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三章 アランと王子の関係5


「俺に勝てると思ったの? アラン」


 馬上から面白そうに見下ろしてくるロジャーをはるか上に見て、アランは地面に転がったまま打ちつけて痛んだ腕を撫でた。先ほどまで自分が乗っていた馬に踏まれやしないかとハラハラしたが、すぐに近くにいた隊員が気づいて馬を離してくれる。


「……本気でやったんだけどな」

「まあ、俺もちょっと本気を出しちゃったかな」


 舌を出しながら言われて、アランは顔を顰める。


「隊長どうしたんです、大丈夫ですか?」

「そこ、何をやっている!」


 アランを心配そうに見下ろした優しい隊員が、外から聞こえた大声に飛び上がるようにして驚いた。アランは隊員の肩越しに見える大隊長の姿を見て、隊員にだけ聞こえる小声で言う。


「大丈夫だから、ちょっとどいてろ」

「クリフォード中隊長、これはどういうことだ?」


 頭上から鋭い視線を落としてきた大隊長に、アランが口を開こうとすると、そのさらに上からロジャーの声が聞こえる。


「先に手を出してきたのはアランの方だよ。剣を向けてきたから、俺は仕方なく応戦しただけだ」

「それがいつものロジャーの常套手段だろ。挑発したのはそっちだ」


 地面から飛び起きるようにして剣を持ち上げようとすると、すぐ目の前に剣の刃の鋭さがあってどきりとした。いつの間に剣を突きつけられたのかもわからない。アランは密かにロジャーの速さに舌を巻きながらも、剣を持つ彼の顔を睨み上げる。


「上官に馬上から剣を突きつけて、随分といい身分だなロジャー」

「アランこそ、部下に馬から落とされて吠えてるなんて随分と格好悪いんだね。見損なっちゃった」

「うるさいな」


 アランはばっと背後に飛んで剣先から身を離すと、飛びながらはずしていた剣の鞘をロジャーの顔面に向けて投げつけた。驚いたようにロジャーは目を丸くしたが、咄嗟に手にした剣でそれを防ぐ。


「ちょっと!」

「おい、やめろ!」


 止めに入った大隊長に羽交い締めにされるようにして、続けて騒ぎを聞きつけてやってきた兵士たちに手にした剣を奪われる。そしてそのまま体重をかけられるようにして地面におしつけられた。胸に入っていた空気が口から漏れる。背中に誰かの膝が入っているし、頬には砂の地面が食い込む。


「どういうつもりだ? 私闘は軍規違反だぞ!」

「アランが手を出してきたんだよ。部下に剣を向けるなんて本当にひどいよね。しかも今の完全に顔を狙ってたでしょ。そんなの聞いてないし! 本当に怪我したらどうするのさ」


 後半は余計なことを言ったロジャーに、アランは内心で苦笑する。


 大隊長がなかなか取り押さえてくれないから、思わず鞘を投げつけたのだが、後で本気で怒られるかもしれない。どうせ彼の運動神経なら簡単に避けると思っていたのだが。


「連れて行け」

「懲罰室にでも入れて頭を冷やしてやってよ」


 誰かの腕に引きずられるようにして起き上がったアランの顔を見て、ロジャーが冷たく言った。





「頭に血が昇ってしまってすみません。反省してます」


 アランは正座をしたまま、神妙な表情で繰り返す。


 懲罰室といっても当然だが、牢屋でも拷問部屋というわけではないから、大抵は何もない狭い部屋だ。中央で先日入れられたのも何もない部屋で、そこではひたすら立ったまま取締官達と問答をさせられた。食事も休憩もなく座ることも寝ることも許されない、というのは手を出されないだけで拷問の一種ではないかと思うのだが、何にせよ頭と足が使い物にならなくなる前には出してもらえたから一応は懲罰なのだろう。


 アランが連行されたここも、一応は懲罰室に見える。四部隊の中隊長達も懲罰室に入れられていると聞いていたが、何もない狭いだけのこの部屋で暮らせるのはせいぜい数日だ。実際には捕虜を捕らえておくための牢か、施錠できる密室に入れられているのだろう。地下にあるこの部屋の奥の方には、いくつかそれっぽい部屋はあった。


 いつも散々アランのことを罵倒している大隊長も、ギャラリーがいないといつもの勢いはない。最初こそ小さな部屋で反響して腹に響くほどに怒鳴っていた彼だが、すぐに疲れたのか近くの椅子に座った。だいたい、叫んでも怒鳴っても疲れるのは本人だけだ。アランとしてはうるさいなと眺めているだけで、特に感想もない。


 荒らげた息を整えている大隊長を見て、アランは再度、正座したまま頭を下げた。


「お騒がせして本当に申し訳ありません」

「お前の父親は西軍のクリフォード副将軍で、兄は西の第一部隊長らしいな」

「よくご存知ですね」


 アランが言うと、大隊長は嫌な顔をした。別に皮肉を言ったつもりはなかったが、知らないわけはない、と言うことだろう。西軍の父や兄だけでなく、親戚にも出世している軍人は多い。


