられていたから、広い陣と演習場にいる人の密度は低い。
王太子殿下に対応をするのは将軍以下の主要な二十名ほどだ。将軍は高齢そうに見えるが、大隊長中隊長クラスであればそれなりに腕に自信のある軍人もいる。それに加えて万が一に備えて建物には護衛のための兵士をたくさん仕込んでいたから、もしもこの王子様御一行が刺客集団だとしてもなんとかはなるはずだ——という見込みはあるのだろう。
相手は相手で偽物はもとより、本物の王子であっても軍人によるクーデターなどは頭にあるだろうし、周囲に最低限の護衛を固めはするだろう。馬車が入る前にも、先行して馬でかけてきた役人や近衛兵達が、事前に兵たちの状況を入念に確認していたのだ。建物に仕込んだ兵士たちが気づかれやしないかと将軍たちはヒヤヒヤしただろうが、そこは気付かれなかったらしい。
「ご準備が整いました」
謁見を行う部屋でしばらく待機させられていたアランたちは、一斉にその場に跪いて王太子殿下の入場を待つ。将軍までもが膝を折り迎えるのが偽物であるのなら、壮大な茶番でしかないが、本物かもしれないと思えばそうせざるを得ないだろう。そうでなくても相手側主導でどんどんと準備が進められていき、こちらとしては雰囲気にのまれて口を挟む余地もないのだ。
これで本物でないというのは考え難い気はするが、あり得るとすればやはりヘンレッティ家が絡んでいるのだろう。ウィンストン=ヘンレッティは五年ほどレックスの側で、レジナルド王太子殿下の側近として振る舞っていたらしい。そこに至るまでの手配なども行なっていたとすれば、こうした采配もお手のものである可能性はある。
何名かが入ってくる音がして、顔を上げることを許可する号令がかけられる。
視線が吸いつくように、中央に立っている人物に向かった。そこにいるのは王家を示す衣装を身に纏った男性だった。そこだけ空気が違うのではないかというほどの存在感で、一目で彼が王子なのだと分かる。が、そこにある顔にアランの心臓は跳ね上がった。
それは見たかったような見たくなかったようなレックスの顔で、どくどくと心臓が脈打つ。
最後に言葉を交わしたのはまだ彼が子供の頃だが、それ以降にも何度か外遊先で見かけてはいた。一番最近は、魔術師に与したという村人が処刑される場で、彼が魔術師に狙われた時だ。遠目にも見間違えてはいないと思っていたから、これだけ近い距離では間違いはないだろう。
行方不明で死んだと見られていた、という彼が生きていたというのは朗報だが、彼が本物と偽ってここに立っているのはどういう状態なのだろう。元側近だというヘンレッティに脅されたり騙されたりして、利用されてでもいるのか。
どこからどう見ても本物の王子にしか見えないレックスは、ゆっくりと周囲を見まわした。大きな黒い瞳は、どきりとするような強い光がある。彼の視線はアランの上にも落ちた気はするが、アランに気づかなかったのか全く反応はない。アランがレックスのことを覚えていても、彼にとってアランは何度も何度も入れ替わった護衛の中の一人でしかないだろう。
最後にレックスの視線が止まったのは北軍将軍で、将軍もそれを受けて口を開いた。
「エルドレッドです。王太子殿下にこのような土地まで足をお運びいただき恐縮です」
「久しいな、エルドレッド将軍。変わりはないか?」
「はい」
目を伏せてそう答えた将軍に、レックスは目元を細める。
レジナルド王子は、王妃譲りの美貌を持つ王子とされているが、レックスが出てきてもそれを否定する人間などいないだろう。もう少年という歳でもないのだが、中性的で美しいという形容がよく似合う。強すぎて圧倒される瞳が、少し細めるだけで柔らかくなり、目が逸らせなくなる。
彼は自然な様子で歩いて行って、一番奥の椅子に座った。上座であるから当然ではあるが、出口からは一番遠く、座ると更に逃げられなくなる。
「皆も座ればいい」
そう言われて、椅子が準備されている将軍たちは席につく。アランや護衛として選ばれている中隊長達は、立ったまま壁際に寄った。その際に、ちらりと将軍がアランを見たので、アランは僅かに首を縦に振る。すると将軍は少し目を大きくしたので、彼も目の前の王子が偽物であることは信じられないのだろう。
アランが彼を偽物だと告発することは、レックスにとって良いことなのか最悪なことなのか、アランには分からなかった。捕えられて王宮に連行される、というのは彼にとって無事に家に帰れるということなのか、もしくは処刑されるということなのか。
だが、レックスはともかく、彼が本物でないということは確かで、レックスであれば捕えろという通知が出ている以上、王宮が派遣した正式な偽物でないことも確かだ。それであれば、何かしらの企みが進行中であることは間違いなく、軍人であるアランにそれを伝えないという選択肢はない。
