三章 精霊たちの聖地10
ヘレナが森の中を探すと、すぐにキャシー達は見つかった。森の中央に隠れていたのはキャシーを入れて八名ほどで、残りの半数も森の出口付近で合流できた。
「本当に本当に本当に本当にごめんなさい」
そう言って何度も頭を下げるキャシーに、オーウェンは冷たく「うるさい」と言った。
「怪我人がバタバタ動くな」
「ごめんなさい、でもヘレナの魔術で痛みがだいぶマシになったから大丈夫」
そう言ってキャシーは腰のあたりを押さえる。兵士に斬りつけられたとのことで、ジャクソン達が見つけた時には血まみれの布を巻き付けて真っ青な顔で座り込んでいた。が、もともと自分達の魔術でも最低限の止血はできていたようで、今はヘレナの魔術もあり、彼女はなんとか馬に乗っている。
「まさか私が怪我して一番の足手纏いになるなんて、本当に自己嫌悪だわ。もうひとり私がいたら、役立たずの私なんか見捨ててみんなを先導できたのに」
「それで言ったら、本当の役立たずはサブのヘイデンだろ。キャシーに何かあったら、代わりにみんなを先導する手筈だったと思うが」
オーウェンはそう言って、キャシーを乗せた馬を引いている男性を睨んだ。まだ若く見えるヘイデンは、オーウェンの鋭い視線をものともせず、へらりと笑った。
「俺がキャシーさんを見捨てて行けるわけないでしょ。死ぬ時は一緒ですもん」
「一緒に死ぬな。責任を果たして他の魔術師をアルビオンまで連れていくか、一人で這ってでも向かって意地でも助けを呼びにこい」
「でも、俺が向かってたらオーウェンさんと行き違いになっちゃったでしょ? 結果的には森で隠れてる、ってのが最善だったんじゃ」
「子供二人を囮にしといてか?」
「だって止められなかったんですもん。二人でばっと飛び出して行っちゃったし、確実に俺よりカーティスの方が格上でしょ。俺じゃ、囮になっても時間稼ぎもできない」
悪びれずに言ったヘイデンに対して、オーウェンは嫌な顔をしたが、キャシーが真剣な顔で言う。
「みんなを危険に晒して本当にごめんなさい。兵士たちが森まで追ってきたから、私のことは放っておいて逃げられる人だけでも逃げてって言ってたんだけど。ウォルターもカーティスも私を守るために、兵士を引き連れて出ていっちゃったし、ヘイデンも森を走り回って隠れられそうな場所を探してくれて、ずっと周囲を見張っててくれたの」
そんなことを言ったキャシーを見ながら、オーウェンは白く光る髪をかきあげる。
「結構な話だが、そもそもキャシーが兵士に斬りつけられるって状況からおかしくないか? そこまで接近されるまで気づかないわけないし、そんなに乱戦になったのなら怪我人がキャシーだけってのもおかしい」
たしかにキャシーは魔術師としても一流らしいし、剣もオーウェンが認めるほどの達人らしい。それでいて責任感が強くて優しい彼女だからこそ、リンジーが言った「動けなさそうな仲間」も含めて引率するリーダーに任されていたのだろう。
「そう? 私がドジだったってだけ」
「ふうん」
明らかに釈然としない顔で言ったオーウェンに、リンジーが口を挟んだ。
「とにかく全員が無事で何よりじゃないか。アルビオンも大した怪我人もなく獲れたんだろ。正直なところ、多少の犠牲は覚悟してたんだが」
「ドジなキャシーが怪我したってだけなら、たしかに万々歳ではあるな」
「そうね、みんな無事なのは嬉しいわ」
怪我をして辛いはずのキャシーはそう言って、本当に嬉しそうに笑う。
それを見ながら、ジャクソンは腕の中で馬に跨るヘレナを見下ろした。彼女は未だに精霊を上空に飛ばして、周囲の状況を見てくれている。ジャクソン達がこうして怪我人を運んでゆっくり馬を進められるのも、ヘレナが兵士たちの動きを見ていてくれるからだ。
リンジーやオーウェンの想定よりもずっと作戦が上手くいったのは、きっとヘレナの力によるものが大きいだろう。ヘレナの精霊達の目を使って、アルビオンの占拠もスムーズに行えたし、こんなに早くカーティス達を見つけられたのもヘレナがいたからだ。犠牲を出さずに済んだとはいえ、ヘレナの負担は大きいのではないだろうか。