「そんな人間がどうしてここにいる?」

「西軍には入るなと言うのが兄の命令でしたので」

「そう言う意味じゃない」


 大隊長はそう言ったが、首を傾げたアランに続く言葉を迷っているように見えた。


 エグバード部隊長は、四部の大隊長達ももしかしたら自身達が切り捨てられようとしていることを、察しているのではないかと言っていた。三部内でも大隊長や中隊長が続々と入れ替えられているのなら——しかも上との繋がりがある名家の人間ばかりが出て行っているのなら——同僚である彼に何か感じるものがあってもおかしくない。大隊長の出身は知らないが、ロジャーに頭が上がらないところからすると、ベインズ家よりは随分と弱小の貴族なのだろう。


「こうして懲罰室にばかり入れられて、上から疎まれてるんじゃないですかね」

「……そうか」


 彼は複雑な顔で言った。上層部から疎まれている人間が送り込まれた、というのも彼からすると不安を増す要素でしかないだろう。


「どうしていまこの懲罰室に入れられているのかという意味なら、ちょっと施設内を探検してみたかったので」

「あ?」

「四部の兵士達のリーダーが懲罰室に入れられてるって話も聞いたので、見物でもしようかと思ったんですが、ここにはいないんですね。まあ、さすがに同室になるわけはないと思ってましたが」


 アランの言葉が理解できずにしばし固まっているようだったが、やがて気持ち悪いものを見るような目を向けられた。


「どういうつもりだ? ロジャーとの喧嘩は茶番か?」

「あいつとは昔から喧嘩にならないんですよね。あれだけの名家の坊ちゃんがあれだけ強くて、やろうと思えば将軍くらい簡単になれそうだけど全く興味もない。まともに張り合うのも馬鹿馬鹿しいでしょう」

「……だが、ロジャーはお前の指揮下だろう」

「俺の指揮下ということは、大隊長の配下でしょうに」


 そう言って真っ直ぐに見返したアランに、大隊長はなぜか怯むように固まった。アランの茶番に面白がりながら付き合ってくれるようなロジャーに、大隊長自身は完全に手玉に取られている自覚はあるのだろう。


 アランに対して全員の前でさんざん怒鳴っていた彼だが、実際はさほどの度胸はないに違いない。新入りでろくに反論もせず、部隊長が侮っている部下だから、責めやすいだけだ。権力を振りかざしたり、貴族の権威に阿るような人間にとって、本来はクリフォードの名前も気にはなるはずだ。近くに部隊長もおらず一対一で向き合っていれば、正面から喧嘩を売ってくるほどの人間ではない。


「……狙いは何だ?」

「探検と言ったでしょう。中央軍からでたのは初めてなので、流儀も分からないですし。色々と見て回ろうかと」

「それで懲罰室を見てみたかったからわざわざ軍規違反を犯したって? 正気の台詞とは思えんな」

「ここにいる時点で、軍の査定になんて興味ないですからね」


 出世を望んでいれば、軍規違反の事実など消したくても消えない汚点になるだろうが、アランにとってはいつも上官に怒られているのの延長線上にあるだけだ。


「大隊長ともこうして二人きりでお話してみたかったですしね。そろそろ部隊長も出てきますかね?」

「……誰かが報告をしていたら来るかもしれないな」

「それは楽しみですね」


 アランがそう言って頷くと、大隊長は何とも言えない顔をした。畳み掛けるようにアランはふっと笑ってみせる。


「部隊長とも会えたら、ロジャーに伝えてもらえます? 彼は『本当は自分が悪かったから、そろそろアランを出してくれ』って言うと思うので」


 そう言ったアランに大隊長はますます困惑した顔をした。ロジャーは怒っていたから、しばらく黙っているかもしれないが、何にせよ大隊長にロジャーの権威を使えることを示すには良いタイミングだろう。


「ここで遊んでるうちに、四部の兵士が暴発しちゃうと怖いですしね。カエルム地方の兵士たちは優秀だって聞いてますし、捕らえられている自分たちのリーダーを取り戻しに来るかもしれない。そしたらここは危険でしょう」


 アランの言葉にどきりとしたように見える大隊長はちらりとドアの外に視線を向けたから、そちらに中隊長達が捕らえられているのかもしれない。


「四部の兵士達について、クリフォード中隊長は何か話を聞いているのか?」

「大隊長は何も聞かされてないんですか?」


 単純にそう聞いただけだが、大隊長は目に見えて狼狽えたから、侮られていると思ったのかもしれない。四部隊の隊長であるエグバードが何も聞かされずに任務に当たらされているくらいだから、三部の人間や四部の大隊長達も何も聞かされていない可能性はある。同時に、来たばかりのエグバードがおかしいと思っているなら、もともとここにいた大隊長達もおかしいと思っているに違いない。


「ま、別に俺も特に聞いてないですが」


 アランが軽く言ったそれを、大隊長は嘘と思うか本当と思うかは分からないが、どちらにせよ思わせぶりな方が色々と動きやすくはなる。


「自分達の身は自分で守りますよ。上は命令するだけだから、痛くも痒くもない。死んだところで誰も泣いてなんてくれませんよ」


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