「随分と急なご訪問ですね。何か理由がおありですか」
椅子に座った将軍が丁重な口調で言った。なるべく失礼のないように、という気配は伝わってくるが、相手が本物の殿下であればそんなことを言うわけはない。アランが彼を偽物だと伝えたことで、相手の狙いを探るつもりなのだろう。
レックスにもそれは伝わっただろうか。彼は口元に笑みを浮かべながら、長めの前髪を無造作にかきあげた。それから将軍を見据える視線を僅かに鋭くする。
「迷惑だったかな。コンラッドが行け行けってうるさいからさ」
「コンラッド……元帥が?」
「元帥も先日、顔を見せに来ただろう。あれもそろそろ引退だ。カエルム地方の直轄化を最後の花道にしたいって魂胆が見え見えだな」
可笑しそうに目を細めて言ったレックスの言葉に、アランは少し不安になった。
レックスであれば多少は内情などには詳しいのかもしれないが、それにしても詳しすぎる。カエルム地方の直轄化が元帥の悲願である、などという情報を誰が知れるのだろう。カエルム地方を国の直轄領にしたいがために、北軍はヘンレッティ家による反乱を望んでいるのだ——とアランは納得するとともに、本当に彼はレックスなのだろうか、などと改めて思ってしまった。
顔は確かにレックスなのだが、口調も表情もアランの中にいるレックスとは違いすぎる。もともと屋敷を訪ねてくる人に合わせて変えているように見えていたが、それにしても人格から別人に見えるのだ。そもそもアランはレジナルド殿下の顔を知らない。双子というほど似ているという話は聞いたことがなかったが、遠い親戚関係にはあると聞いていたから、似ている可能性はある。
将軍もそう感じたようで、少しトーンを変えた。
「先日は元帥にも足をお運びいただきました。北方の安寧のために、王太子殿下にも御配慮、御尽力いただき恐悦至極です」
「北は総じて貧しく荒れてる。この規模の兵士を保持する、北軍の存在意義は大きいからな」
「ありがとうございます。ヘンレッティ領がこちらに手を出してくれば、すぐにでもカエルム地方に攻勢をかけるべく、日々鍛錬を行っております」
低い重厚な声で言った将軍に、レックスはわずかに口の端を上げる。
「あちらはここの土地と比べて豊かだからな。張り切ってもらうのはいいが、いずれ人々のものになることを考えればなるべく被害は出したくないな」
「もちろん、心得ております」
その時、外から何か音がして、アランは咄嗟に窓の外を見る。アラン達がいる建物内ではない。遠く、演習場の方から聞こえたような音は、部屋の中ではさほど大きな音ではなかったが、ここまで聞こえたのだ。実際にはそれなりの爆音ではなかったか。
レックスもそちらに視線をやった。
「何事だ?」
「何かありましたか、将軍」
それを言ったのはレックスのそばにいる側近らしい男で、将軍は部屋の入り口近くにいた兵士に視線をやる。
「確認させろ」
数名がドアの外に駆け出すのを見てから、将軍は椅子から立ち上がって窓の外を見る。アランの場所からは特に外に異常は見えず、同じように窓にとりつきたいと思ったが、ここで動くわけにはいくまい。
「何か見えるか?」
「いえ。待機していた兵士たちが外に出て確認しているようです」
「まさかヘンレッティの襲撃か?」
「敵影は見えませんが……」
それだけを言ったのは、可能性を否定しきれなかったからか。彼が本物の王子であれば、それを察知したヘンレッティ家は狙う好機と思うに違いない。だが、彼がやはり偽物であった場合は、これは敵の企みの一つだ。アランは部屋の中にいる人間達の動きを注意深く観察する。
この広い部屋にいるのは北軍の人間が二十名弱。相手はレックスとその側近の貴族らしい人物が二人。その周りに明らかに手練れといった雰囲気の護衛が三名と、アラン達も控えている入り口近くに、従者なのか護衛なのかが十名ほど。こちらの人数よりは少ないが、だいたい同数に調整しているのだろう。
王子の随員の内、二名ほどは窓に近づいたが、下手な動きはない。そう思っていると、静かにレックスが席を立って将軍の隣に並んだ。窓の外を眺めながら、彼は口を開く。
「本当はこれだけの人を動かせれば、荒地も耕せるし、耕地に水を引けると思うのだけど」
「は?」
これだけの人というのは、窓の外に見える兵士たちのことを言っているのか。
「争いがなければ兵士たちに田畑を踏み荒らされることもないし、田畑を耕す時期に男手が徴兵されることもない。軍が不要だとは言わないけど、まずその前にやりたいことがあるんだよね」
急に口調を変えてそんなことを言い出したレックスに、アランは驚いたし、将軍も目を丸くした。瞬間、部屋の中から大声が響いてアランは思わず身構える。
「火の民、爆ぜろ!」
魔術だと気づいた時には、強烈な閃光が痛いほど目に刺さっていた。