「ヘレナ、少し休んだらどうだ?」
「アルビオンに戻るまでくらいは大丈夫。私は座ってるだけだし、何かあって慌てて逃げる方がよっぽど疲れるもの」
「変わってやれずにすまないな」
「私だってジャクソンの代わりにはなれないわ。馬にだって一人で乗れないし」
そんなことを真剣な口調で言われて、ジャクソンは思わず苦笑する。
ヘレナを馬に乗せてやれる人間など腐るほどいるだろうが、ヘレナの代わりになれる魔術師は、国じゅうのどこを探してもいない。
ふと気づくと、カーティスとウォルターが遅れているのが見えて、ジャクソンは少しスピードを落とす。
全員分の馬はないから、歩ける人間は徒歩で移動しており、二人も最後尾の方を歩いていた。疲れているだろうから馬に乗ればと言ったのだが、ウォルターは固辞したし、カーティスは慣れない馬より歩く方が楽だと言った。
二人だけでキャシー達から離れて敵を引きつけていたし、今も二人で並んで歩いている。いつの間に仲良くなったのだろうと思うのだが、それにしては会話も何もない。口を開かないのはカーティスはいつものことだが、ウォルターが何も言わずに暗い顔をして歩いているのはおかしな気がして、声をかける。
「疲れたなら休憩しようか」
声をかけると、ウォルターは驚いたのか、はじかれたように馬上のジャクソンを見上げた。いつもと様子の違う彼に、ジャクソンは首を傾げる。
「大丈夫か? 馬を借りてもいいし、なんならセリーナに一緒に乗せてもらおうか」
普通であればオーウェンに乗せてもらおうと言いたいところだが、なんとなくウォルターは嫌がりそうな気がする。
「大丈夫だよ」
ぶんぶんと首を振った彼は、元気なことを示すためか、大股で歩き出した。ジャクソンと話をしたくないのか、そのまま前に追いつくように行ってしまったウォルターに対し、カーティスはのんびり自分のペースで最後尾を歩いている。同じ年でもウォルターより小柄だ。歩幅も違うが、そもそもウォルターを追いかけるつもりもないらしい。
彼はジャクソンを見上げる。彼の方から視線を合わせてくるのも珍しいと思っていると、カーティスは口を開いた。
「クェンティンを見たよ」
「は?」
思わず馬を止めて、カーティスを見下ろす。だが彼はそのまま、足を止めようとはせず歩いていった。ジャクソンは慌てて馬を進める。
「どこで?」
「兵士たちの中にいた」
「……それは兵士たちに捕らわれていたということか? それとも兵士たちと一緒にいたということか?」
「軍服を着てたよ」
そんな言葉に、ジャクソンの胸の中に一気に苦いものがたまった。
魔術師であることを隠して兵士になったのだろうか。ジャクソンのことを裏切った時には、すでに魔術師を捕える側の兵士だったのか。もしかしたら、クーロの情報を軍に漏らしたのも、クェンティンだったのか。
そんな思いが吹き出すが、続けられたカーティスの言葉で、一気に霧散する。
「でも、俺たちを助けてくれた」
「は?」
「キャシーが斬られてみんなで混乱してる時に、魔術を使って逆方向に逃げたんだ。兵士たちも半分はそっちを追って行ったし、その隙に俺たちも逃げられた」
そんな言葉にジャクソンは息を飲む。
クェンティンは軍服を着た兵士になって魔術師達を追っていたにも関わらず、その魔術を兵士たちに向けて逃げたということなのだろうか。
「カーティスは……クェンティンを覚えていたのか」
「何度か会ったことはある。あっちが俺に気づいたかは分からないけど」
「クェンティンはどんな様子だった?」
「急に魔術を使ったところで彼に気づいたから、分からないな。軍服を着たまま逃げてった姿しか見てないよ」
そうか、と息と共に言葉を吐く。
