三章 アランと王子の関係3
北軍でエグバード四部隊長に与えられた屋敷は、中央で彼がいた屋敷の半分くらいの大きさだった。単純に地域差かと思ったが、三部隊長の屋敷は一際目立つ立派な屋敷だったので、急に増設された部隊長の屋敷が準備できなかったということか、もしくは扱いの差か。
とは言え、大隊長以下は兵舎の中に家があるので、それに比べると部隊長はやはり優遇されている。私室に通されたアランは、促されるままに軍服の上着を脱いだ。
中央では部隊長に会うところを見られたくなかったため私服で来ていたが、ここでは「中央から更迭されたお仲間同士」というレッテルを貼られている。二人で会って話をしたところで、哀れみか蔑みを込めた視線を向けられるだけだ。
「ロジャーも誘ってみたんですが、忙しいそうですよ」
「ロジャー=ベインズも相変わらずだな。こっちにまで名前が届いてる」
「生意気な貴族のおぼっちゃまがいるってですか?」
「いや。いけすかない隊長連中をことごとく剣で叩きのめしてるらしいな」
ああ、とアランは笑う。
「ロジャーが四部隊の大隊長もやっつけたいって言ってましたよ。一緒に演習をやってくれって」
「それは私からも是非ともお願いしたいところだな」
そう言ってため息をついたエグバードは、本当に部下たちに手を焼いているのだろう。
そもそも全く知らない場所で新しい配下を持つのは大変なのだが、エグバードの直属の部下である大隊長たちは権力を振り翳して部下を踏みつける本当にどうしようもない軍人たちに見えるし、それでいて上官であるエグバードを敬ってもいない。それは中央から更迭されてきた、というところもあるだろうし、彼らのもともとの上官である三部隊長が完全にエグバードのことを下に見ていることも関係しているだろう。
もしかしたら、大隊長である自分たちの誰かが昇格して四部隊長になるべきだったと考えているのだとすると、他所から来たエグバードは単なる邪魔者でしかないはずだ。
中央にいた頃よりもずっと白髪が増えて、一気に老け込んだように見えるエグバードに、アランは何を返そうかと少し迷う。
エグバードは中央でも七光だとかそれなりに叩かれていたし、軍の上層から押し付けられる無理難題にため息をつきながらも、それでも飄々としているように見えていた。だが、今は本当に参っているように見える。三部でも部隊長や大隊長に潰された兵士たちは多くいると聞いているが、それは部下達だけというわけではないのだろう。
そもそも中央で責任を取らされるということになった時に、エグバードは自ら辞任して退役しようとしたらしい。だが、その申し出は受理されずに、北軍で新設された四部隊長に異動させられたらしいから、彼自身も訳が分からないのだ——と、初めてここで会った時に語っていた。アランがエグバードの隣の北軍の三部に異動させられたことに、もしかしたらエグバードが絡んでいるのではないかとも思ったが、そうしたことも一切ないらしい。
「なら本当に合同で演習を提案してほしいですね。ロジャーだったら本当にやりますよ。うちの部隊長にも気に入られてるみたいですし、あいつに怖いものはない。いつも大隊長達にやり込められている隊員達も、多少は見る目が変わるんじゃないですか」
「どうかな。余計に怯えそうな気がするが。ロジャー=ベインズが三部に戻った後に、荒れた大隊長の怒りの矛先が向かうのは部下たちだ」
「なるほど。やるなら動けないくらい徹底的に叩きのめさなきゃですね」
軽くいったアランに、エグバードは楽しそうに笑った。
とりあえずは笑える程度には彼がまだ元気であることに安堵しながらも、アランは気になっていたことを聞いた。
「四部の兵士たちは大丈夫ですか? 軍に新しく組み込んだ兵士達を教育する、にしては度がすぎてる気がするんですが」
部下を潰してしまう上官は多いが、それにしても四部を見ているとそもそも兵士として教育しようとしているかどうかも疑問だ。
四部の兵士の大半は、カエルム地方でもともと自衛軍として編成されていた兵士たちで、何かしらの事情で北軍に取り込まれたと聞いている。その事情が何かはわからないが、兵士たちに対する扱いを見ていると、決して良い理由ではないだろう。地方軍とはいえ部隊が増えるのは異例のことで、そしてその四部の部隊長にわざわざ辞任すると言っているエグバード部隊長を充てるなど、たしかに訳が分からない。
エグバードは深く長いため息を吐いた。
「大丈夫ではないな。私も最近知ったが、四部の兵士たちには食事や水も最低限しか与えられていないようだ」
「……何のために?」
「さあ。いつかの何かの違反に対する懲罰だとか何だとか、訳のわからないことをごちゃごちゃと言われただけだ。懲罰房に閉じ込められてる中隊長達と同じだな」
生気すら危うい、と言ったのはロジャーだったが、たしかに十分な水や食べ物を与えられずに厳しい演習をさせられているのなら、生きるのも危ういレベルだ。それで絶えずに罵声や暴力を浴びせられるのなら、ろくな動きどころかろくな思考もできないはずだ。
「中隊長達というのは、前に仰っていた元の自衛軍の隊長達ですか? まだ捕らえられてるのですか?」
前にエグバードに聞いた時には、生意気で軍規違反を繰り返す自衛軍の隊長が何名か、懲罰房に入れられているようだ、ということだった。その時には数日程度の一時的なものなのだろう、と思ったが、まだ出されていないのならずっと中隊長が不在だということだ。リーダーが不在だということも、彼らの統率が全く取れていない原因なのだろう。
「ああ。彼らの解放と兵士たちの食事の改善は何度も命じているが、毎回、将軍にお伺いを立てると言われるだけだ」
「将軍の命なのですか?」
「どうかな。三部隊長や大隊長達がそう言ってるだけで、実際は自分たちの裁量のような気もするが」
エグバードは白髪の混ざった眉を撫でると、手元の酒を一気に呷った。それを見ながら、アランは首を捻る。
「彼らは四部の兵士たちを恐れているのでしょうか」
「そう見えるな。軍の内部から反乱を起こすことを恐れて、なるべく力を削ごうとしている」
まとまるために必要な彼らのリーダー格を実質投獄して、兵士たちにはろくな食事も与えずに常に疲弊させ、万が一にでも反旗を翻すなんてことができないようにしているのだろう。
「それなら最初から兵士を一箇所に固まらせずに、散らしておいても良かった気はしますが」
「反乱分子を軍の中にばら撒くのも危険だという考えもある」
「もともとカエルム地方に反乱の予兆があったということでしょうか」
この国では、王家も貴族も軍も常に争いを繰り返してはいる。アランは知らなかったが、カエルム地方の貴族が王家に反旗を翻そうとして失敗した結果、兵士達が国軍に組み込まれたという経緯はあるのかもしれない。
それであれば、同じ軍の兵士というよりは捕虜に近いのだろうし、それでこの懲罰的な扱いになっているのも頷ける。
「今のところは聞かないが、それもあるかもしれない。——が、一番引っかかるのは、私が四部隊長だというところだな」
「どういうことです?」
「単に兵士たちを押さえつけて力を削ぐだけなら、適任はいくらでもいる。名前だけでも、部隊長の肩書きを欲しがる人間は多いはずだからな。わざわざ辞めると言ってる人間を引き止めてまでここに置いているのは何故だと思う?」
全く酔いを感じさせない瞳でアランを見据えるエグバードに、アランは息を止める。