訳がわからないが、軍服を着て兵士たちに混ざっていたなら、彼は魔術師であることを隠していたはずだ。それでも使う必要もない魔術を使ってその場から逃げたのであれば、カーティスの言うとおり、助けようとして囮になったと考えるのが自然ではある。
前を向いたまま淡々とカーティスは言ったが、そもそもほとんど口を開かない彼が、わざわざジャクソンに伝えてくれたのだ。何かしらの思いはあるのだろう。
「教えてくれてありがとう。それからキャシー達を助けてくれたことも。森ではカーティスがみんなを助けたんだろう」
キャシーが危険な時にクェンティンが囮になってみんなを助けたのなら、その後に兵士たちが森に捜索に入った時に、注意を引いて兵士たちを遠ざけて助けたのはカーティスだ。
だが、カーティスはなぜか考えるように黙り込んでから、しばらくして首を横に振った。
「俺じゃなくてウォルターだよ。彼が飛び出したから、俺はついてっただけだ。川があったから飛んで対岸に逃げればいいと言ったのもウォルターだから」
「そうなのか?」
魔術を使って兵士たちの注意を引いたのだろうから、当然、カーティスが出ていったところをウォルターが追いかけたのかと思っていた。そもそも川を飛んで逃げればいいと簡単に言っても、普通の魔術師であれば自分ひとりを飛ばすこともできないし、ウォルターを一緒に飛ばすなんて実際は神技の域だ。カーティスならそれができると知っていたのか、もしくは魔術を使えない彼はあまり魔術のことを知らないのか。
だが、前の方を進んでいるウォルターの重い足取りを見ながら、ジャクソンは首を傾げる。
「ならなんで、ウォルターはあんなに暗い顔をしてる?」
「最初にキャシーが怪我をしたのが、突っ走ったウォルターを庇ったせいだから。責任を感じてるのと、それがオーウェンにばれるのが怖いんじゃないかな」
「……なるほど」
ジャクソンから逃れるように先に行ったウォルターだが、決してオーウェンには近づこうとしない。自身が原因でキャシーが怪我をして、そのせいで隊のみんなが動けなくなった——なんて、たしかにオーウェンに知られたくないのだろう。ジャクソンが彼の立場だったとしても、オーウェンに知られて怒られるのは怖いくらいだ。
だが、キャシーが怪我をする状況がおかしくないか、とオーウェンは言っていたし、ウォルターの様子がおかしいことに気づいていないわけもない。それで何か声をかけるわけでもないのだから、きっと何かしら察してはいるだろう。
いつも姿勢が正しくまっすぐなウォルターの背中が少しだけ曲がっているように見えて、ジャクソンはため息を吐く。なんとか力になってやりたいが、オーウェンとウォルターの関係性がよく分かっていないだけに、余計な真似になってしまうような気もする。
「俺たち以外はみんなアルビオンに着いたのか?」
カーティスの言葉に、ジャクソンは視線を彼に戻す。
「ああ。みんな無事だよ」
「そうか」
彼はそういうと、しばらく黙ってしまった。何を考えているのだろうと思っていると、やがて彼はジャクソンを見上げる。子供らしい大きな瞳が、まっすぐにジャクソンを見た。
「無事なのは何よりだね」
久しぶりに聞いたカーティスらしい言葉に、ジャクソンは胸が熱くなる。
クーロで仲間を大勢置き去りにして逃げてきたところから、カーティスはほとんど口を開かなくなった。両親が処刑された時にも、クーロで仲間たちが殺されていた時にも、自分だけが逃げてきたことを後悔していたようだし、自分も一緒に死ねばよかったと言っていたくらいだ。そして、仲間を見捨てたヘレナとジャクソンに対しては、許せない思いがあるのではないか、という後ろ暗い気持ちもあって、どこまで彼に積極的に話しかけて良いのか分かっていなかったのだ。
それだけに、こうして目を見て彼の思いを伝えてくれるのは本当に嬉しい。
一人だけ逃げて助かったことを悔やんでいた彼にとっては、彼の力で誰かを守ることができて、そしてみんなが無事だということは本当に何よりなことなのだろう。ジャクソンも心からそう思う。
「——本当に何よりだ」